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☆【小説】「龍と空色の歌」第4話【創作大賞2025応募】004

 第四話 塔の五十一階

 オフィスを出てエレベータに向かった。柏木が今度は銀色のカードをエレベーターのボタンがあるべきところのただの黒い壁面に、墨絵がビルに着いた時と同じように当てている。たくさんの数字が現れるかと思ったが、今度は五十一だけが浮かび、ふるふると踊り出した。エレベーターに乗り込み、動き出したと思ったら直ぐに止まった。本当に動いたのかと思うほどあっという間だった。

 北参番タワービル、塔の天辺に着く。扉が開く。
 降りたエレベーターホールの廊下は両側にブルーのライトアップ照明が一直線に並び、奥へと誘っている。テレビで見た滑走路みたいだ、と墨絵は思った。

 廊下を抜けると木製の重そうな扉がある。ハンバークを出すファミリーレストランの入り口かと思った。それよりはずっとレベルが高いぞ、という圧力はある。高級なファミリーレストランの入り口。そういう認識しかできなかった。
 扉を開くとBGMが耳に飛び込んでくる。なんだ、これは。聞いたことの無い音楽だ。でも、なんだか懐かしい。
 墨絵が耳を傾けたのを見て社長が言う。
「これは昔、よくこの界隈で流れていた曲よ」
 店のエントランスの真ん中には花瓶がある。見たこともない大きさだ。そして、見たこともない花が生けられている。南国に咲いているような花だ。

 その奥にはシャンペンタワー。グラスが一目では数えられない位の段数で積み上げられ、シャンペンがなみなみと注がれている。入射した銀色の光が飽和し液体のかすかな黄色と融合することで金色になり、キラキラとはこういうことだと言わんばかりに輝いている。墨絵が感じている凄さの圧力はこのビルに入ったときのキラキラにも劣らない勢いだ。一日で一生分のキラキラを見てしまった気になる。

 窓の外は夕焼け空が広がっている。昼間、雲一つ無かった青空はショッピングをしている間に色を変えていた。こんな眺めも人生において見たことがない。
 平日のこの時間帯、残業ばかりで外の景色がこんなに変わっているのを見ることは殆どない。
 眼前に白い光を放って輝いている壁のような大きなビル、六本木ヒルズだろうか。その脇には遠く、東京タワーが真っ赤な光を放っている。白と赤が印象的だ。
 
「あなたお酒は飲める?」
 社長が尋ねる。
 墨絵は曖昧にうなずいた。でも、この状況で酒を飲む気分なのかどうかはわからなかった。ショッピングで楽しい気分になった後でもあり、墨絵は少し高揚していた。あまりに見たことも無い光景の連続に客観的な墨絵も出てこない。
「五時から明けておいてって言っておいたけど、ちゃんとシャンペンも注いであるし合格ね。今夜、この街でこれだけのシャンペンタワーがあるのはここだけよ」社長は満足そうだ。

 ボーイというのだろうか。墨絵が見たことも無いきちんとした服装をした男性店員が店の奥のテーブルに二人を案内する。柏木は店に入るなりカウンター奥の主人らしき男と話を始めている。
 テーブルに着くとシャンペンが運ばれて来た。さっきのシャンペンタワーにあったものと同じだ。たわいのないことを墨絵は考えていた。

「そうよね、急にこんな状況になって、何も分からないわよね」
 社長はシャンペングラスに口をつけながら墨絵の顔を見た。
「じゃあ、仕事を説明するわね」
 とにかく話を聞くしかないと墨絵は観念した。いや、するしかない。いきなりの引き抜き話、いきなりのショッピング。情報が足りない。
 社長は名刺を差し出した。さっき名刺交換したのに、また名刺? 客観的な墨絵がレストランに来てやっと出てきた。リアルな墨絵と一緒に驚いている。
「私の名刺、さっきのは名前だけだったけど。今度は肩書きも入ってよ」

──『レモカ・デザイン 社長
  LeMocca調査事務所 所長 
         レモカ一恵』──

 LeMocca調査事務所? またしても連絡先がない。URLもメールアドレスも電話番号すら何も書いてない。墨絵は諦めの心境にも陥った。なんだかわからないが悪い冗談だ、きっと。それに片仮名のレモカの苗字も。

「連絡先もメアドもない、何だこの名刺は? でしょ」レモカは続ける。
「私はここに居る。ただ風の様にここで吹いている。だだそれだけなの。連絡先なんていらないわ。ここに来れば私にいつでも会えるのよ。とか言っておこうかしら」

 これから起きることが全く想像できない。早く判断して行動しなくてはいけないのに。墨絵は焦りを感じた。それをきっかけに思考が回り始めた。
 いつもなら客観的な墨絵が状況を分析して、これから起きるであろうことを予想して私の行動のお勧めが決まるはずだ。思考が濁流に流されている気がした。考えて、考えて、考え抜いて道を探さなくては。いっそのこと濁流に流されてしまって、その先の静かな湖面に早く着きたい、とも思いかけた。
 いや、考えるのを止めてはいけない。
 思考の渦の最中、喉が渇く。
 シャンペンを飲み干すと、何か別の飲み物が飲みたくなった。すっきりした味の飲み物、そう、ラフランス・サワーが飲みたくなった。この店にあるのだろうか。もう飲むしかない。ええい、自棄ヤケだ。
「私も何かもらっていいですか」
 社長は指を鳴らして店員を呼ぶ。え、指鳴らした。そんなことする人が今でも本当にいるんだ。弾いた指の乾いた音がレストランのホールに甲高く響く。
「あなた、ラフランス・サワーが飲みたいんでしょ」
「え、なんでわかるんですか」
「顔に書いてあるわよ」そんなことはないだろうと墨絵は思ったが、曖昧な笑顔で返した。独り言でもつぶやいてしまったかと思った。
「この店に無い飲み物はないわ。あなたの望む飲み物は全てここにある。あと、これは濁流でもなければ、詐欺でもない、あなたにとっては必然的な状況を迎えているのよ」

 墨絵は驚いた。この社長、私の心が読めるんだろうか。私がふと思ったことを言いあてる。やっぱり私は独り言をつぶやいているのだろうか。客観的な墨絵が、そりゃ墨絵が普通だってことよ。何を考えているかあなた分かりやすいもんね。
そう、そうよね。こんな時には客観的な墨絵も心強い。

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