「死んだ猫でも売れる」──優秀な営業を探した二十年
プロローグ
「優秀な営業は、死んだ猫でも売れる。」
社会人一年目。
営業として働き始めた頃、雑誌で見かけたコピーだった。
正直、この言葉が好きになれなかった。
営業とは、口がうまい人のことなのか。
押しが強く、人を言いくるめることができる人。
そうだとしたら、そんな営業にはなりたくなかった。
本当は、企画やコピーライター、マーケティングといった、何かを生み出す仕事に憧れていた。
営業は、その仕事とは違うと思っていた。
でも、営業しか選べなかった。
だから、せめて優秀な営業になろうと思った。
振り返れば、この二十年は「優秀な営業とは何か」を探していたようで、実は違った。
探していたのは、顧客は、何を買うのか。
その答えだった。
第一章 顧客は、プロの知見を買っている。
社会人最初の仕事は、広告会社の営業だった。
まだスマートフォンもない時代。
四季報と地図帳を片手に、新宿のビルに一つずつ入っては、最上階から順に飛び込んでいた。
会えない。
断られる。
また飛び込む。
「間に合ってます。」
「本社でお願いしています。」
「アポイントはありますか?」
毎日、同じ言葉を聞いた。
会えれば何とかなると思っていた。
だから、数をこなした。
でも、成果は出なかった。
ある日、ふと思った。
会えない理由は、営業が下手だからじゃない。
アポイントがないからだ。
そこから飛び込みの目的を変えた。
会うためではない。
「この件なら、どなたに相談すればいいですか。」
そう聞くために飛び込むようになった。
情報が増えることで、少しずつ会えるようになった。
ようやく担当者に会えるようになると、今度は自分の企画を提案した。
大学では広告論を学び、広告研究会にも入っていた。
企画には少し自信があった。
やっと、その企画を話せる。
そう思っていた。
すると、お客様は僕の話を最後まで聞いて、
考えるようにして言った。
「一生懸命なのは伝わります。」
少し嬉しかった。
ただ、それだけでは終わらなかった。
「私たちは、あなた個人の企画を期待しているわけではないんです。」
「御社の企画担当やデザイナーさんの知見を借りたいんです。」
責められたわけではなかった。
むしろ、「もっといい営業になってほしい」という伝え方だったと思う。
恥ずかしかった。
自分では企画ができると思っていた。
でも、僕の企画は、企画ではなかった。
思いつきだった。
それからは、会社の企画担当と話す時間が増えた。
彼らは、いきなりアイデアを出さない。
まず、僕に質問を浴びせる。
「今回の目的は?」
「誰に届けたいの?」
「顧客は、何に困っているの?」
「この広告で、何を変えたいの?」
そのたびに、答えられなくなる。
いや、答えられないのではない。
聞いていなかった。
彼らは、顧客の目的や課題を理解することから始めていた。
そして、顧客が買っていたものも、制作物ではなかった。
積み重ねられた知識と経験。
失敗も成功も含めた、プロの知見だった。
その日から、僕の問いは変わった。
顧客は、何を買っているのだろう。
第二章 顧客は、成果を買っている。
広告会社で一年半ほど働いたあと、Web制作会社へ転職した。
売るものが変われば、売り方も変わる。そう思っていた。
当時は、インターネットが広まり、多くのインターネットビジネスが立ち上がっていた時期だった。
そこでは営業だけではなく、企画も提案もプレゼンも求められた。
受注するためには、僕自身がプロにならないといけないと思っていた。
同時に、憧れていたクリエイティブな仕事に携われることが嬉しかった。
良いホームページとは何かを知りたくて、有名企業や海外のホームページを夢中で見ていた。
良いデザインを提案できれば、喜ばれると思ったからだ。
「ホームページを作れば、御社の営業マンの代わりに、24時間営業してくれます。」
「ホームページを作りましょう。」
ところが、打ち合わせへ参加すると、話している内容がまるで違った。
「お問い合わせを増やしたい。」
「採用応募を増やしたい。」
「資料請求を増やしたい。」
「検索からの流入を増やしたい。」
良いホームページを作る話をしている人が、一人もいなかった。
もっと、こんなデザインにしたいとか、クリエイティブな話をするものだと思っていた。
でも、みんなが見ていたのは、その先だった。
「お問い合わせボタンは右上に置きましょう。」
「このページは三クリック以内でたどり着けるようにしましょう。」
「バナーは一週間ごとに変えて、反応を見ましょう。」
「このコピーと前回のコピー、どちらが問い合わせにつながるでしょうか。」
僕は、良いホームページとは優れたデザインのことだと思っていた。
でも、現場で作っていたのは、成果だった。
前職の広告は、一度世の中に出せば終わりだった。そのため、目に留めてもらうにどうするか。
見た人が、手に取った人が、どんな気持ちになるか。そういった目に見えないものを扱っていた。
でも、Webは違った。公開してからが始まりだった。
ユーザーは、情報取りにやってくる。
結果を見ながら、ボタンの位置を変える。
コピーを変える。
バナーを変える。
また測る。
その繰り返しだった。
気づけば、僕も「ホームページを作りましょう」とは言わなくなっていた。ホームページは、目的じゃない。手段にすぎなかった。
顧客が買っていたのは、その先にある成果だ。
売るものが変われば、売り方が変わる。そう思っていた。
でも、変わらなかった。
必要なのは、顧客を理解しようとする姿勢の方だった。
第三章 顧客は、選ぶ基準を持っている。
次に転職したのは、外資系のパソコン・サーバーメーカーだった。
それまで飛び込み営業しか経験してこなかった
僕にとって、その会社は衝撃だった。
電話が鳴りやまない。
「パソコンを買いたいんですが。」
営業なのに、お客様を探しに行かない。
お客様の方から電話がかかってくる。
そんな世界があることを、初めて知った。
マーケティングが集客をする。
営業は、その後の提案とクロージングを行う。
役割が、完全に分かれていた。
製品知識は徹底的に教えられた。
資料も揃っている。見積もりもすぐに出せる。
仕組みとして、本当によくできていた。
僕は驚いた。
営業は、ここまで仕組みにできるんだ。
「パソコンを買いたいんですが。」
電話を受けても、そのまま提案することはなかった。
何に使うのか。他にどんなソフトが必要か。
他の部署にも、同じニーズがないか。
聞くべきことも、教わった。
誰が聞いても、同じことが聞き出せる。
誰が売っても、同じように売れるはずだった。
顧客を理解することは、ここでも変わらず必要だった。
ただ、それは、個人の力量ではなく、型として存在していた。
しばらくして、部署が変わった。
今度は、担当企業を持ち、継続的に提案する営業となった。
相手は、百人から数百人規模の中堅企業だった。
すると、それまでの型が、少しずつ通用しなくなった。
ある会社は、「七年間保守してほしい」と言った。
理由を聞くと、基幹システムで使うからだった。
途中で止めることはできない。
リプレイスまでは安心して使い続けたい。
だから、七年間保守してくれることが購入の条件だった。
一方、別のお客様は、「保守は一年で十分です」と言った。
できれば保守なしで購入したいという。
理由を聞くと、Webサーバーとして大量に並べるので、壊れたら修理するより、新しいものに入れ替えた方が安いからだった。
同じ商品を購入しようとしている。
それなのに、顧客が見ているものは、まるで違った。
性能ではない。
保守かもしれない。
運用かもしれない。
商品は同じでも、選ぶ理由は、
一社として同じではなかった。
この頃から僕は、顧客は、何を基準に選ぶのだろう。
そう考えるようになった。
完成した仕組みの中で、日々数字を積み上げる中、
ふと疑問に思った。
優秀な営業とは、仕組みの中にいるのかと。
よく売れている先輩に聞いてみたことがある。
「どうしたら、そんなに売れるんですか。」
「マシンになればいいよ。」
複雑だった。確かに、その通りではある。
型を、誰よりも多くこなせれば、数字は上がる。
それでも、個性だ、自分らしさだ、人柄だ。
そういう答えを、どこかで期待していた。
第四章 顧客は、未来に投資している。
次に転職したのは、別の外資系メーカーだった。
扱うのはネットワーク機器。
ネットワークが止まれば、業務が止まる。
時には、数億円規模の損失につながる世界だった。
驚いたのは、仕組みだ。
マーケティングが集客し、インサイドセールスが繋ぎ、フィールドセールス、プリセールスが提案する。
使っているツールも、案件の管理方法も、
商談の進め方も、前職とほとんど同じだった。
マーケティングが集客を担うから、営業は、顧客を理解することに時間を使える。
この分業こそが、顧客理解を営業の仕事にしていた。
これが、正解なんだ。そう思った。
会社には「アカウントプラン」という仕事があった。
担当している顧客について、四半期に一度、社内でプレゼンをする。
最初は正直、嫌だった。
内向きの仕事だと思っていた。
めちゃくちゃ時間もかかる。
何の意味があるんだろう。
業界。
事業。
中期計画。
組織。
決済者。
競合。
こういったことを調べ上げ、今後、受注が増えるか、そのために、何を実施するかを報告する必要があった。
ただただ、大変だったし、調べるのには限界があった。
何回か行ううちに、不思議なことが起きた。
調べれば調べるほど、知りたいことが増えていく。
調べても分からないことは、お客様に聞くしかない。
「この事業は、来年どうなるんですか。」
「この投資は、何を目的にしているんですか。」
「中期計画に書いてあるこれってどういうことですか?」
「御社が今、一番力を入れていることは何ですか。」
それだけでは足りなかった。
その会社が、この先どこへ向かうのか。
何を実現しようとしているのか。
仮説を立てながら、
顧客と話すようになった。
すると、顧客の反応も変わり始めた。
「うちのこと、よく調べていますね。」
「実は、来期こういうことを考えているんです。」
「少し相談したいことがあるんですが。」
それでも営業は難しかった。
事業部門が気に入っても、情報システム部門が採用しないこともある。エンドユーザーが評価しても、SIerが別の製品を選ぶこともある。
事業部門。情報システム部門。経営層。
同じ会社の中でも、立場が変われば、見ているものは違った。
加えて、SIerという、会社の外の判断者もいた。
担当者だけを見ていては、分からない。
部署を見る。会社を見る。業界を見る。
顧客の意思決定には、会社全体の事情がある。
顧客は、商品を比較しているのではなかった。
会社として、どの選択が最善なのかを、考えていたのだ。
ネットワーク機器は、それ単体で買われる製品ではない。
基幹システムの刷新。
ネットワーク全体の更改。
数千万円。
時には数億円。
そんなプロジェクトの一部として採用される。
顧客にとって、それは未来への投資だった。
第五章 営業とは、意思決定を支える仕事だ。
営業を続ける中で、一つの答えに近づいている気がしていた。
広告会社では、顧客が買っていたのは制作物ではなかった。プロの知見だった。
Web制作会社では、ホームページではなかった。
その先にある成果だった。
パソコンメーカーでは、同じ商品でも、
会社ごとに選ぶ基準が違うことを知った。
ネットワーク機器メーカーでは、企業がお金を使うことは、未来への投資だと知った。
商品が良ければ売れるわけではない。
価格が安ければ決まるわけでもない。
提案が良ければ採用されるわけでもない。
企業がお金を使う時、それは買い物ではない。
投資だ。
顧客は、商品を比較しているのではない。
その投資が、自分たちの未来にとって、
本当に意味があるのか。
その判断をしている。
営業とは、その意思決定を支える仕事だ。
そう、思っていた。
第六章 価値を出せる場所は、自分たちの中にあった。
その後、中小企業のアプリ開発会社へ転職した。
僕は、新規開拓を一から任された。
会社の主力事業は、スマートフォンアプリの開発だった。
でも、その市場は、すでに厳しくなっていた。
内製化が進み、求められるのは、企画やマーケティング力になっていた。
自分たちが得意なのは、そこではなかった。
「アプリが作れます。」それだけでは選ばれない。
僕は考えた。自分たちは、どこで価値を出せるのだろう。
自分たちの会社を、もう一度見直した。
企画やマーケティングよりも、目に見えにくい技術領域や、初期段階の技術検証に強みがあった。
技術を顧客の言葉に翻訳できるエンジニアもいる。
要件が固まっていなくても、一緒に考え、最後までやり切る力があった。
その頃、IoTという市場が少しずつ立ち上がり始めていた。
まだ本格的な導入を進める企業は多くない。
僕たちの強みは、この市場で活かせないだろうか。
何ができるのか知りたい。
技術的に実現できるのか確かめたい。
まずは試したい。
小さく始めたい。
そんな声が多かった。
その瞬間、初めて見えた。
顧客が求めていることと、自分たちの強みが重なる場所があった。
僕たちが戦う場所は、ここだった。
企画やマーケティングよりも、まず技術調査やPoCが求められる。
安心して新しい挑戦を始めたいという市場があった。
届ける相手が変わると、営業も変わる。
提案の仕方も、資料も、伝える言葉も変わる。
でも、会社そのものが変わったわけではない。
変わったのは、戦う場所だけだ。
自分たちを見る。市場を見る。
また、自分たちを見る。
その往復の中で、重なる場所が見えてきた。
僕は、営業の前に、市場を見るようになっていた。
第七章 彼は、実現を見ていた。
この頃には、自分なりの営業論ができあがっていた。
企業がお金を使うのは投資だ。
顧客は、それぞれの立場や事情をもとに意思決定をする。
営業とは、その意思決定を支える仕事だ。
市場を見れば、自分たちが価値を出せる場所も見えてくる。そう思っていた。
そんなある日、お客様から新しい案件の相談を受けた。
話を聞くうちに、僕は「これはうちではできない」と思った。
断るしかない。
そう考えていた僕の隣で、一緒にいた営業は迷わず言った。
「できる人を紹介します。」
打ち合わせの帰り道、思わず聞いた。
「それだと、僕たちの売上になりませんよね。」
彼は真面目な顔で言った。
「いいんですよ。お客様がやりたいことが実現できれば。」
その一言が、ずっと頭から離れなかった。
僕は、これまでずっと顧客を理解しようとしてきた。
顧客は何を買うのか。
何を基準に選ぶのか。
どんな未来に投資しようとしているのか。
どの市場なら、自分たちは価値を出せるのか。
その理解が、意思決定を支えることになる。
それは、間違っていなかった。
でも、一つだけ前提があった。
実現するのは、自分たちだという前提だ。
彼には、その前提に縛られてなかった。
自分たちだけではない、実現そのものを見ていた。
「いいんですよ。お客様がやりたいことが実現できれば。」
僕は、しばらくその意味を考え続けた。
エピローグ
二十年前、僕はある言葉が好きになれなかった。
「優秀な営業は、死んだ猫でも売れる。」
営業とは、人を言いくるめる仕事なのだと思っていた。
そうだとしたら、そんな営業にはなりたくなかった。
でも今なら、あの言葉の続きを、自分なりに書ける気がする。
「優秀な営業は、死んだ猫でも売れる。」
「でも、本当に優秀な営業は、死んだ猫を売ろうとはしない。」
二十年間、「優秀な営業とは何か」を探してきた。
でも、本当に探していたのは営業ではなかった。
探していたのは、
顧客は、何を買うのか。
その答えだった。
今は分かる。
顧客は、商品を買っているのではなかった。
実現したい未来を選んでいた。
だから営業とは、商品を売る仕事ではない。
顧客が実現したい未来を理解し、
その意思決定を支える仕事なのだと思う。
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