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揺浮包処ー風まかせ文芸部

その店は、
行こうとして見つけた場所ではない。

細く暗い道を、
ただ歩いていただけで、
気がつくと、
陽の差す開けた空間に出ていた。

古民家のような作りで、
庭はあるが、扉は閉まっている。

ドアを開けて入ってみると、
生薬の独特の香りがした。

「いらっしゃいませ」

声と共に背の高い細身の男が
立ち上がる。

男は店主というより、
この場所の一部のように見えた。

「…ご紹介のお客様でしょうか?」

首を傾げる男に、
僕も首を傾げる。

「なんか…歩いてたら着きました」

男は目を瞬く。
その後に穏やかに微笑んだ。

「…そうでしたか。
ようこそ、いらっしゃいました」

僕はその声に肩の力を抜く。

「ここ…漢方のお店ですか?」

店の中は、大きな棚が四角く
空間を区切っていた。

それぞれが、
いつ呼ばれても応えられるように、静かに詰め込まれていた。

独特な匂いは、
棚の中に詰まっているものの
気配だった。

「えぇ、ここは“揺浮包処
(ようふほうしょ)”。
揺れて、浮いて、包む処です」

その店名を聞いても、
僕にはピンとこない。

薬局でもないし、
調える訳でもない。

揺れる意味も、浮く意味も
分からなかった。

僕は店を眺めているが、
何も言わない男が気になった。

「…あのなんか、
調合してくれるんじゃないんですか?」

男は顔を上げる。

「あぁ…お求めですか?
身体に馴染みそうでしょうか」

その言葉に僕は怪訝な顔をした。

「馴染むもなにも、
まだ試飲とかもないし
判断できないですよ」

男は困ったように笑った。

「ふふ、失礼しました。
その様子でしたら、
大丈夫そうですね。

中には店の空気、匂いなど、
合わずに帰られる方も
いらっしゃるので…
気にならないようなら、
良かったです」

僕は改めて、店を見回した。

店内は少し暗く暖色のランプが
多い。

締め切った空間は生薬の香りと、
柑橘のやわらかな香りがあった。

「…柑橘の香りがいいですね」

僕の言葉に男は目を細めて、
微笑む。

「えぇ…そうでしょう。
みかんの香りは気の巡りを
良くしますから」

男は初めて、歩き出すと
棚の前で足を止める。

1つの箱から薬を出す。

「こちらは陳皮という生薬です。
胸のつかえやソワソワした思いを
下ろします」

その説明に僕は無意識に
胸に手を当てる。

「…下ろせるものなら、
下ろしたいです」

ここまでフラフラと歩いていたのは、その胸のつかえにソワソワとして、家にじっとしていられなかったからだ。

来週から僕は“新入社員”になる。

キツイ思いをした就職活動の末、
採用された。

その時は長いストレスから解放されて、ようやく楽になれたと思った。

けれど、新入社員説明会後から
胃は痛く、社会人生活を
考えるだけで重い石を抱えるようだった。

「…きっと、うまくいかない」

気付けば、口から出ていた。

「失敗して、責められて、
追い詰められる…」

喉につかえていた不安が
吐き出される。

「それが辛くて、会社辞めて、
また探して…また苦しくなる」

言葉と共に涙まで出てきた。

「…いつになったら…楽になれるんだ…っ」

長いストレスにさらされてきた
ツケが溜まっていた。

もう頑張りたくなんて、
なかった。

僕は涙を袖で拭く。

「…すみません…っ、今ちょっと…」

「あぁ、どうかそのまま」

慌てて気持ちを切り替えようと
したが、男の穏やかな声がそれを止めた。

「…よくありますよ。
ここに来ると、ほどける方が」

男は穏やかな声のまま、
ティッシュを僕の前に置くと、
腰掛ける。

僕は顔を赤くしながら、
鼻をかむ。

初めて来た店の中で、
弱音を吐いて泣いて鼻を噛んでる。

「…恥ずかしいです」

男は首を振る。

「膝をついて、
嗚咽される方もいます。
ここはそういう処です。
揺れを浮かせるので」

不思議だった。

普通は優しい声をかけて、
慰めて、落ち着かせて、
帰らせるのに…この男は何もしない。

ただ、静かに座っている。

でも…邪魔にもされてない。

その空気の中で、
僕の呼吸は1つ深くなった。

それを見たように、
男は立ち上がるとお茶を
淹れ始めた。

みかんの香りがふわりと
店の中を包む。

「どうぞ」

何の説明もなく、
深い赤褐色のお茶が
目の前に置かれる。

柑橘の清涼感のある香りが
立ち上がった。

一口飲むと、胸の中が
少しずつ温まる。

「…美味いです」

僕の感想に男は微笑む。

「…陳皮、大棗、甘草の入った
お茶です」

それ以上を説明しない。
意味とか効能とか。

「…ちゃんとするのは、
難しいですよね。
できないんです」

男はお茶を見ながら、
小さく呟く。

「できないことは、
するものではありません。

むしろ、できないことと
伝えた方が…伝わります」

僕はその言葉を静かに聞いた。

「…今日は“ちゃんとできない”揺れを浮かせたまま、“ちゃんとできなくていい”を包んでくださいね」

男の手には生薬の入った紙袋が
あった。

その紙袋を僕の前に置く。

「このお茶は“あなたを
元気にする“ものではありません。

“そのままでいいあなたの
隣にいる“お茶です」

僕はその言葉と紙袋を見つめる。

「“そのままでいい“んですかね…?」

男は微笑む。

「どうして、あなたがそこまでして社会に合わせて、壊れなくてはいけないのですか?」

「…壊れるほど合わせる場所は、 
少し危ういですね」

その言葉は僕のつかえた胸に、
小さな息吹が芽生えた気がした。

店の外に出ると、
辺りは夕暮れ時だった。

店の中を振り返ると、
男は小さく微笑み頭を下げる。

僕は同じように頭を下げると、
扉を静かに閉めた。

細く暗い道を通りながら、
店のことを考えた。

「香りを外に出さないために、
閉め切ってるのかな…」

手の中にある紙袋の封を
少し開ける。

ふわりと柑橘の香りに包まれる。

「…夢じゃ、なさそうだ」

口元が緩み、安堵の息が漏れる。

ちゃんとした準備はやめて、
今日は早く休もう。


お読みいただいて、ありがとうございました。本作は風まかせ文芸部さんの企画に参加しております。


あとがき

人は元気がなくなると、
元に戻ろうとします。

それも大切なこと。

でも、元気のない“あなた”のままでも
いい日があっていいと思うのです。

そこには、そうしていたい理由があるのかもしれません。

焦らず、今日の自分を
そっと包んでみてください。

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