赤紙の向こう側──経済小説っぽくなってきました
朝の外環は、いつもより少しざわついていた。
渋滞の列の中、信号待ちで耳に飛び込んできたのは、スマホのニュース通知だった。
「本日、ガソリン暫定税率が──廃止されます!」
画面を見た瞬間、信号が青に変わったことにも気づかず、後ろから軽くクラクションを鳴らされた。
慌ててアクセルを踏みながら、頭の中で予定を組み直す。
このまま次のスタンドに寄ろう。数字が本当に下がっているか、確かめたい。
料金所を抜け、給油所に滑り込む。
表示板の数字は、昨日より確かに低かった。
ノズルを握る手に、少しだけ力が入る。
給油口のキャップを閉めると、テレビカメラがこちらを向いた。
「暫定税率の廃止、どう感じます?」
マイクを差し出す若いリポーターに、僕はとっさに笑顔を作る。
「いやぁ、走る身には助かりますよ。毎日百キロ以上は走りますからね」
午後、川口の倉庫。
配送仲間たちが、いつもより声を張って冗談を飛ばしていた。
「次は消費税だな、五パーに戻せ!」
「そうだそうだ、景気回復!」
笑い声に混じって、ひとりだけ表情の固い男がいた。
雑学王の森田。古本屋上がりで、配達の合間に本を売り買いしている変わり者だ。
「おい真田、前例ってのは怖いぞ」
「え、なにが?」
「“減税できる国”ってラベルを自分で貼っちまった。政治は味をしめる。市場は眉をひそめる」
「市場?」
「金の海さ。泳ぎ方を間違えると、足首を掴まれる」
その時は、森田の言葉を半分しか理解していなかった。
ただ、空気は確かに軽くなっていた。アクセルが少しだけ柔らかく踏める、そんな気がしていた。
インタールード① 「暫定税率」と「軽油」と、政治の甘い罠
翌朝、積み場の休憩所。
森田がコーヒー缶のプルタブを引いて言った。
ガソリン暫定税率は国の税。だから政治の“成果”にしやすい。
僕の軽バンはガソリンだから恩恵を実感しやすい。
でも軽油は地方税(軽油引取税)で、農業用は免税がある。つまり“みんな得した”わけじゃない。
いちど「減税できた」前例をつくると、次は消費税に飛び火する。
市場(とくに海外のカネ)は「安定財源を崩す国=債券が不安」と見なす。国債の金利が上がりやすくなる。
森田は紙ナプキンに矢印を書いた。
「減税の前例」 → 「次も減税期待」 → 「財政規律に疑念」 → 国債売り → 金利↑(=債券価格↓)
「……で、金利が上がると?」
「ローンも企業の借入も、実質値上げだ。景気を冷やす。甘い罠ってのは、たいてい最初のひと口がうまい」
僕は缶コーヒーを飲み干した。
確かに、最初のひと口はやけに甘かった。
