赤紙の向こう側──排外主義は捨てようという話
未曾有の金融危機から数年が経った。
都市は静かに息を詰めていた。商店街のシャッターは下りたまま、工場は週休四日に縮み、夜の繁華街からはネオンよりも空き店舗の貼り紙が目立った。失業率は公式発表より高いと言われ、給料は据え置きどころか、手当や残業代が切り詰められ、実質賃金は目に見えて落ちていった。
生活は縮み、娯楽も縮み、人々は移動を減らし、タクシーも路線バスも客足が細った。物流は生き残ったが、軽貨物で都市を走る仕事はじりじりと単価が下がり、気づけばガソリン代と保険料のために走っているような日々になっていた。
ライドシェア解禁のニュースが流れたのは、一年前のことだ。
「軽バン一台で食えるなら、田舎でやってもいいな」──それなら、と山間の町に移り、半農半ライドシェアという暮らしをはじめた。
「稼ぐこと」よりも「使わないこと」を重視した生存戦略だ。残念ながらGDPには貢献できない。
自分で作った米や野菜を食べて、ペロブスカイト太陽光発電を利用して電力消費を補助。現金収入は、畑の横でアプリを立ち上げ、配車の音が鳴れば軽バンで出る。
道は空いているし、乗せるのは病院帰りの年寄りか、観光に来た外国人ばかりだ。
ただ、地方行政はいつまでたっても「子育て世帯を呼び込めば町は再生する」と信じている。
確かにそうかもしれないが、それを全国一律に奪い合えば、条件闘争に負ける自治体は出てくる。
それに、実際には、育った子どもたちは高確率で都会に出て行く。人口再生産のために費やした税金は、結局、都市部の人的資本を補強するだけになりがちだ。
他方で、中高年移住の利点は大きい。競合する自治体がまず少ない。再生産コストはかからない。子どもがいないから身軽だし、親世代を看取ってきているから医療費の相場も肌感覚で知っている。氷河期を生き延びてきたタフさもある。
お役所が数字で測れない部分にこそ、可能性が眠っている。
先月の総選挙では、意外な政党が台風の目になった。
「年金制度は一旦解散」
「消費税は20%まで引き上げて社会保障を一元化」
──そんな過激な公約を掲げる“増税政党”だ。
普通なら耳をふさがれるような話が、財政破綻を一度味わった有権者には逆に刺さったらしい。
「未来の負担を先に払ってしまえ」という開き直りが、世間の気分に妙に合っていた。
その結果、与党は辛勝しつつも財政規律路線を明確化。
増税政党は議席を伸ばし、国会の空気はこれまでとまるで違うものになった。
僕のような零細ライドシェア運転手にとっても、消費税20%や制度簡素化の議論は他人事じゃない。
配車アプリの決済画面にも、しっかりと新しい税率が反映されている。
ある午後、川沿いの道を走っていると、後部座席から森田が顔を出した。
「おまえ、なんだかんだで元気じゃねえか」
森田は相変わらず配送の仕事を続けているが、休みを使って遊びに来たらしい。
「まあな。ここ、観光客多いし」
僕はハンドルを軽く切りながら答える。
「この前の消費増税、観光客にもかかってるだろ。12%になったし、免税品制度も見直されたから、インバウンドからその分税金が取れる」
森田が言うと、僕は笑った。
「そうそう。しかも制度がちょっと簡単になったから、外国人も健康保険や年金に入りやすくなった。
働き手が増えりゃ、保険料の負担も分散できる」
そのとき、森田が窓の外を指さした。
川沿いに並んだ古い旅館の合間から、新しくできたアニメの聖地巡礼カフェの看板が見える。
森田が、ふと思いついたように言った。
「案内板や看板も、いっそ日本語だけでいい」
「なるほど。旅行者が撮ってアプリで翻訳すりゃ済むもんな」
僕が相槌を入れる。
「そうそう。むしろそのほうが情緒あるだろ。英語や中国語で『駅前商店街』なんて書かれてても味気ないじゃないか。飲食店のメニューもそうだな。こっちは自分の町を自分の言葉で残していけばいい」
「インバウンド増税って、つまり消費税引き上げで外国人からも取るってことだろ?」
森田が缶コーヒーを開けながら言った。
僕は軽バンのボンネットに腰をかけ、畑の向こうに沈む夕陽を見ていた。
「そうだな。爆買いしたら、そのぶん年金や医療の財源になる。
観光立国って言うけど、今までは“おもてなし”だけで、ほとんどタダみたいなもんだった」
森田はうなずきながら続けた。
「とはいえ、外国人が増えると文化摩擦は避けられねぇ。
食べ方、時間の感覚、礼儀……細かいとこで衝突する」
「そこはアニメだよ」
僕は笑って、商店街のアーチを指さした。
そこには大きくアニメキャラが描かれ、週末には外国人観光客が列を作る。
「観光客も移住者も、日本の作品を見て来るから、価値観の“予習”が済んでる。
時間を守るとか、行列に並ぶとか、靴を脱ぐとか──文化教本はもう放送されてるんだ。
役所のレクチャーは眠いだろうが、推しの話には耳を傾けるだろ?」
森田は「なるほどな」と言って、缶コーヒーをひと口。
「なら、こっちもそこまで構えすぎずに済むな」
僕は軽く頷き、エンジンをかけた。
規制が緩もうが、税が上がろうが、戦場は変わる。
だが、ハンドルを握って進み続ける限り、まだこの道は途切れそうにない。
(完)
