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【生い立ち②】こどもが生まれて人生最大の暗黒期突入〜立ちあがったキッカケ

この記事は①の続きです!

この記事を読むと、こどもが生まれて専業主婦でスキルなし、産後うつの暗黒期からどうやって立ち直り、転職だらけでスキルがない私が好きを仕事にしていったかがわかります!

初めての子育て、想像していたのと違う!!!


2019年に長女を出産。
同時に明和町に家を買いました。

初めての育児。
私は子育てに全力で向き合いました。


全て完璧にこなす。

今までの私からしたら、大きいホテルで何百人のデザートを仕込んだり、レストランでキッチンスタッフとして働いていたし、段取り命のパティシエ出身だからたった1人の赤ちゃんの対応なんて完璧にこなせることができる。

そう思っていました。


今思うと、これが一番危険な考えでした。


知り合いがいない地で、
娘は寝ない・食べない子。


ちょっと車で1分でも寝ようもんなら夜なかなか寝ないし、離乳食も通常6ヶ月くらいから始まりますが、11ヶ月頃までほぼ食べませんでした。

赤ちゃん用のパンとミルクを毎回100ccくらい。
それで生きてました。

子育て支援センターに行っても、食べる子や寝る子の話を聞いては落ち込むし、寝る時間がどんどんずれていくので、そもそもオープンしてる時間に合わせられない。


ご飯も店で大量の仕込みを時間通りやっていたし、子どもや年下と遊ぶのは好きな方だし、私はうまくやれる自信がありました。

でも、現実は準備をする間がない。
何にも予定通りにいかない。

頑張って娘を泣かせながら作った離乳食は
【食べてくれない。】


たった一杯のコーヒーすら飲めない。



トイレすら自分のタイミングで行けない。

一日中子どもと一緒にいるから
やりたいことをやれる時間がまったくない。

毎日届く書類やハガキ、あとで落ち着いたら見ようと思って机の上に置いたものは1ヶ月経ってもそのまま。

積み上がっていくばかりでみる間がない。



暗黒期突入

ここから私の最大の暗黒期が始まります。

2021年春。
長女がちょうど2歳すぎぐらいの時。

コロナが流行りつつある中、私は次女を妊娠。


当時はコロナで、県外への移動をしてしまうと産婦人科で見てもらうのに制限がかかる。
1週間くらい熱がないことを確認しないと、
次の県外をまたいで産婦人科を受診できない、みたいな感じがあって。

一人目のときに結構お腹が張っていて、早産リスクがあったので、
それがちょっと気になっていました。

それで、「検診で見てもらえないのは無理だな」と思って、
その時は、もうつわりがひどくて、2歳の子どもの相手ができなくて、
何かあった時にすぐ対応できる実家に帰ることにしました。

妊娠が分かった時から移動を規制していて、
結局、出産するまでずっと実家に。

2歳の娘も、コロナで出かける場所もなくて、
そもそも連れて行ってあげることもできなかった。

実家の人たちはみんなまだ現役で働いていて、
フルタイムとか毎日のように働いていたので、
平日にどこか連れて行ってもらうということもできなかった。

私はご飯をほとんど食べれなくて、
かつ長女がすごい偏食で、当時は知らなかったけれど、いろんなものにすごく敏感で、
音とか匂いとかにうるさく、食べ物もすごい偏食だったのでめちゃくちゃ育てにくいなという印象。

だから実家の人たちにもストレス、
私にもストレス、
娘にもストレスだったと思う。


遊んで発散ということもできなくて、
とにかく発散する場所がなくて、ふつふつとしていた。

叫んだり暴れたりすることが増えて、
朝起きた瞬間から叫び出して、それがずっとな状態だった。

とにかく、
朝起きた瞬間から叫び出して、
水も飲めないまま、どこかに連れて行く。

暴れすぎるので実家の人の迷惑にならないように外へ連れ出す。
でも外へ連れ出しても、妊娠中であまり遊べない。

当時は遊び場も「1時間以内に出てください」みたいな制限があったので、
ようやく慣れてきた頃にもう出て行けと言われる。

せっかく遊べると思ったのに、
「もう出て行け」となったら、娘の感情も爆発する。

その爆発した子どもをなだめながら車に乗せて、
お腹も大きいので抱っこもあまりできないし、
どうすることもできない。

そういう子を連れて毎日外に出る。

でも家に帰っても、
例えばリモコンでアンパンマン以外のテレビをつけたら叫んで、
「これ見たくない!」と怒ったりする。

家族はやっとの休息で見たいテレビも見れないし、
みんなの“癒し”や“リフレッシュ”の時間がなくなって、
家全体がきつきつな状態。

かつ、めちゃめちゃ声が高い娘がずっと叫んでいるような状況で、
みんなイライラしだして、
叫んで怒るしかない娘に対して、
私はそれを怒られないように先回りして対応しようとして、
娘はどんどん要求が加速していった。

私は休息ができないまま、
ご飯やトイレすら行くタイミングがなくて、
私がちょっと離れると娘が叫んでしまうので、
人の迷惑になるから、タイミングも難しかった。

とにかくずっと頭の中は…

しんどい
イライラ
疲れた
助けてほしい

そんな状態だった。

本当にどこにも心のよりどころがなくて、

・深夜3時にクリームシチューを作ったり
・朝6時、朝露でびしょびしょの公園に連れて行かされたり

そこから全く寝ずに次の日も公園に連れて行って、
「やっと寝れる…」と思ったら、今度は娘が覚醒する。

寝るのも、食べるのも、すべてがうまくできない状態。

本当に、生きているだけでやっとだった。

体重もどれぐらいやろう、
10キロぐらい落ちたかもしれない。


ある夜、娘を寝かせながら、ふと思いました。

「あれ?私って、なんのために生きてるんやろ。」




「みんな我慢してるから、私も我慢しよう」と思ったけど…

「子どもが小さいうちは仕方ないよ」
「数年我慢したら、また自分の時間ができるよ」

そう言われて、
あぁ、みんなそうやってるんやなって思いました。

だけど…心が追いつかなかった。

私の長女が3歳、下の子が1歳のときに計算したんですよ。そしたらあと5年くらいは要りそう。

「あと5年我慢したら楽になるかも…」
でも、そう思った瞬間ゾッとして。

あと5年?
え、そんなに長いん?って。

そして思ったんです。

「私はそれでも我慢できるかもしれんが、
でも、娘がママになったときに、
同じように絶望するのは嫌や。」


だから、子育てが一番しんどいときに動こうと思った

子育てが大変な時期に“挑戦する”って、
めっちゃ大変です。しかも私は実家は遠方。なにかあっても助っ人はいません。
でも私は、こう思いました。

「自分が一番しんどいときに、楽しく動けたら娘にも希望を持たせられるかも。」

それを証明したかったんです。
“ママだから我慢しないと”じゃなくて、
“ママでもできる”を見せたかった。


在宅ワークってどうやって始めるの?

でも現実は、専業主婦。
スキルゼロ。資格なし。人脈なし。

「在宅ワークってどうやってやるん?」
って検索しても、なんか難しそうなことばっかり出てくるし、
データ入力とか、1件10円みたいな世界で。

正直、希望より無謀感のほうが大きかったです。


初めは3時間で800円くらいの内職とかもしました。

でも、もしここから私が変われたら、
娘に“生き方”を見せられる気がして。
とりあえずやってみることにしました。


Webデザインのオンラインスクールに入った

2022年の8月。
思い切って、Webデザインのオンラインスクールに申し込みました。
全5回、1回3時間。たった1ヶ月の講座。


子どもを預けるために、何度も一時保育を予約して。シッター代も出るのが決め手でした!

5回と言っても、講義を受けるだけでなく
終わったあと復習したり、画像つくったり。

めちゃくちゃ大変でした。

でも、1ヶ月だから今だけ頑張る。

そうして旦那にも協力してもらいつつ
寝室の横のクロゼットでパソコン開いて
勉強しました。

おかげでキャンペーンに受賞し、受講料が無料に!!

当時は毎日10時間ほど作業していました。


でも


めっっちゃ楽しかったんですよ。

「子どものため」だけじゃなく、
“自分のために動く時間”が久しぶりにできたから。

私にとって生き返った瞬間でした。

「もっと上手くなりたい」
「もっと理解したい」

そんな“欲”がどんどん出てきて、
世界が変わった気がしました。



クラウドワークスで500円の案件から

スクールを卒業して、すぐに仕事が来るわけじゃありません。
最初はクラウドワークスで、
インスタの画像制作500円とか、
ちっちゃい案件ばっかりでした。

でも採用されたときの喜びは、ほんとに大きくて。


下の娘が10ヶ月のときに保育園に預け始めました。
8月にスクールを一時保育を利用しながら受講。
9月は卒業課題
10月から求職中で保育園に預けました。

求職中で出したので、3ヶ月以内に就労証明が要ります。

まだほとんど収入がない中で、
実績をかき集めて、資料20枚くらい作って、
役場に出して、何度もやり取りして。

田舎だから在宅ワークの前例がなくて、
ほんとに大変でした。

収入なくても、開業届を出しました。

ようやく正式に預かってもらえるようになりました。


「リアルな現場で経験したい」と思った

オンラインだけじゃ限界がある。埋もれる。
そう思って、「リアルな現場にいこう」と決めました。

でもデザイン会社とか広告代理店とか、
そんなバリバリの世界に行く気はまったくなくて。

子どもが小さい私には絶対無理。
休めへんし、周りに迷惑かけるし、
なんなら足引っ張る自信しかない(笑)。


だから探したのは、
「デザインが必要そうだけど、専門の人まではいない会社」。


出会ったのは「ふるさと納税の会社」

町の観光やふるさと納税をやってる会社で、
「画像編集をできる人募集」って求人を見つけました。

Photoshopが触れたら歓迎、って書いてあって。
「これなら私でもできるかも」って応募してみたら、採用。


最初はコールセンターの仕事も兼務。
でも、「Photoshopでデザインもできます」って言ったら、パンフレットの表紙を任せてもらえるようになって。


次第に中身も、パンフレットを1人で作ることになりました。


SNS運用を提案して、在宅ワークに変わった

数ヶ月後、会社で
「もっと色んなアイデアをだしたい」って話が出たんです。

そのとき私はピンときました。

「これからはSNSや!」

ちょうどパートが決まってから、この会社はSNSが絶対に必要になる。

なにをするにもSNSは役に立つ。


そう思って、私は当時SNSの講座を受けてたのです。

そこで
思い切って提案しました。

「インスタ、私がやります!」
企画書なんて作った事もないけど、講座でまなんだことを元に資料を作りました。


そこから本格的にSNS運用を担当させてもらって、
撮影・編集・投稿・分析…ぜんぶ私が担当。

カメラは元々好きで、分析も好き。
食料品のスタイリングも得意。
なぜならカフェをしようと専門学校にいっていたのだから。

調理動画や写真を撮り、自分のすきな事が評価されるという状態に初めて体験しました。


でも、撮影や編集は音声を出したり、事務所じゃやりにくくて、上司からの提案もあり、週1で打ち合わせ、あとは撮影にいったり在宅で編集したり。

それで契約がパートから業務委託に変わって、
私の“在宅ワーク生活”がスタートしました。



 

救急車ではこばれる



2023年7月
在宅ワークを始めて数ヶ月、どんどん仕事が増えていきます。

ついにフルタイムほど働かないとおいつかないようになりました。

保育時間を伸ばしたかったですが、承認されず、寝ずにやるしかない状況に。

そんなとき、主人は関東へ出張。

当時、1歳と4歳をワンオペでみている時、私は救急車で運ばれました。


理由は乳腺炎からの40度の熱。




旦那はつい昨晩出張に送り出したばかり。

時間は夕方。1番忙しい時間。
近所の知り合いは、双子や新生児がうまれたばかりで頼れない。

実家は遠方、さらに退職旅行で北海道。
義実家は目が悪く片道4時間を夜は運転できない。

主人はもう帰る手段がない。
一人でどうにかするしかない。


救急室の床で遊ぶ娘
びっくりするくらい色々重なってるw
10日が倒れた日


もうこの日から私は絶対に移住すると決めました。







「遊び場を作りたい」と思ったきっかけ

在宅ワークができるようになって、
慣れてきて時間の自由は少しできたけど、
土日に休まらなかった。

土日は子供たちの対応や公園。

でも土日に体力残ってない。

ママが休まる。
そんな場所あったらなーて思ってました。


当時参加していた自治体の起業コミュニティの仲間たちと活動していたときも、子連れで集まる場所がなくて苦労しました。

打ち合わせしてても、
子どもが飽きて暴れだす。
でも預けられないから一緒に連れていくしかない。

「だったら、私が作ればいいんじゃない?」
それが“遊び場づくり”のはじまりでした。

で、在宅ワークも叶ったから、遊び場を作りたいという夢も言い出したら、叶うんかな?って


その頃ちょうど近所の小学校が廃校になり東京の企業が運営するという情報が入りました。



はじめてのイベントで見えた“居場所の力”

2023年10月。
廃校施設オープンの日、

イベントでキッズスペース作ってと誘いがあり、作りました。





来てくれた親子は50組ほど。



アンケートを取ったら、
「室内で安心して遊べる場所が欲しい」
って声がいっぱい!


教室を借りるのは
1室3万3千円。

正直、怖かった。高い。
でも、心の中ではこう思ってました。

「イベントを何回やっても、
周りと同じことをしてるだけじゃ、世界は変わらん。」

だから私は決めました。

「固定の場所を持とう」

その一歩を踏み出した瞬間、世界が変わりました。




廃校の部屋を借りて、
ペンキ塗って、床にシート貼って、
全部家族総出のDIY。

週末は子どもを遊ばせながら作業して、
パパにも手伝ってもらって、
やっと完成した空間。

そこが「遊び場カフェ」です。




振り返ってみると

学生のころは、
「消えたい」って思ってた私が、

子育て中に「なんで生きてるんやろ」って悩んで、

でも今は、
「生きてるって楽しいな」って思えるようになった。

全部、行動してきたから。

行動すれば、人生は変わる。
そして、ママの挑戦は次の誰かの勇気になる。

それが、私の原点です。

🌿
ここまで読んでくださって本当にありがとうございます。
次は、私が「この遊び場を作って見えたこと」
そして「これからどんな世界を作っていきたいか」について話そうと思います。


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