本当に『頑張らなくていい』のか?|「安心の値段」優しさが売れる市場
2018年くらいから、ここ数年の間に優しい言葉をよく見聞きするようになった気がする。それは働き方や多様性に関わることで、「頑張り過ぎない」「無理をしない」といった意味合いの言葉だ。
僕の印象だと、働き方改革が始まったことにひとつの要因があるように思う。この改革が成功だったかは置いておくとして、一時的にはワークライフバランスを重視する働き方を多くの人が実践した。
そしてその流れのなか、コロナが発生してステイホームが続き、自然とあまり過剰な労働をしなくなっていったのだと思う。
「頑張らなくていい」「自分を大切にしてください」そういった言葉をよく目にするようになった。ワークライフバランスを重視した考え方の場合は、心身の健康を優先した言葉が多く世に出ていた。
これはその言葉の受け手たち、要は私たち消費者側がそういった言葉を求めていたから大量に発生していたのだと思う。多くの人が少し無理をしてしまうくらいに気を張って生きているんではないか。
こういった言葉は、周りが見えないくらい必死になってしまっている時に心に刺さる。「自分は頑張り過ぎていたんだ…」そう我に返って生活を変える決断をする人も多いのだろう。
一方で、言葉は残酷なまでにひとり歩きをしがちでもある。「頑張らなくて良い」を真に受けてやるべきことをせずに、ただただ怠惰に生きてしまっている人が多いのも事実である。
僕もこういった「心配しなくていいですよ」といった言葉が刺さった経験がある。それは20代の頃にがんに罹ってしまい、死ぬことを強く意識して手術の日を待っていた時のことだ。
病院のなかにコンビニが併設されていて、その雑誌棚に医療雑誌が多く置いてあった。そこに「心配しなくていいですよ」と書かれていたのである。
何の根拠もなく、中身を読んでもいない状態にもかかわらず、当時の僕は漠然とした安心感を抱いた。嘘でもいいから希望が欲しかったのだと思う。
つまり、消費者が求めている気持ちが目を惹くかたちで言語化されていると、シンプルによく売れるのだと思う。市場でモノが売れるのは需要と供給の関係であり、人々が働きたくないと思っている時代には「頑張り過ぎないように」「自分を大切にしてください」といった本が売れ、人々が稼ぎたいと思っている時代には「稼げるようになる裏技○○!」の様な本が売れる。
個人的な感情を言うと、何の根拠もない情報にも関わらず「大丈夫ですよ」といった言葉を世に出すのは無責任に感じることもある。「頑張り過ぎないように」という言葉を真に受けて努力を辞め、結果的に貧乏人に慣れ果てたとしても誰も責任は取ってくれない。
ただ、僕が病気の時に根拠のない「心配しなくていいですよ」という言葉に安心を見出し、精神的安定を手にして手術に臨めたのも事実だ。嘘でもいいから安心が欲しい、という消費者だって存在するのである。
安心を商材としている代表格は保険業である。実質的には必要のない不合理な保険プランも、巧みな営業手法と「みんなが入っているから」が理由で多くの人が加入して月々に多額を支払っている。
見直しをする判断基準としては、思考停止状態で加入を続けているのなら解約、意図的に安心を買っているのなら継続もあり、といったところが僕の安心と金銭に対する個人的な意見だ。
安心も大切だけれど、金も大切だ。この記事がみなさんの賢明な判断の参考になれば嬉しい。
