無気力に効く薬はない|自分で決断することの意義
今まで仕事人間だったような人が、ある日突然無気力に襲われて急に働かなくなってしまうといった話をたまに聞く。MRI検査をしても神経も含めて身体的な異常は見られず、ただ単に物事への興味関心が消え失せてしまい「やる気が出ない」と嘆いて一日を過ごすのだ。
今のところ僕は、ここまで極端な状態にならずに済んでいる。仕事の責任から逃げだしたいことはあるし、面倒な人間関係を避けたいと思うことはしょっちゅうあるが、物事への興味関心そのものが失せてしまうことはない。
ただ、最近少しだけこういった無気力になる現象の気持ちがわかるようになってきた。というのも、少しだけ仕事の忙しさが緩和されたからだ。一年前は仕事が過剰に降ってきてしまい、日々忙殺されていて休みの日も仕事のことを考えてしまう状態だったが、今年はそれが昨年に比べて緩やかになっており、よく休むことができている。
そうなると余暇の過ごし方を考える必要が出てくるが、1年以上忙殺されて暮らしていたこともあり、休日の時間をうまく使うことができない。休みの日を無駄にしてしまうようなことが増えた。
これにより、あんなに渇望していた余暇の時間を自ら失ってしまっている現実と直面することとなり、それが日頃のやる気の喪失に繋がっている気がする。これが続いてしまうと、もしかしたら僕も無気力の病に侵されてしまうかもしれない。
先日、よく眠れない日が続いていたので通院をして睡眠導入剤や抗不安薬を処方してもらった。これが効果てきめんで、睡眠の質が上がり身体の回復力が格段に上がっている。心の底からリラックスができるようになった。
これと同じように無気力に効く薬はあるのだろうか。
そんなことを考えてしまったが、無気力に関しては薬は効かないのではないかと思っている。そもそも「身体的な異常はないにも関わらず無気力である」という状態なのだから、当たり前と言えば当たり前なのかもしれない。
無気力に効くものは、自身で決断して行動することによって自分の生活を自分でコントロールしている実感を感じることだと何かの本で読んだことがある。確かに決断というのは心理的な負担はあるものの、自己決定による自信が日頃のメンタリティに深く関係するのは頷くことができる。
そう考えると、多くの人が自分の生活を自分でコントロールできていない側面があるように見える。会社の言いなりの人もいれば、恋人や家族の言いなりの人もいるだろう。そういった環境下にいても、少しでも自分で決断して行動し、自分の生活をコントロールしなければ無気力を脱することはできない。
薬を飲んでやる気が出れば、こんなに楽な話はない。まぁ、楽ではないからこそ、やる気が出た時の人生は魅力的なのだと思う。
僕ももう中年の年代に差し掛かっているので、無気力という病は他人ごとではない。自分で決断するシーンを少しでも増やして、無気力に陥らずに前向きに人生を生きていけるように気を付けていきたい。
