「毎日感動」できるものなのか|ポジティブの限界と哲学
英会話を習っていたことがある。当時のアメリカ人講師の名前はクリスティ。彼女はボストン出身で、レッドソックスの球団職員を経験していた。
彼女は自己紹介の時に「私はボストン出身でフェンウェイパークの職員をしていた。フェンウェイパークは美しい球場で、出社する度に毎日感動していたの。毎日よ。」と言っていて、アメリカ人らしい明るくポジティブな雰囲気で語ってくれたことが強く印象に残っている。
フェンウェイパークは、1912年に開場したメジャーリーグの最古の球場である。ボストンレッドソックスの本拠地であり、日本人では松坂大輔や吉田正尚が活躍したことから、日本でも知名度は高い。
球場の最大の特徴は「グリーンモンスター」と呼ばれる高さ11メートルを超えるレフト側のフェンスで、独特の特徴から世界中の野球ファンにとって聖地であり、ボストンのランドマークと見なされている。

フェンウェイパークのことは僕も知っていたので、クリスティの自己紹介は理解しながら聞いていた。しかし「毎日感動」できるなんて本当か?と思いつつ、少し羨ましい感情を抱きながら聞いていたことを強く覚えている。
当時の僕は20代前半で、まだ社会人として働いた経験がなかった。書店でアルバイトをしながら、なけなしの給料で英会話の授業料を支払っていたのである。
病気を機に社会人として働けなくなり、治療を経て社会復帰を目指すも世間の風当たりは厳しく、現実に目を背けたくなるような苦虫をかみつぶしながら生きていた時である。そんな時に陽気なアメリカ人女性が「毎日感動」していた話を聞いたところで「本当か?」と疑ってしまう。
とはいえ「本来の人生はこれくらいポジティブなものなんだろうか」と自問するきっかけにもなった。
日本人の感覚からすると、欧米人の話し方や価値観が極端に明るく感じるだけかもしれないが、とにかく当時の僕はそのポジティブさを見て、素直に自分もこういうマインドで生きられるように頑張るしかないと思っていた。たぶん学生の頃だったら、少し斜に構えた視点でそのポジティブさを捉え、行動変容にはつながらなかっただろう。
その甲斐もあって、その後は再就職を手にし、今もある程度は満足できる日々を送っている。自分が誰かに自己紹介をする時に、あそこまでポジティブに語れる自信はないが。
それでも、ネガティブな気持ちでいるよりは、たとえ口先だけになったとしても『毎日感動』できるように生きた方が、人生は少なくとも前向きに進んでいくのだろう、と今では思う。
だが、クリスティの「毎日感動」が、100%本心からの言葉だったかどうかは正直なところ疑問だ。その後、仲良くなった受講生の友人から、英会話教室内での講師と運営の不仲や退職の噂を聞くこともあった。そりゃあ職場だし、そういったいざこざはたくさんあるだろう。彼女だって、グリーンモンスターのように越えがたい職場の壁に、何度も直面していたに違いない。
それでも尚、彼女がレッスンの初めに「毎日感動してたの」と笑顔で言い切ったのだとすれば、それはもはや、単なるお国柄のポジティブさなどではなく、プロの講師としての最高の演技であり覚悟だったとも捉えられる。

グリーンモンスターは、フェンウェイパークがレフト側のフェンスまでの距離が異様に短い変則的な形状であったため、容易にホームランが出ないよう建設された歴史を持つ。
このフェンスは次第に象徴的な存在となり、地元ファンだけではなく世界中の野球ファンにも知られる名物球場にまでなった。そんな「超えられない壁」という存在は、ファンの間で様々な哲学的な比喩として使われていく。
悩みや不満という現実の「超えられない壁」の存在は否定するのではなく、「毎日感動」という物語で覆ってドラマチックな人生の演出として見え方を変えていく。それがボストン流の哲学なのかもしれない。
ここまで大袈裟な感性を持つことは僕にはできそうにないが、少しでも参考してポジティブに生きていきたいと思う。その点で彼女には今も感謝している。
