馴れ合いよりも孤独、孤独よりも仕事、仕事よりも大切な優先事項
大人になってからは、休日をひとりで過ごすことに慣れてしまった。寂しく思えるかもしれないが、自発的にひとりを選んでいるのだから、本人は至って快適だ。
この前、久しぶりに飲み会に参加してみたが、正直あまり楽しむことができなかった。「この数千円があればあの本が買える」「この2時間があれば、読みかけの章を読破できる」……そんな損得勘定が頭をよぎってしまう。誘ってくれた友人には申し訳ないが、そう感じてしまったのだから仕方がない。
30代後半ともなれば、周りからどう思われるかなど関係なくなってくる。無理をして「付き合いのいい奴」を演じるくらいなら、孤独と言われようが喫茶店でひとり読書をしている方が、僕にとっては遥かに有意義なのだ。
つまり、個人的には「馴れ合い」よりも「孤独」の方が、時間の価値は高いことがわかる。
一方で、完全に孤独になりたいわけではない。矛盾するようだけど、「仕事」で人と関わっているからこそ、休日の孤独が心地よいのだ。これは20代で闘病し、社会との接点を失った無職期間があるからこそ分かる感覚だ。
完全なる孤独は、精神を蝕む。ドラッカーが言うように「仕事は嫌いな人ともできる」という利点がある。自分と合わない人間を知り、社会という広場に立つことは、精神衛生上必要なコストだ。
ゆえに、「孤独」よりも「仕事」の方が、人生における重要度は高い。
かと言って、僕も「仕事人間」ではない。家に帰ってまでPCを開きたくはないし、睡眠を削ってまで会社に尽くす気は毛頭ない。 仕事はあくまで手段だ。
では目的は何かと言えば、それは信頼する人や尊敬する人と過ごす時間にある。 広義の意味での「愛」と言ってもいい。家族や親友と、腹を割って話す時間が大切だと思う。この充足感に勝る仕事があるかと言うと、今のところ僕は経験できていない。
つまり、「仕事」よりも「愛」の方が、優先順位は高い。
では、「愛」が頂点かと言うと、ここが難しいところだ。愛には、少なからず「束縛」や「依存」が伴う。実は相手のことが好きなのではなく、孤独や経済的な不安を埋めてくれる存在として相手を求めていることがお互い生じているケースも多い。そして往々にしてそうしている自分たちに気が付けないことが多々ある。
孤独でいられる強さを持ち、経済的にも自立をした状態をお互いが保ち、その状態で生じる愛こそが至高なのかもしれない。理想論だと言われればそれまでだが、妥協して時間が経過してしまうような人生を望む人は少ないのではないか。
30代後半になったことで、人生は短いということが身に染みてわかってきた。あたかも人生のカウントダウンが始まったかのような感覚が少なからずある。
人生が短いということを理解できていれば、こうして人生における優先順位を整理しておくことはとても大切になると思う。この優先順位は人によって異なる。自分にとっての人生の優先順位は何か、これを機にぜひ考えてみて欲しい。
