生成AI時代の文章の読み方を考える
彗星のごとく訪れた生成AIの時代。もはやAIがなければ仕事にならないという人もいれば、私生活にも活用している人だっているだろう。
ここ最近、ChatGPTを活用してブログを書き上げたりKindle出版をしてみたり、文章の作成業を指南してくれる記事をよく見かける。生成AIは文章の生成に長けているから、文章を書くことが苦手な人でもプロンプトのコツさえ学べば代わりにAIが自分よりうまい文章を書いてくれるのだ。しかも数秒で長文が出来上がる。
僕も仕事では議事録を書いてもらったり、資料作成時にたたき台を作ってもらったり、できる限り活用するようにしている。
こうして考えてみると、現在既にたくさんの人が生成AIに文章を書かせたうえでネット上に公開していることがわかる。それはネット上だけではなく、出版社から本を出しているプロの作家やライターも同じだろう。
そこでふと思うのが、自分が読者として文章を読んでいる時、これからの時代はその文章を書いたのが人間なのかAIなのか実はわからないまま読んでいるのではないか、ということだ。
ChatGPTは2022年11月30日に公開されたから、2022年11月29日以前に書かれている文章は、ほぼ間違いなく人間が書いている文章ということになる。逆に言うと2022年11月30日以降に書かれている文章は、時代が進むに連れて生成AIが書いている可能性が高くなってくる。
「この人の文章は人間味があって好きなんだよねぇ」とか「生活感のある等身大のブログがいつも楽しみ」といった文章への感想も、実は人間が「人間味のある文章で書いてください」「生活感のある等身大の文章を書いてください」といったプロンプトを叩いているだけで、文章は生成AIが書いている可能性は結構高いと思う。
そうすると読み手としては作家やクリエイターに好感を抱くことになるのか、生成AIを凄いと思うのか、それとも作家やクリエイターが生成AIとうまくやっていることに好感を抱くことになるのか、思いの馳せどころをどこにすればいいのかわからなくなってくる。
一方で、書き手としても読み手から「○○さんの文章がとても好きでいつも読んでいます」といったコメントやフィードバックを貰った時も「あれAIが書いてるんだよな」と思うんだろうか。それはそれで嬉しいものなのだろうか。
だから、これからは本やネット記事を読むときに、それを書いているのが人間かどうかを意識してしまうようになると思う。アシモフの『われはロボット』に人間かロボットか見分けがつかない政治家の話があった気がする。まぁこの手の作品は無数に存在しているが、ついに本当にそういう時代がきたということなのだろう。
気にしないという人はそれはそれでいいと思うが、僕の様にこんなことを考えてしまってしまうタイプの人は、文章の読み方を問い直す時が来ているのかもしれない。
