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食事と健康と『かもめのジョナサン』|病気に怯える人生

正直なところ、僕の食生活は健康的とは言い難い。朝はポカリを飲んだ後にコーヒーを飲みつつ、食パンを一枚食べて出勤する。昼はおにぎりを2つ食べるか何も食べないかどちらかで、23時頃に適当なたんぱく質を摂りつつ酒を飲んで寝る。

翌朝に酒が残っていたり、水分が足りなかったりすると、寝起きで飲むポカリが美味しくて生き返った気持ちになる。その後にコーヒーを飲むと悪夢から醒めたように落ち着いた朝のひと時が始まるが、始まったも束の間、また出社することとなる。こんな生活を続けている。

休日は朝の贅沢としてマクドナルドでソーセージエッグマフィンを食べながらコーヒーを飲み、昼にラーメンやら定食やらを食べたりもするが、大抵の場合は僕にとって食べ過ぎであり血糖値が急上昇して身体がだるくなり休日の貴重な時間を失い、夜になっても腹は減らず夕飯を食べないこともしばしば、といった感じだ。最近は禁酒をするようになったが、酒を飲みたくなる前にファストフードを食べてしまうという作戦で禁酒しているので、健康的とは言い難い。

こんな変なリズムの食生活をしてしまっているのは、単に僕がだらしないというのもあるが、20代の前半に胃がんに罹って胃を全摘出してしまった影響が大きい。当然だが、胃がない身体では普通の食生活はできず、少食であるうえに偏食になってしまった。お腹が空くタイミングも人とは異なるので、一般的に健康的だと言われている食事の時間には、そもそもお腹が空かずに食事を摂ることなどできない。そんな境遇で自分にとって適切な食生活を試し続けていたら、こんな変な食生活になってしまったのである。

僕の病歴を知っている知人からは、この食生活をしていることに驚かれる。普通は病気を経験すると、健康を強く意識した食生活に変わることが多いからだ。食事と健康は密接に関係しているため、がんにならない食事をしたくなるのは普通の考え方だと思う。

それは僕にとっても例外ではなく、添加物を避けてみたり加工肉を食べないようにしたり、菜食主義生活をしてみたり、健康的な食事を心掛けて生活をしていたことが何度もある。(胃を摘出したばかりの頃はそもそも何も食べることができなかったが)

しかし、結局のところ今の様な変な食生活に落ち着くことになってしまった。

もちろん、術後何年も経過したことから再発への不安が薄らいできていることも理由なのかもしれない。こういった気の緩みから、ある日突然再び病気になってしまうかもしれない。

ただ、やはりこの食生活になったのは、自分のなかで「食事」や「健康」が人生における最優先事項ではなかったのだろうと思っている。食事も健康も生きていくために必要なものではあるが、そのものが目的というわけではない。

『かもめのジョナサン』という古典的な小説がある。主人公であるかもめのジョナサンは、他のカモメたちが餌を摂るために空を飛んでいるのに対して、飛ぶことそのものに価値を見出すようになる。

飛ぶことにこだわりを持つジョナサンは他のカモメたちから変わり者扱いをされてしまい、群れから追放されることとなる。

この小説の解釈は読み手次第だが、自己実現の追求を考える人もいれば、スピリチュアルな世界に価値を見出す人もいると思う。とはいえ、ジョナサンの生き方からは、生きることの意味を考えるきっかけを得ることができる。

ジョナサンは、「より速く、より高く」を求めて、群れの常識を捨てた。一方で現代では健康的な食生活が常識的な概念になっている。そんな現代で胃を失った僕は健康の常識を捨てて、自分なりに折り合いをつけた食生活を送っている。

確かに健康的な食生活を送っていた方が、急な病気の心配もなく平穏が日々を過ごすことができる。ただ、健康であるべきだという信仰に縛られてしまうと「病気にならないための食事」「死なないための食事」といった概念に着地する。それって何だか不自由な人生な気がしてくるのだ。

人はいずれ死ぬ。そして人生は短い。そんな人生を病気への不安に縛られて生きてしまうのはもったいない。胃を摘出して10年以上が経ち、ようやくそう思えるようになってきた。

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