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会社員の困難は過ぎ去り、自分の代わりはたくさんいる

昨年の今頃、会社の変革にあわせて僕は中間管理職になったばかりで、ヒーヒー言いながら様々な業務に取り組んでいた。期待されていたと言えば聞こえはいいが、仕事をなすりつけられていたとも言える。とにかく仕事の業務負荷と責任に押し潰されそうになりながら生活をしていたのである。

当時は自分がどれだけ頑張っても周りが辞めてしまうことから、自分の目の前の仕事を片付けたとしても他の仕事が降ってくることで、まるでわんこそばの様に延々とタスクが待ち受けているような状態だった。非常にストレスフルだったことを覚えている。

そんなストレスフルな環境の筆頭にいたのは僕だったが、周りの同僚も同じような状況ではあり、彼らはみんな結局のところ辞めてしまった。

僕がこうして残ることができたのは、それが正解なのかどうかはさておき「この状況がいつまでも続くわけではないだろう」と何となく思えていたのが大きい。美しい言葉を使えば「やまない雨はない」といった感覚があった。

これは何も迷信めいた感覚の話ではなく、会社と市場の経済状況を概観した視点から得たものだった。もちろん自信があったわけではなく、何となくそう思えていたに過ぎない。

仮に僕に対して仕事が延々と降り続けたとしよう。僕は睡眠時間を削り、休日を返上し、ひとりで業務を全うしたとして、その業務によって生産された成果物のクオリティは担保されるのだろうか。正直無理がある状況だったことは、社内の誰が見ても明らかだった。(だから無理はせずに最低限の暮らしは守って働いていた)

あの時に「自分がやらなきゃ誰がやる」といった男気を出して睡眠時間を削り休日返上のサービス残業をしていたとしたら、事態はもっと悪くなっていただろう。人間は賃金が生じない時に仕事のクオリティは当然下がる。男気よりも給料の方が品質を高めるのだ。

もちろん、個人事業主や起業家の人たちは困難に対して男気を出し、命懸けでその問題解決にのぞんでいるだろう。その姿には僕も憧れと尊敬の念を抱くが、そういったストーリーを従業員に当てはめてはいけない。資本家と経営者と従業員は社会における役割がそもそも違うからだ。

その当時に僕が過剰な業務に耐え抜いていた間に新たな採用計画が並行して進んでいたようで、今年の3月から元外資系コンサルのビジネスパーソンが新入社員として着任した。今は彼が当時の僕のように過剰な業務を受け続けている状況にある。おかげで本来やるべきだった役割に集中することができて比較的平和に働くことができている。

もちろん、役割を取られてしまった感覚もなくはないが、日本の中小企業なので給料が下がったわけでもなく、個人的にはもっと労働時間が減らせないものかと考えているくらいである。

乗り越えられない様な困難が続く時、周りが見えずに問題解決の糸口が見えないことがあるかもしれない。もちろん転職をしたりして環境を変えることも一案だが、魅力的な新しい職場が見つからない場合は逃げ道がなくなってしまう。

そんな時は、社内でも市場経済の機能が働くことで、自分にとっての困難はいつか過ぎ去るという予測してみると良いかもしれない。残念で寂しいことではあるけれど、自分の代わりは他にいくらでもいるものなのだ。

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