本を読まない人が62.6%いるらしい
僕はこのnoteでもしょっちゅう読書について書いているくらい、日常的に本を読むタイプの人間だ。世の中上には上がいるので、自分を読書家とまでは言い切れる自信はないが、20代前半頃から始めた読書習慣は今も続いていて、本を読まない暮らしはもはや想像することができない。
一方で、文化庁の調査によると、漫画や雑誌を除く本(電子書籍を含む)を1か月に大体何冊くらい読んでいるかを尋ねたところ、「読まない」と答えた人は62.6%だそうだ。
つまり、本を読んでいる人が少数派、社会的にマイノリティーなのである。
自分が普段付き合いのある人は割と本を読む人が多く(だからこそ趣味があう仲間として継続した付き合いがあるとも言える)、noteをはじめとしたSNS上でも本が話題になる人をフォローしてるので、本を読んでいる人が実は少数派だという意識があまりなかった。いわゆるフィルターバブルに陥っていたわけだ。
だけど新しい知り合いができると、本を読まない人は確かに多いことがわかる。休みの日に何をしているか聞かれると「本を読む」と答えるが、その反応として「自分は本を読まない」というリアクションは多い。インドア派の趣味の人でもYoutubeを観て過ごすという人が増えた気がする。
ちなみに僕はここで「本を読むべきだ」とか「本を読んだ方が偉い」といったことを言いたいわけではない。むしろ、本を読まない暮らしをしている人に一種の羨ましさを感じることさえあるくらいだ。
それは何故かと言うと、何か人生で困難なことが生じたり悩みがあったりした時に、おそらく家族や友人に相談をすることでそれらに対処していただろうと想像してしまうからだ。わざわざ時間を掛けて本を読まなくても、相談できる人がいる。そういう良好な人間関係のもと生活をしてきているんだろうなぁと思うと、羨ましくてしょうがなくなる。
僕自身が相談できる人がいなかったかと言うと、全くいなかったわけではないが自分で考えるしかないと思い込んでいたため、結果的にひとりで本を読んで内省的に悩みと向き合っていたと言える。そうこうしているうちに、悩みも困難も自分で消化して解決するようになってしまった。
これは良くも悪くも大人になったという事だとは思うが、正直なところ友達はどんどん減っていった。悩みを相談する過程で友人と会う必要性が生じ、関係性が継続されていく側面があると思うが、そういった機会がなくなってしまうのだ。
太宰治が「本を読まないということは、そのひとが孤独でないという証拠である」と『如是我聞』に書いているらしい。僕は読んでないが。
だから、「本を読まない」とか「特に趣味はない」という人と話す度に、この人は人間関係が充実しているんだろうな、と勝手に思い込んでしまう。一種の羨ましさを感じるというのはこのことである。
とはいえ、僕は自分の価値観が変わり続けていくことに価値を見出しているので、その点においては孤独であっても本を読み続けていくんだろうなと思う。身近な人の目を気にして生きるのにも疲れてしまうし、それならば孤独を受け入れつつ自分の内的世界を拡げて生きていたい。
しかし、結局のところ、人はひとりでは生きていけないし「ひとりでいるのは好きだが、孤独死したいわけではない」といった、少し矛盾したスタンスで誤魔化しながら暮らしている。
これからどうやって人間関係を構築していこうか、本でも読みながら考えることとしよう。
