鬱本を巡る破滅の文学案内|なぜ暗い物語を求めるのか
昔から破滅的な物語に強く惹かれる。主人公が自ら破滅の道を歩むように人生を自ら捨て値で売り払い、堕落していく小説に心揺さぶられることがある。一方で、理不尽な力に翻弄されてしまう不条理な破滅にも強く心を惹かれる。
これは「人の不幸は蜜の味」という人間の趣向なのか、それとも辛い人生を生きる人から魅力を見出そうとしているのか、自分でもよくわからない。とにかく面白そうと思って手に取ってしまい、実際によく読んでいるのだ。我ながら趣味が悪いと思う。
そんな破滅的な小説をいくつか紹介したい。まずはクッツェーの『恥辱』。本書は2003年にノーベル文学賞を受賞している。
物語の舞台はアパルトヘイトが撤廃された後の南アフリカ。主人公である52歳の大学教授デヴィットは、教え子と性的関係を持ったことを告発され、地位と名誉を失っていく。もちろん政治や社会に関わるテーマも盛り込まれているが、物語の主軸は主人公のデヴィットが失墜していく展開だ。
大学教授という権威の座から告発され疎外されていく過程で、彼の視点から当時の南アフリカの社会が描かれる。そこには得も言われぬ読後感に包まれた記憶がある。個人的に落ちぶれていく様を描いただけの作品じゃないところが良い。
次は日本の作品、中島らもの『今夜、すべてのバーで』。美しいタイトルに思えるが、内容はアルコール依存症の治療が描かれた作品だ。
この本を読むまで、アルコール依存症の人間がどれだけ酒を飲んでいるのか知らなかった。とにかく酷い飲酒量なのである。
主人公の小島容は18歳の頃からシラフで過ごした日はなく、30歳を過ぎて更に飲酒量は増え、緊急入院することとなる。「この調子で飲み続けたら、死にますよ、あなた」と医師からは言われるが、それでも酒を断つことができずに破滅的な生活を辞めることができない。
しかし、それでも病院内での出会いと数少ない身内の言葉をきっかけに治療に挑んでいく過程が描かれる。病院で出会った少年から影響を受けた小島が、自分の弱さを見つめ直して人生をやり直していこうとする様は情けなくとも美しさがあって魅力的だ。
ウェルベックの『セロトニン』も破滅的な物語で、僕は読み終わった後にぐったりと疲れて眠ってしまい、起きた時には大量の寝汗をかいていた記憶がある。あまりメンタルによろしくない作品だと言える。
主人公はある程度の資産を持つ大企業勤めの中年男性だが、過去の女性との恋愛を回帰して後悔しつつ、蒸発することとなる。女性への悔恨を抱きつつ人生を振り返るが、抗鬱剤「キャプトリクス」を服用していることから、その副作用で性機能が衰えてしまう。
ウェルベックは過去作品でも中年男性が孤独に陥りながら、世界を悲観していく物語を多く書いており、『プラットフォーム』や『ある島の可能性』では、主人公は「性」に生きる意義や逃げ場を見出していた。しかし本作ではキャプトリクスの副作用によって、あらかじめその逃げ場が閉ざされている。ゆえにこの物語は更に破滅的で暗いものとなっているのだ。読んでいて辛くなってしまう一冊である。
最後は世界的にも有名な小説『変身』。朝起きたら自分が虫になっていたという小説である。
家族を養うセールスマン・グレゴール・ザムザは、ある朝目覚めると自分が巨大な虫に変身していることに気づく。家族は当初驚きながらも世話をするが、働けなくなった彼を次第に重荷と感じ始め、やがて「元の姿に戻れない怪物」として扱うようになる。
クッツェーのデヴィット教授は自らの過ちで社会から疎外され、中島らもの小島は依存症と闘いながら再生を目指す。だがグレゴールは虫になってしまい、再帰する方法もわからないままなので、これが最も絶望的な物語かもしれない。
こうして暗くて破滅的な本をなぜ僕は読んでいたのか不思議になる。自分自身も孤独と向き合いたいんだろうか、それとも誰かの暗くて孤独な人生から何かヒントを見出したいんだろうか。やっぱり「人の不幸は蜜の味」なのか、理由は今もわからないままではある。
もしかしたら自分の生活だけでは人生に満足することができないのかもしれない。平凡な日々を長年過ごしていると、自分を卑下し、社会に幻滅することも増える。そんな気持ちを自分の人生だけで抱え込んで生きるのは難しいのだと思う。
何はともあれ、これらは引き込まれるように面白い本ばかりだ。それについては保証できるので、興味がある方はぜひ読んでみてほしい。もちろん、幸福な読後感を保証することはできない。
