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仕事と自己実現|仕事に多くを求めすぎている

何か困っていることがある時に人は救いを求め、名言の様なものを求めるのかもしれない。「あの時あの言葉が僕を救ってくれた」といった特集をテレビやネット記事でよく目にする気がする。

メディアを通してこういったドラマチックな例を目にしていると、悩みを抱えた人に対して「何か役立つ言葉を掛けてあげなきゃ」といった気持ちになることもあるだろう。

しかし、人の心に影響を与えるのはそんなに簡単ではない。例えば努力の大切さや、諦めないことの意義を説かれる時、イチローやスラムダンクの安西先生に言われた場合は感銘を受けるだろうけれど、同じ内容をネットワークビジネスの勧誘で話されたのでは受け取り方が異なる。

要は名言を言えばいいというわけではなく、誰に言われたかで説得力というものが変わってくる。だから、世の中に出回っている「名言」といったものに安易に影響されないようにしている。

実際に自分の経験上、悩みが晴れるような気持になった言葉というのは、メディアで取り上げられるようなものではないことが多かった。あまり目立つ言葉でもなく、きらめく様な雰囲気もない日常的な声掛けが当時の僕には響いたのである。

それは、20代前半頃、誰もが仕事について悩む若き時代の話になる。僕は大学に進学し卒業することもできたが、社会で通用する様な能力は全くと言っていいほどなかった。大学で勉強する内容と社会で求められる内容の相違がこんなにも大きいとは思いもよらず、どうすればいいかわからなかったのを覚えている。

そんな時に僕はがんになってしまい闘病を余儀なくされる。そして仕事も退職し、無職生活を続け、社会から必要とされない状態で親の庇護下で生活を続けているうちに「自分が就ける仕事なんて存在しないんじゃないか」と思うようになった。

その時、ふと地元の友人が言っていた言葉が頭をよぎった。その友人は大学を早期に中退して工場勤務をし、典型的な労働者として生活をしている。彼とは高校生の頃にバンドを組むほど仲が良く、お互いの考え方もよく知っている仲だが、そんな彼が言っていた何気ない言葉がある。

仕事なんていくらでもあるよ、選ばなければ

この何気ない一言が、実は気づくことのできなかった事実であり、大きな気づきを与えてくれた。人生の大半を費やす仕事であるがゆえに条件や内容にこだわるようになるが、実は選ばなければ仕事はいくらでもあるのだった。

自分で自分の「仕事像」を勝手に高尚なものにして、その仕事に就けずに勝手に悩んでいたわけである。大人になってわかったことだが、人が仕事を選ぶのと同時に仕事側も人を選んでいる事実もある。結局のところ、双方が「落としどころ」を見つけて就職は決まる。

この言葉が与えてくれた気づきによって僕は多くを求めず心の安定のようなものを手にし、その後、何とか就職を決めて社会人として復帰ができた。

それ以来、仕事に多くを求めないスタンスに変わりはない。「プログラミングから便所掃除まで何でもやるよ」という姿勢でこれからも生きていくんではないか。

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