病んでも給料は変わらない|仕事とやりがいと現実
20代の部下と週末にミーティングをしたら悩み相談になってしまった。彼女曰く「今週はずっと病んだ気持ちで働いていました」とのことで、心配な気持ちになっている。
もともとは営業を頑張りたいと高い意識で入社したらしいが、他の社員の退職が頻発してしまいクレーム対応や事務作業が大量に発生し、それらに追われているうちに、気が付けば違う現場に配属された後輩にさえも営業成績で抜かれてしまっていた。
クレーム対応や事務作業を片付けている度に「私はこんなことをするためにこの会社に入ったわけじゃないのに…」と思ってしまうらしい。
もちろん気持ちはよくわかるので、こういった時は寄り添いの気持ちを見せて丁寧に話を聞いているが、彼女の話はその後どんどんと長くなってしまい、話の論理にも矛盾が生じるようになってきた。実は何度も営業のチャンスを与えられていたにも関わらず、準備不足もあって大切な商談でも失注が続き、自らチャンスを潰している側面も見えてきたのである。
チャンスを掴めていないことに、自分では気づくことができていない模様である。そうすると、理想と現実のギャップに苦しみながら、自分の境遇を憂う様になり、組織への不満も高まっていくのだと思う。
僕も若い頃は同じ様な考えをしていたことがあるので、取り立てて何か言う事はしなかった。もちろん嘘くさい肯定的な言葉は掛けていないが、自分で気づいてもらえるよう、程良い距離感を取りながら今後のコミュニケーション方法を考えている。
話を聞いていると、彼女は仕事に対して自己実現ややりがいの様なものを多く求めている。口には出さないが、おそらく高い給料も求めているだろう。仕事に対して熱心であり一生懸命なのだ。
しかし、個人的な経験から言うと、こういう考え方をしている社員ほど潰れてしまっていっている。仕事に多くを求め過ぎていると、長く続く現実的な勤労生活はどこかで破綻を迎えてしまうのだ。
幸い僕はたくさんの経済本や投資本を読んでいるうちに、仕事に自己実現ややりがいを求める気持ちがスーッとなくなっていくようになった。会社は社員のために存在しているわけではなく、顧客と社会と株主のために存在しているのがわかれば、妙な幻想は抱かなくてよくなる。
一方で、会社員は会社に属することによって、大きなリスクを背負わなくてもよいメリットを最大限享受できる。
それによって得た安心感から仕事に対してチャレンジができるようになり、個人では成し得ない様な成果を挙げられるようになるのだ。イノベーションというのは実はこうした安心して挑戦できる環境があってこそ生まれていることを忘れてはならない。
「今週はずっと病んだ気持ちで働いていました」と言われた時に、回答こそしなかったけれど、心のなかでは「病んで働いてたとしても、先週も今週も給料は同じだから安心しろ」と思っていた。日本は解雇規制が厳しく、現場は労働力不足なのだから、解雇も減給もされにくい。
仕事がうまくいかないからと言って、気持ちを病んでしまっていたら、せっかくの人生がもったいない。人生は仕事だけではないし、若さが戻ってくることはない。
自己実現ややりがいを盲従するのではなく、冷静な視点を身に付けて、健やかに仕事と生活を充実させて生きていこう。
