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お腹が空いてもひもじゅうない

「お腹が空いても、ひもじゅうはない。」

たしか、有名な歌舞伎に登場する殿様の子の科白だったと記憶している。いつ、どの場面で聞いたのかは定かではないが、不思議なもので、こうした言葉は歳月を経てもふとした折に甦る。最近になって、とみにこの科白が脳裏をよぎるようになった。

お腹が空く。
それ自体は、なんの不思議もない、生きものとしてきわめて自然な感覚である。ところが現代では、この「空腹」に耐える隙を与えまいとするかのように、世の中が出来上がっている。街を歩けば、コンビニの灯りと棚いっぱいの商品が、つねにこちらを呼び止める。誘惑に駆られるのは、まだ分かりやすいほうだ。

厄介なのは、目に見えない「毒饅頭」である。
情報の海をただ漂っているだけで、知らぬ間に余計なものを口に運ばされる。怒り、恐れ、比較、焦燥。これらは食べもの以上に、静かに身心を蝕む。口に入れるものと同じくらい、否、それ以上に、注意を払うべき毒が、この時代には溢れている。

だから私は、必要のないものは買わないことにした。
それは倹約のためだけではない。余計なものを入れない、という明確な意思表示でもある。何を取らないかを決めることは、何を大切にするかを決めることに他ならない。

一日一杯の青汁だけで、三十年元気に暮らしている人がいる、という話を聞いた。極端に聞こえるかもしれない。だが、よく考えてみれば、それは「足るを知る」生活の、一つの完成形なのだろう。多くを摂らないからこそ、身体は自らの声を取り戻す。

空腹は、我慢ではない。
それは「身のため」であり、「節約」であり、同時に自由でもある。空腹を恐れなくなったとき、人は初めて何に依存して生きていたのかを知る。

お腹が空いても、ひもじゅうはない。
この古い科白は、飽食と過剰の時代を生きる私たちに、静かだが確かな指針を示しているように思える。必要なものは、案外少ない。空いた胃袋と澄んだ頭があれば、それで十分なのかもしれない。

OEC:一日一食(おいしー)

One eat close(一食でおしまい)の略とのこと、お見事。


ご覧いただき有難うございます。
念水庵 正道

1,固くなった雪をユンボで除けた。
2,日中の陽気で随分と柔らかくなった。
3,立春らしい昨日ではあったが油断できない。
4,ようやく投票用紙が届いた。

今日から出張、土曜は太極拳

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