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【前編】「順調です」という言葉が、一番怖かった。小2の息子が普通級で見せていた“気合いの頑張り”

「できているように見える子」は、本当に大丈夫なんだろうか。

小学二年生の1学期。 息子は、周りから見ると「特に問題なく過ごしている子」でした。 授業にも参加できている。係にも手を挙げている。行事にも、なんとか参加できている。

でも私は、ずっと違和感を抱えていました。

「うちの子、困っていないように見えるけど本当に大丈夫?」 そんな不安を抱えている親御さんに、何か一つでも届けばいいなと思いながら書いています✏️


【二年生の罠】「もう慣れましたよね?」が増えた春

二年生になると、周りの見方が少し変わります。 「もう学校の流れは分かってますよね」 「一年生を乗り越えたから大丈夫ですよね」

表面だけを見ると、確かに順調です。 でも、親の私には分かっていました。 「できている」=「楽にできている」ではないということを。

息子は、先の見通しを立てたり、自分で行動を調整したりすることが苦手な特性があります。それでも学校では周りの様子を必死に見て、見よう見まねで合わせようとしていました。 理解して動いているというより、必死に「正解」にしがみついている状態に近かったのです。


【授業参観】支援が入らない教室で見た、息子の「気合い」

一番その無理が浮き彫りになったのが、授業参観の日でした。

この日、支援員の先生も、支援学級の先生も入らないと聞き、私は正直、強い不安がありました。 息子は「頑張る」ことはできます。でもそれは、余裕のある頑張りではなく、「気合いで支える頑張り」だからです。

教室に入ると、保護者の視線やざわめきで、空気はいつもと違っていました。 息子は姿勢を正して座り、先生の方を見ている。一見すると「ちゃんと参加できている」ように見えました。

でも、私には見えていました。 「今はこうしていればいいはず」「みんな、こうしている」 そう自分に言い聞かせ、力を振り絞ってその場に耐えている、限界に近い息子の姿が。

「頑張れていること」と「無理をしていないこと」は、やっぱり別。

もしこの時、少しでも支援の手が入っていたら、この負荷は和らいでいたのではないか。 「できている」という結果の裏にある、過酷なプロセスを思い、胸が締め付けられました。


【体からのサイン】鼻血と癖が教えてくれた「限界」

5月後半、そんな無理が「体」に出始めました。 頻繁に出る鼻血。そして、顔周りを触り続けてしまう癖。

これらは単なる癖ではなく、言葉にできない緊張が溢れ出したサインでした。 学校で必死に「いい子」でいようとする代償が、無意識の動きとして現れていたのです。

私は先生に、この癖が「心の容量がいっぱいになっている証拠」であることを伝えました。 やめさせることより、状態を見ること。 「触ってしまう自分はダメ」と思わせないよう、叱らず、でも「手を洗いに行こうか」と環境を整える。 先生がその背景を一緒に見てくださったことで、私は少しだけ救われた気持ちになりました。


まとめ:支援は「足す」より「整える」もの

1学期の前半を通して、痛感したことがあります。

成長とともに、困りごとは「見えにくい形」に変わっていく。 派手なトラブルが起きない代わりに、静かに、本人のエネルギーを削っていくのだと。

「できている」その奥で、何が起きているか。 「問題がない」その裏で、どれだけ無理をしているか。

この時に感じた「透明な負荷」への危機感が、その後の私たちの判断に繋がっていきます。


最後まで読んでくださって、ありがとうございました🌱

続く後編では、この「無理」が限界を迎えそうになった時、親としてどんな具体的な判断と調整を選んだのかを詳しく記します。

【後編】「普通に見える」は支援不要の証拠じゃない。小2の息子が普通級で削っていた心。↓


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