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【後編】「普通に見える」は支援不要の証拠じゃない。小2の息子が普通級で削っていた心。

「普通にできているから、もう支援は要りませんね」 学校からそう言われたとき、胸がザワついたことはありませんか? これは、周囲の「大丈夫」と、親の「不安」の間で揺れ動いた、私と息子の記録です。


「できているように見える」だけでは、次は決められなかった。

小学二年生、1学期の後半。 一見、順調に学校生活を送っているように見える日々の中で、少しずつ明らかになっていった息子の本当の状態。 その時、親としてどんな判断と調整を選んだのか。

これは「支援の正解」を語るものではありません。当時の事実と、親としての葛藤の記録です。


【鍵盤ハーモニカ】「わからない」の正体

鍵盤ハーモニカの学習が始まった頃、先生からこんな提案がありました。 「少し難しそうなので、ドレミの位置が分かるようにシールを貼りましょうか?」

先生の優しい配慮です。でも私は、あえてお願いしました。 「ドレミシールは、貼らないでほしいんです」と。

息子は、ドレミの位置は理解しています。落ち着いていれば正確に弾ける。 ただ、課題が少しでも難しく感じた瞬間に、頭の中がフリーズしてしまう特性がありました。その時、彼の口から出るのは、決まって「わからない」という言葉。

でも、この「わからない」は、理解不足の宣言ではありません。“いま、心が追いついていない”というサイン。

私はここを便利さで「補う」ことよりも、「本人が踏ん張れる条件」を守ることを優先したかったのです。

支援のポイントは、できる・できないの話ではない。 その時の「心の状態」で、すべてが崩れることがある。

そこを一番に理解してほしい、という切実な願いでした。


【遠足の帰り道】「大丈夫」と「安全」は別物

遠足当日、帰り道の様子を見て私は言葉を失いました。 列は乱れ、疲れ果てた息子がふらふらと歩いている。その近くに、見守る大人の姿が見当たらないのです。

翌日、支援学級の先生に理由を聞くと、返ってきたのは意外な言葉でした。 「大丈夫かと思って」

正直、絶句しました。 「大丈夫に見えた」ことと、「安全が担保されている」ことは、全く別物です。

  • 機嫌を損ねたら?

  • 急に走り出したら?

  • 道路に飛び出したら?

落ち着いて見える時こそ、一気に崩れるリスクを秘めている。 私は感情を飲み込み、丁寧に説明しました。「できているように見えても、支援が必要な場面がある」のだと。

親が怒りのまま伝えても、届かない。けれど、落ち着いて説明しても、簡単には届かない。 この「届かなさ」に、胸が締め付けられるような悔しさを覚えたのを覚えています。


【避難訓練】「命を守る」ための信頼関係

避難訓練の際、「支援学級側に集まって避難する」というルールについても悩みました。 命を守るための確実な誘導、という理屈はわかります。

でも、当時の息子は支援学級にほとんど行けておらず、先生との信頼関係も十分ではありませんでした。 「いざという時、人は一番信頼している人のそばで動く」 息子もきっとそうだと思ったからです。

話し合いの中で「支援級に行かせたくないんですか?」というニュアンスを感じて、焦ることもありました。 違う、そうじゃない。 私は、支援級を否定したいわけではなく、「今、この子が確実に動ける形」を考えているだけ。

結局、当日の判断に委ねられ、息子は普通学級側で参加しました。 残ったのはスッキリした答えではなく、「支援体制は、いざという時のために日頃から積み上げるものだ」という重たい実感でした。


【宿題の赤字】「普通」を求められる切なさ

音読カードに書かれた、担任の先生からの厳しい赤字。 「できなかったら昼休みか自宅でやってくるように」

クラスのルールなのはわかります。先生が悪いわけでもない。 でも、胸が痛くなりました。

息子は、支援学級に在籍していることを忘れられるほど、普通学級で“頑張って見せている”ということ。 それが誇らしいというより、私はただ、切なかった。

改めて先生にお願いの電話をしました。 「息子は、普通にできない日もある。その日の状態に合わせて、取り組める形を一緒に考えてほしい」

先生の返事が少し冷たく感じてしまって、受話器を置いたあと、静まり返った部屋で、自分の声だけが浮いているような気がしました。
『私の伝え方が悪かったのかな』。何度も自分を責めて、でも、言わなきゃいけない。その狭間でずっと震えていました。


【家庭訪問】“資料を渡す”という選択

先生とのやり取りの中で感じる「届かなさ」。それを埋めるために、家庭訪問の際、私は一つの準備をしました。

息子の特性、家での様子、そして学校にお願いしたい配慮。それらをまとめた一枚の資料を、普通学級と支援学級、両方の担任の先生に手渡しました。

口頭ではどうしても感情が混じったり、大事なことが抜けたりしてしまいます。でも、紙にして共有することで、ようやく同じ土俵で「どう整えるか」を話し合えた気がしました。

その日、息子が先生にしっかり挨拶ができたこと。 派手な成果ではないけれど、そんな小さな“できた”が、張り詰めていた私の心を少しだけ解かしてくれました。


支援は「足す」より「整える」

この学期、派手な成功談があったわけではありません。 ただ、学校との対話を重ねる中で、確信したことがあります。

困りごとの多くは、行動そのものではなく、「背景にある負荷」で形が変わります。 「頑張って」と励ますだけでは足りない。

「今、何がこの子の負荷になっているのか?」

それを探し、整えること。 支援とは、特別扱いをすることではなく、その子が学べる状態をつくるための「調整」なのだと、何度も突きつけられた時間でした。


ここまで読んでくださって、ありがとうございました🌱

「うちの子も同じです」「その『届かなさ』、わかります」など、もし感じることがあれば、スキやコメントで教えていただけたら嬉しいです。同じ空の下で頑張るお母さん、お父さんと繋がれることが、私の支えにもなります。

次回、また違う壁にぶつかった「2学期編」へと続きます。 よければ、また覗きに来てくださいね。

前編はこちら↓


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