27_約束のないパンケーキ
「できた!」
私は赤い前かけを、菖蒲さんに見せる。
黒猫の菖蒲さんは、前かけを一瞥すると「ニャア」と鳴いて、再び眠りについた。
完成したばかりの前かけを握りしめ、私は愛宕神社へと走る。
愛宕神社では、夏祭りの準備中だ。町内会の人たちがテントを張ったり、小林さんや稲田くんが、提灯を吊るしていた。
照りつける太陽の熱で、みんな汗を流している。
「お疲れ様で〜す」
大声で挨拶をした。
「あ、香菜さん!」
稲田くんが近寄ってきた。
「稲田くん、頑張ってるね〜」
「はい!香菜さんも準備ですか?」
私は手に持っていた前かけを見せる。
「完成した!」
「おお、いいですね〜!琥珀も喜びますよ」
稲田くんは目を細めて笑った。
愛宕神社へのお参りを済ませ、お稲荷さんに向かう。穂結山の展望台の裏にあった時とは段違いに、しっかりした祠が出来ていた。朱色の鳥居の前で、頭を下げる。石像にも頭を下げ、手を洗う。神殿の前に立ち、二拝ニ拍手一拝。
くるりと踵を返すと、狐の石像の前に立った。
手に持っていた前かけを巻きつけ、首の後ろで結ぶ。右の石像に前かけをかけた後、左の石像にも同じようにかけた。私が満足げに微笑むと、さっと風が吹いた。すんと息を吸う。山の香りがした。
風に乗って、一枚のチラシが飛んできた。ひらりと足元に落ちる。その場でしゃがみ込んで、チラシを拾った。チラシに目を落とす。夏祭りのチラシ。立派なお稲荷さんの写真に、胸が弾んだ。
「香菜ちゃん、ありがと〜」
山本のおばさんが、ふくよかな肢体を揺らしながら、ゆっくりと近づいてきた。
手に取ったチラシをおばさんに手渡す。
おばさんは石像を一瞥して、頬の肉をぐいと持ち上げて笑った。
「前かけ、完成したんだ。すっごくいいね!」
「ありがとう」
「きっと喜んでるよ」
私は、小さく頭を上下に動かした。
「今、ちらっと見えたけど、チラシを持って来た人にお面を配るの?」
「そうそう。チラシを引換券にして、お面を配ろうと思って。狐の」
おばさんはニヤリと笑う。
「琥珀がこっそり来ても、バレないかもね」
「いいアイデアでしょ」
私は右の狐の石像に向かって、視線を投げる。石像はいつも通りすんっとすました様子で座っていた。
空を仰ぐ。入道雲が天高く伸びている。
「明日の天気も、良さそうだね」
「明日は晴れ。間違いないわよ。おばさんの勘は当たるの」
「間違いないね。信じるよ」
私とおばさんは、顔を見合わせて笑った。
みずたま亭に戻り、明日の夏祭りの準備をする。
メニューは、唐揚げとシリアルパンケーキのパフェ。
大量のもも肉を唐揚げの大きさに切り分け、下味をつけていく。シリアルパンケーキは今日のうちに焼いておくことにした。どのくらいの量が必要になるかはわからないけど、できるだけたくさん焼いておこう。
たくさんの卵をボールに割り入れていく。
カンカンっと、卵の殻の乾いた音が厨房に響いた。ぱかっと割れて、トロッと中身がボールに流れ落ちる。
大きな銀色のボールには、黄色い満月がたくさん並んでいた。
「お〜い」
私は声をかけた。
卵からの返事はない。
「やっぱり聞こえないか」
私は右手に泡立て器を握り、卵を混ぜる。
「お〜い、香菜ちゃん、こっちだよ〜」
私を呼ぶ声がした。食べ物の声かもしれないと、私は声のする方向に勢いよく顔を向ける。
「お〜い、香菜ちゃん、気づいたかい?」
私は、肩を落とす。
「な〜んだ。ジョージさんか」
「“な〜んだ“も“ジョージさんか“も、失礼じゃろ」
カウンターから厨房を覗いていたジョージさんが、口を尖らせた。
私は肩をすくめて、軽く謝る。
「それより香菜ちゃん、もしかして、声が聞こえてないんか?」
「……、うん、そう」
しょぼくれたまま、ボールを見つめる。
「あ、そういえばジョージさん、初めてうちに来た時、“声が聞こえる人間、久しぶりに見た“って言ってたけど、この特殊能力のこと、何か知ってるの?」「知ってるも何も……。まあ、話すと長くなるし、ふた晩はかかるのぅ。その話は、また今度にするとして……」
私は口をへの字にした。
「教えてくれたっていいのに。声が聞こえなくなってすごく寂しいから、なんとかならないかなって思ってるんだけど。もう聞こえないのかな。二度と」
ジョージさんは、軽く笑う。
「聞こえなくなったというのは、ちょっと違うかもしれんな。厳密にいえば、聞き取っていないだけじゃ。食べ物たちは、いつも香菜ちゃんにおしゃべりしておるぞ。あとは香菜ちゃんが、それを聞くだけじゃ」
シンクに転がしておいた卵の殻が、カランッと音を立てて転がった。
「それより!」
ジョージさんは、腕組みをして口を尖らせている。
「何?どうしたの?」
小さいのに、迫力のある仁王立ちだ。
「わしは常々思っとる。森羅万象に宿る八百万の神の声を聞くことができる人間は、今の世は少ない。香菜ちゃんは、その貴重な遺伝子を残すために、早く子作りに励んだ方がいいと」
卵の殻が、カタカタと音を立てた。まるで笑っているように、軽快なリズムで転がっている。
「何、急に」
私はジョージさんを睨んだ。
「いやいや、そんなに怒らんでも。コレは大事なことじゃ。わしはずっと、達也と香菜ちゃんの恋を応援しておった。この恋の行方を見届けなければなるまいと、あの晩わしは、じっと息を潜めておった。いい雰囲気の中、せっかく二人の想いが通じたと思ったのに、まさか、付き合うという言葉も、結婚の約束もないとは。あの瞬間、わしはずっこけたんじゃ」
「は? 何? もしかしてジョージさん、あの時店にいたの?」
私の顔が、熟れたトマトのように真っ赤になっていく。
「お前たちの恋を見届けないといけないからな。こっそり達也についてきておった」
私は頭を抱えた。
「でもさ香菜ちゃん、な〜んで付き合わないのよ。達也のこと、好きなんじゃろ?」
「もちろん好きだよ。でもさ〜……」
私は軽く笑う。
「でもさ?」
「いちいち、名前のある関係じゃなくてもよくない? 今は、達也も私も、やりたいこと見つけたばっかりだしね。そういう“役割“みたいなのに囚われたら、好きなものも、嫌いになっちゃう気がするんだよね」
ジョージさんは、初めてトマトのコンポートを食べた人みたいに、困惑した表情を浮かべた。
「そんなもんかのぅ?」
「そ、そんなもんだよ」
母の亡霊なんて、どこにもいなかった。
みずたま亭も、檻なんかじゃなかった。
きっと、私が囚われていたのは、役割だ。
母という枠に勝手に囚われて、そこに収まろうとしていたんだと思う。まるで、真っ直ぐで綺麗な商品にするために、胡瓜を型にはめるみたいに。
達也と私だって、自由に歩いた先に、手を繋いで歩く未来があったらいい。今から手錠をはめる必要は、どこにもない。
「それよりジョージさんも手伝ってよ。明日はお祭りなんだよ。準備で忙しいんだから」
「わし?」
「そ。いっつもこっそり覗いてばっかりじゃなくて、ちゃんと参加してください。シリアルパンケーキのパフェの下に敷くクッキーを砕かなきゃだから、手伝ってよ」
私は厚手のビニール袋に大量のクッキーを放り込むと、ジョージさんに、袋の上から踏んで潰すよう促した。
「まさか、このわしをこき使う人間がおったとは。信じられん。このバイト代は高くつくぞ、香菜ちゃん」
「任せてよ。明日、美味しいビールと、唐揚げを用意しとくから」
ジョージさんは、舌なめずりをした。
「よっしゃ、いっちょ頑張るか」
店の戸が、ガラッと開いた。
「香菜、手伝いに来たぞ」
「あ、菖蒲さん!ありがとう!」
明日は、夏祭り本番。忙しくなりそうだ。
次回予告 28_追憶のりんご飴
夏祭り本番。今日のみずたま亭は、愛宕神社で開店します!
美味しい唐揚げとパンケーキのパフェを用意してお待ちしております!
