24_風吹くぼた餅
あれから、達也からの連絡はない。
本当に忙しいのだと思うし、買収問題や狐の件が片付いて、安心したのではないかとも勝手に思っている。
そんなに遠い昔のことではないのに、毎日、達也が顔を出してくれていた日々が懐かしい。「よ、香菜」と顔を出して、心配してもらえた日々。
「あ〜あ、買収の件も狐の件も、解決しなければ良かったのに」
畳の上で転がっている時、不意に出た言葉に自分で驚いた。天井に向かって吐き捨てた言葉が、そのまま私の顔面に落下して不快な気分になる。達也の優先順位の中で、私が一番だったことに優越感を感じていたのかもしれない。一番になろうと努力もしないのに、待っているだけの自分にうんざりする。
体を起こして、ググッと伸びをする。両手で、頬をペチペチと叩いた。
「よしっ」
エプロンを締めて、階段を駆け降りる。
階段の音が、古い店の中に響いた。落ち込んだ時の階段は、じっとりと軋む音がする。今日はどうだろう。カラ元気だが、力強い音がした。
厨房に立つと、餅米を取り出して優しく洗う。浸水させている間に、今日の仕込み。唐揚げ用の鶏肉はいつもよりたっぷり用意した。
お稲荷さんの末社への移転が、順調に進んでいる。毎日、愛宕神社にはお参りに行くから、進捗状況は確認できる。梅雨も明けて日差しが強い中、小林さんと稲田くんが精を出している様子に、胸を打たれた。そして、少しだけ羨ましくなった。
ランチタイムが終わると、私はサッと店を出た。
手には、赤い風呂敷で包んだ大きめの重箱を握る。
眩しい日差しに目を細めて見上げると、空では入道雲が、天高く存在感を強調していた。
愛宕神社の一角で作業をしている、小林さんと稲田くんの姿が見えた。まだ慣れない稲田くんに、小林さんがつきっきりで指導中だ。稲田くんはこんがり日焼けしている。白いTシャツを腕まくりして作業に勤しんでいる姿は、スーツ姿で営業をしていた時よりもずっと、彼に似合っていた。
「差し入れに来ました〜!」
私が声をかけると、いの一番に稲田くんが振り向く。
「香菜さん!」
駆け寄ってくる稲田くんが、犬みたいに見えた。まるで大型犬みたいで、思わず、ふっと吹き出した。
「香菜ちゃん、わざわざありがとね」
小林さんは吹き出す汗を、首からかけていたタオルでぐっと拭う。
「暑いですよね〜。もう、お昼食べられました?」
小林さんは腕時計に目を落とす。
「うわ! もうそんな時間か。熱心に仕事しすぎて、昼飯食うの忘れてたわ」
「ちょうど良かった!」
私は日陰で、風呂敷を広げた。
重箱にはたっぷりの唐揚げに、甘さ控えめのぼた餅。卵焼きに、きゅうりの浅漬けに、茗荷と茄子のしば漬け。麦茶も大きめのペットボトルに二つ、キンキンに冷やしたのを持ってきた。
「うわぁ、めちゃくちゃ美味しそう!」
「どうぞ、召し上がってください」
紙皿に取り分けて、紙コップに麦茶を注ぐ。
「生き返る〜!」
「うまいっ!」
目を細めて頬張る二人に、思わず顔がニヤけた。
どこからともなく、美味しい匂いを嗅ぎつけた菖蒲さんが、ぬっと近づいてきた。
「うまそうなものを食っているな」
「あ、菖蒲さん。今日は愛宕神社にいたの?」
菖蒲さんはうなずく。
「そうだ。天気もいいし、日陰だと案外涼しくて気持ちがいい」
「香菜ちゃんも菖蒲ちゃんも、一緒に食べなよ」
小林さんに呼ばれて、私と菖蒲さんはぼた餅を頬張った。程よい甘さが、体に染みる。菖蒲さんに目をやると、満足そうにうなづきながら食べている。
「小林さん、稲田くんどうですか?二人で大変じゃないですか?」
小林さんは、にかっと笑う。日に焼けた肌から覗く白い歯が、眩しい。
「まあ二人だと時間はかかるけど、他にも仕事があるから、他の連中はこっちに借り出せないからね。寿史が入ってくれたおかげで助かったよ。寿史、根性あるから」
稲田くんは照れくさそうに、頬を赤らめた。下の名前で呼ばれていて、小林さんに可愛がってもらっているのがよくわかる。営業の時はサボってばかりいたのに、稲田くんの変化に驚いた。今の仕事が、彼には合っているということなのかもしれない。
「それは良かった」
私は胸を撫で下ろす。
その様子を見て、小林さんは、唐揚げを頬張りながら笑った。
「なんか香菜ちゃん、寿史の姉ちゃんみたいだねぇ」
食べながら喋るので、唐揚げの一部が口から飛んだ。
稲田くんが、ピーマンの肉詰めを晩御飯に出されて、拒絶する三歳児のように、顔をしかめる。
「香菜さんは、姉じゃありません」
確かに稲田くんのことは好きだし、気にかかる。でも、それは達也に対する好きとは違っていて、弟みたいな感覚かもしれない。勝手に、小林さんの一言に納得した。稲田くんみたいに慕ってくれる人と付き合えたら、幸せなんだろうけど。
私は自分の皿を空にすると、立ち上がる。
「お稲荷さん、見てもいいですか?」
「もちろん」
小林さんはカリカリと音を立てながら、きゅうりの浅漬けを噛んだ。
私は狐の石像の前に立つ。
「右のお狐さんは、あんまり損傷が酷くなかったんで、ちょっと修復しただけで済んだよ。左のお狐さんは結構損傷が酷かったから、今、石材屋に直してもらってるところ」
私はゆっくりと狐の石像を撫でた。石の冷たさの上に、温もりを感じる。お日様の光か、と空を見た。眩しくて、目を細める。爽やかな風が、サッと私の脇を横切った。
私は振り返り、日陰にいる小林さんと稲田くんに声をかける。
「唐揚げとぼた餅、もらっていいですか?」
「もちろん」と小林さんはキョトンと口を開けて返事をし、「もちろん!」と稲田くんは優しく笑った。
紙皿にぼた餅と唐揚げ、しば漬けを乗せる。
石像の前に静かにお供えをして、私は手を合わせた。再び風が吹く。ぐるんと私の周りを風が一周すると、そのまますっと風が空に抜けていくのがわかった。ポニーテールがポンっと揺れる。私の頬が緩んだ。
店への帰り道、横を歩く菖蒲さんに声をかける。
「ねえ、菖蒲さん」
「なんだ」
「何か私にも出来ること、ないかなぁ」
「差し入れ、してたじゃないか」
私は口を尖らせた。
「う〜ん、そういうことじゃなくて」
「じゃあ、どういうことだ」
「私にもよくわかんないけど」
「謎かけか? 香菜に分からんことが、私に分かるわけがなかろう」
「そうだよね」
その時、菖蒲さんの頭に巻かれた紫色のリボンが、ぴょんと揺れた。
「あ!これだ!」
私は駆け出す。店に入り、厨房を抜けて母屋へ上がった。母の部屋のタンスを開ける。綺麗な赤い色の留袖を手に取った。
私を追いかけてきた菖蒲さんが、息を切らして部屋に入ってくる。
「いきなり走り出してどうした」
私の手にある赤い色の留袖を一瞥すると、「なるほどな。いいアイデアだ」と、菖蒲さんはにやりと笑った。
その時、携帯電話にメッセージが入る。
私は画面に視線を落とした。達也だ。メッセージを開いて、深く深くため息をついた。闇鍋のスープみたいな、何色かも分からないため息。
── おつかれ。ちょっと落ち着いてきたから、今日の夜はみずたまに行けそう。風間さんが、香菜の定食、食べてみたいって言ってるから、風間さんも一緒に行く。よろしくな。
私は、画面をすぐに閉じた。
いきなり直接対決とは。拳をぐっと握りしめる。
次回予告 25_颯爽とした素麺
ため息の中に混じる嫉妬の炎。達也と風間さんの関係は、まだはっきりとはよくわかないけど、この目でしっかりと確かめてやる!
