食べる人、読む人への意識をドラマが教えてくれた
実は、私。
ドラマが大好きなんです。
料理もnoteも、同じことが大事
「時すでにおスシ!?」見ていて、ハッとする場面がありました。(以下、第二話のネタバレあり)
料理の研修を受けている人たちが、「アジを使って自分の味を表現した料理を一品作る」というお題に挑むシーンです。
若い男性は、魚の切り方や厚さによって味わいが変わることに着目したヅケ丼を。
年配の男性は、年齢を重ねると胃もたれが増えるという経験から、塩をつけて食べるアジフライを。
主人公の女性は、夫と夜食として食べていた思い出のなめろう茶漬けを。
それぞれが、自分なりの「答え」を持ち寄りました。
そこで先生がテスト後に提示したのは、
「食材を知ること」
「食べてくれる人のことを想像すること」
それが料理の基本です。
シンプルな言葉なのに、なぜかずっと頭に残りました。
きっと、わたしが毎日noteを書いているからだと思います。というか、noteを書いていなかったら、こんな結び付けはできません
実は、合格できなかった人がいた
4人の中に、ひとりだけ合格できなかった人がいました。
20代の若い女性で、料理の腕前は決して悪くなさそう。むしろ、美味しそうで食べてみたい料理でした。でも彼女は、自分が将来出したいお店のコンセプトに合わせて料理を作ったのです。和と洋を組み合わせた、こだわりの一皿を。
なぜ合格できなかったのか。
それは、「食べる人」ではなく「自分のコンセプト」を中心に置いてしまったからだと、わたしは受け取りました。
料理として完成度が低かったわけじゃない。でも、目の前の人に何を届けたいか、という視点が抜けていた。
これ、noteでも全く同じことが起きているなと思ったんです。フォロワーが沢山いて、収益化しているかたも同じことを書かれてました!
「読まれない記事」には、共通点がある
書いていて気持ちいい記事がありますよね。
自分の考えをまとめられた、言いたいことが全部入った、構成もきれいにできた。そういう記事です。
でも、そういう記事に限って、なぜか反応が薄かったりする。あれ、自信あったのに、読まれないな。
それはたぶん、自分のコンセプトや主張を前面に出しすぎていて、読んでいる人のことを忘れているからだと思います。
料理でいえば、素材よりも自分の世界観を先に置いてしまっている状態です。
「素材を知る」と「読む人を想像する」を、noteで実践するとどうなるか
先生が言った「食材を知る」をnoteに置き換えると、自分の体験や感情をちゃんと観察するということになると思っています。
なめろう茶漬けが刺さったのは、主人公が夫との記憶を味として表現できたから。記憶の温度まで食べた人に伝わったと言ってもいい。
記事も同じで、「なんとなく大変だった」ではなく、「あの時、あの瞬間、こう感じた」というところまで掘り下げた体験は、読んでいる人に届きます。薄い素材からは、薄い味しか出ません。
そして「食べる人を想像する」をnoteに置き換えると、読んでいる人が今どんな状況にいるかを思い浮かべながら書くということです。
年配の男性がアジフライに塩をつけることを提案したのは、「年齢を重ねた人には、揚げ物がしんどくなることがある」という相手への想像があったからです。同じ素材でも、届け方が変わる。
沢山読まれる記事を出している人は、記事を書くとき、「この人は今、どんな気持ちでこれを読んでいるだろう」と考えるようにしているんだと思います。
疲れて帰ってきた夜に読んでいるのか、何かに悩んで検索してたどり着いたのか。それによって、言葉の選び方も、締めくくり方も変わってくるはずです。
コンセプトや自分の世界観は、持っていていい。でもそれは、あくまで読んでいる人に何かを届けるための器であって、目的そのものではないと思っています。
自分の味を出しながら、相手のことを想像する。
料理もnoteも、その両立が一番難しくて、一番大切なことなんだと、ドラマに教えてもらいました。
自分が考えている素材についても、読んでくれる人についても沢山考えて書いた記事です。是非、ご覧ください!
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