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いざ。町内会の班長へ。



町内会の班長が回ってきました。

別に立候補したわけではありません。ただ、単純に順番が来ただけです。

おそらく多くの人が、この知らせを受け取ったとき、少しだけ気持ちが沈むのではないでしょうか。面倒くさい、忙しい、できれば誰かにやってほしい。そういう気持ちは、正直わかります。
でも私は、少しわくわくしています。

きっかけはコテンラジオでした。

ある日、コミュニティナースという存在を知りました。ナースという言葉が入っていますが、看護師ではありません。
戦略的に、地域の中に入っていく。
困っている人を待つのではなく、日常の場所に自分から溶け込んでいく。そういう活動をしている人達、株式会社です。


ちょっと長いですが、本当に興味深い話をされています。
本も読みました。



その話の中で、刺さった言葉がありました。
それぞれが助ける側にも、助けられる側にもなる。その人が持っている輝ける要素を、必要なひとに与える、分けてあげる。それによって輝ける。 

これを聴いたとき、仏教の縁起の話が頭に浮かびました。すべては関係性の中にあって、孤立して存在するものなど何もない。助ける人と助けられる人が固定されているのではなく、その関係はいつでも入れ替わる。

地域もそういうものだと思いました。

最近、近所にどんな人が住んでいるかわからない、という話をよく聞きます。

マンションでも、戸建てでも、隣の家の人の名前を知らないまま何年も過ぎていく。それが今の時代の普通になっています。

でも、少しだけ違う場面を思い浮かべてほしいのです。

道を歩いていたとき、近所のおじさんが子どもに声をかける。「あそこの家の子だよね」と。それだけで、その子は地域という場所に、うっすらと守られています。名前も知らなくていい。顔を知っている、それだけでいい。

休みの日に、隣の家の人と30秒話す。

それだけで、何かが変わります。災害のとき、病気のとき、困ったとき。「あの人なら声をかけられる」という感覚は、30秒の積み重ねの上にあります。

班長の仕事は、回覧板を回すことです。
集金することです。
それ以上でも以下でもない、と思われています。

でも私には、それが地域に入っていく「大義名分」に見えます。

コミュニティナースが今の社会で失われつつある繋がりを作りに地域に溶け込むように、班長という役割は、普段なら話しかけにくい隣の家のドアをノックする理由をくれます。

モチベーション高く班長をやっている人は、そう多くないかもしれません。

だからこそ、この順番が回ってきたことを、少しだけチャンスだと思っています。

前に書いたこの記事。

おかげさまでたくさんの方に読んでいただいております。
現在、町内会の集会所で地域の方々が集まれるイベントを画策中です。

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