見出し画像

「コテンラジオ」を勧めたい


好きなものを人に勧めるのって、実は難しいですよね。

ONE PIECEを今から誰かにオススメしようとすると、どこから話せばいいかわからなくなりませんか?

ルフィの強さなのか、仲間との絆なのか、壮大な伏線なのか。語ろうとすればするほど「でもそれだけじゃないんだよ」という気持ちになって、結局うまく伝えられない。

コテンラジオも同じなんですよ。
シリーズが増えるほど、勧めたい気持ちは強くなるのに、言葉にしようとすると全然うまくいかないんですよ。単純に自分の言語化能力が低いってこともそうなんですけど。

でも、よく考えると、この2つの「勧めにくさ」は、種類が違う。

量の問題と、問いの問題

ONE PIECEの難しさは、量の問題だ。
100巻以上の積み重ねがあって、魅力が多すぎてどこを切り取っても「これだけじゃない」となる。ただ、読めば読むほど感動の方向性は揃っていく。
「ルフィってすごい」「この仲間たちいいな」という気持ちは、読み進めるごとに深まって収束していく。

コテンラジオも量は膨大だ。でも、聴けば聴くほど起きることが違う。

問いが増えていく。

シンドラーの回が印象に残っている。ビジネスをうまく回し、政治的にも立ち回る外側の顔。でも内側では、ユダヤ人の保護を続けていた。この一人の人間を、どちらの立場から見るかで評価はまるで変わる。じゃあシンドラーは何者だったのか。良い人だったのか、そうじゃないのか。答えが出ない。

西郷さんのシリーズも聴いている最中だけど、新政府側と旧幕府側から見た西郷さんは、同じ行動を指しているのに意味が真逆になる。じゃあ西郷さんはどうすればよかったのか。これも答えが出ない。

聴けば聴くほど
「じゃあどうすればよかったの?」
が積み重なって、着地点が難しい。

意識せずに生きてきたこと

「見る立場やタイミングによって、人の評価は変わる」

頭ではわかっていた。でも、意識して生きてこなかったと気づいたのは、コテンラジオを聴いてからだった。

抽象的な話として言われても、日常の見え方はそう簡単には変わらない。でも、シンドラーという一人の人間の、あの場面、あの判断として話が入ってくると、何かが体感になる。

人文知という言葉を知ったのもコテンラジオがきっかけだったけど、今まで生きてきた人たちの歴史やストーリーが、自分が生きていく上での参考書になると初めて思えるようになった。

教科書じゃなくて、参考書。正解を覚えるんじゃなくて、自分が問題にぶつかったときに引き出せるもの。

答えじゃなく、テーブルをくれる

コテンラジオは答えを出さない。だからこそ、聴き終わったあとに「自分はどう思うか」を考えずにはいられない。

コテンラジオがくれるのは、考えるテーブルだと思う。

何をのせるかは自分次第で、テーブルの上に正解は置かれていない。でも、テーブルがないと、そもそも考えることが始まらない。問いが増えていくことは、混乱じゃなくて、豊かさだと今は思っている。

だから伝えるのが難しい。体験しないと、このテーブルの感触は伝わらない。

それでも勧めたくなるのは、このテーブルに座ってから、世界の見え方が少し変わった気がしているからだと思う。

リンカン編、織田信長編、やなせたかし編などなど、どれをおすすめするか。まずは、それを決められない。


いいなと思ったら応援しよう!

どーもくん よろしければ、応援をお願いします! ものすごく喜びます!