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K歌之王:ラブソングの死と最後のメガスター 【香港カントポップ概論:2000年代〜編①】

【一代一聲音〜時代の声、時代の詞〜:香港カントポップ概論】

2000年代以降編「”還能憑什麽” 凋落後の挑戦」 ①


カントポップはなぜ没落したのか、というのについては色々な原因が言われている。たとえば外的な要因ととしては台湾/シンガポール/マレーシア/中国大陸の北京語ポップスが台頭したからとか、あるいはもっと普遍的なところではMP3の普及により違法ダウンロード/ファイルシェアリングが増加したからだとか。でももっと重要なことは、誇大化した既存のカントポップ業界が、そういった環境の変化に対応できるだけの柔軟な構造を持っておらず、マンネリ化して飽きられてしまったことではないかと思う。

『カントポップ簡史』は、1990年代後半以降、売上不振に悩まされるようになった業界が保守化して、よりリスクの低い既存のスター量産システムに頼るようになり、そのことで似たり寄ったりの曲/歌手が生まれてしまったことがカントポップ離れにつながったと指摘している。

停滞する業界のテコ入れのために楽曲をカバー中心からオリジナル曲中心に切り替えたことも裏目にでた。業界のテコ入れの一貫として、大手ラジオ局の商業電台の音楽チャンネルが1995年にオリジナル曲のみをオンエアする、というキャンペーンを開始し、この年のRTHKベストテンは10曲すべてが香港の作詞家によって制作された楽曲になるなど一定の成果をあげた。(そのためこれ以降、カントポップの特徴でもあった日本のヒットソングのカバーは激減する。)

しかしこれまでのカントポップ業界は、「詞大於曲」として批判されたりもするほどの作詞家至上主義だった(今でもそうだけど)わけで、これまでロクに優遇・育成されてこなかった香港の作曲方面の人材が巨大産業の作曲ニーズの全てを担い切れるはずもなく、このキャンペーンはカントポップの「楽曲クオリティの低下」という印象をうむことにもなった。また、カラオケがブームになっていたため、素人が歌いやすく、かつ適度に歌唱力を誇示できるタイプのスローなバラードばかりが作られるようになり、「カラオケ・ソング」(K歌)と半ば軽蔑的に総称されるようになる。

また歌詞の面でも、そのような「カラオケソング」イメージの固定化と並んで、長らくカントポップの魅力だと考えられていたドラマチックな運命論を歌う悲しいラブバラードが「自虐型ラブソング」("自虐式情歌")「不幸自慢」("鬥慘")として嘲笑を浴びるようになってしまった。劇作家・評論家の林奕華が2005年の『等待香港』中の「情歌已死」(ラブソングは死んだ)と題された文章の中で、斉一化したラブソングを批判したように、旧来型のカントポップ的情歌がマンネリ化して、飽きられる時代になっていた。

そんな時代の空気を察してのことだろう。林夕は、2000年に陳奕迅(イーソン・チャン)が歌ったその名も『K歌之王』という歌のなかで、「他に何ができるだろう、愛が感動を呼べぬなら」("還能憑什麽,要是愛不可感動人")と開き直って見せている。

この曲は、当時の流行歌の歌詞から引用した愛のセリフを散りばめたある種のパロディソングで、イントロと間奏にはそれぞれ林夕が作詞した『約定』と『再見二丁目』、アウトロには黃偉文が作詞した傅珮嘉の『絕』のメロディが用いられている。

歌詞の内容は、多分思いを寄せる人の前でカラオケを歌ってかっこいいところを見せようとしている主人公が、「うまく歌えなくても、顔をシカメ内で」とか、こんな「抱きしめても興奮させられない」、「愛も感動を呼ばない」ならどうしようとか、「安っぽく歌いあげる」「凡庸な歌詞」とかあれこれウダウダ言いながらも、熱く歌い上げるになっている。

誰人又相信一世一生這膚淺對白
(誰が信じるだろう ”一生一緒に”なんて浅いセリフ)
來吧送給你叫幾百萬人流淚過的歌
("さあ来い" 君に送ろう 数百万人が涙した歌を)
如從未聽過誓言如幸福摩天輪
("幸せの観覧車"のような誓いの言葉 聞いたことがないなら)
才令我因你要呼天叫地愛愛愛愛那麼多
(僕は君に 世界に叫ぶよ 愛愛愛愛 何度でも)

(””内に入れた部分は全部他の歌からの引用)

彼らしいメタな視点と、『約定』と『郵差』にも見られた古典詩的な引用(「典故」というか「本歌取」というか)を重ねる手法が究極的に発揮されているこの曲以降も、林夕は、売れ筋のラブソングを定期的に作る一方で、かつて自分のデビューのきっかけになった1980年代初頭のジミー・ローの「非情歌運動」を引き継ぐような運動を展開し、「夕陽無限好,只是近黄昏」(夕陽はこよなくいいけれど、ただ黄昏がもう近い)という李商隠の古典詩の一節をタイトルに借りた『夕陽無限好』や、日本映画の巨匠「黒澤明」の名前をもじって生命の尊さを歌う『黑擇明』(黒が明を選ぶ)など、彼らしいスタイルの哲学的歌詞をイーソン・チャンに提供している。

そんなイーソン・チャンは、この『K歌之王』が皮肉にもカラオケ・ソングとしてヒットしたことで、ポスト四大天王時代のトップ歌手の座を手にする。1995年、イギリス留学からの夏休みの一時帰国中に参加したタレント発掘コンテストで見出されて96年にデビューした彼は、見た目よし、踊りよし、歌よし、演技よしの「四大天王」的万能選手とは違って、とにかく歌一本の実力派な雰囲気で、だからこそ「カラオケソング」時代にあっていたとも言えるかもしれない(もちろん演技もしていて、デビュー直後の96年には日本のドラマ版『深夜特急』の香港編にもなぜか出演していて、綺麗な英語で返還への思いを語っている)。

デビューアルバムには、黃偉文作詞の『時代曲』も収録されている。

イントロの雰囲気が明らかに、あの世界一有名なアルペジオに似ていること以外とくに面白みのない普通のバラードで、イーソンの歌い方もまだ力みがあってぎこちない感じもするけど、サビの歌詞には後の経典となる「金句」が含まれていた。

好想唱一闕歌
(こんな歌を歌いたい)
見證日子怎過
(過ぎ行く日々の証人となるような)
那個時勢能沒有歌
(歌なしでいられる時代などあるだろうか)

この宣言通り、イーソンは「ふたりのワイマン」期のカントポップの「時代の声」になった。今日に到るまで国際的人気を持ち、香港のトップ歌手の座を維持しつづける彼を『カントポップ簡史』は「最後のメガスター」と呼んでいる(p.158)。

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『カントポップ簡史』は同じ称号を、イーソンと同様にカラオケソング時代のトップ歌手として台頭した女性歌手・容祖兒(ジョーイ・ヨン)にも与えている。

彼女はわずか15歳の時に、ビッグ・エコー主催のカラオケ大会で優勝して歌手契約を勝ち取った天才少女だった。その後、1999年にレコード会社を変えて(イーソンと同じ英皇娛樂 EEG; それまでの華星 Capital Artistsに代わり、00年代以降業界最大手となる)リリースした『未知』(ジェニファー・ペイジュのヒットソング『Crush』のカバー)でブレイクし、翌年には若干20歳で、香港において武道館と東京ドームを合わせたぐらいの憧れの会場とされる紅磡体育館(通称”紅館”)での単独ライブを行なっている。

そんな彼女が「カラオケソングの女王」となるきっかけを作った曲の一つが、もう一人のワイマン、黃偉文による『痛愛』(2001年)だった。

文字通り「痛い愛」を歌うこの歌(私はこっそり”イタアイ”と読んでいる)は、不幸自慢大会の流れに乗った最高潮にマゾヒスティックなラブソングで、流行に敏感な黃偉文のスタイルが存分に発揮されている。

歡你讓我下沉 喜歡你讓我哭
(ヘコまされても君が好き 泣かされても君が好き)
能持續獲得糟蹋亦滿足
(ずっとこうして踏みにじられても それでもいいから)
喜歡你待我薄情 喜歡你為人冷酷
(つれなくされても君が好き 冷たい性格の君が好き)
若是你也發現 你也喜歡虧待我
(私にこんな仕打ちをするのを 好きでいてくれるのなら)
我就讓你永遠痛愛著我
(ずっとずっと 辛く愛してくれていい)

悲惨な歌詞を、単調なメロディの繰り返しからなるサビに乗せて、なんとなく劇的な感じに仕立てあげてしまう感じはまさに「カラオケソング」。

こんな典型的なカラオケソングの中にも黃偉文は、曲にもこんな一節を挿入して、さりげないメタな風刺を入れ込んでいる。

全球情侶 故事也相近
(世界中の恋人たちの 物語も似たようなもの)
寧願天昏地暗
(この世の終わりのような方がいい)
要為錯的人傷過恨過 方算是勇敢
(間違った人のために悩み苦しむ人こそが 勇敢だと)
像世間不喜歡開心喜歡痛心
(世間は幸せよりも つらい恋が好きなのだろう)

文学的な研究が重ねられた印象のある林夕の歌詞とはまた違って、黃偉文の歌詞にはこんな風にリスナー心理/オーディエンス心理を理解した上でそれをうまくくすぐったり、茶化したりしてくるところが売りだと思う。

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この2人が「最後のメガスター」と呼ばれるのは、彼ら以降、カントポップ出身の国際的スターがいないと言ってもいい状況だからだ。この頃はたとえカラオケソング化して「死んだ」と言われようと、まだ全盛期の威光が残っていたようで、『カントポップ簡史』もやけに感傷的なトーンで「あの頃はまだカントポップにとって幸せな時代だった」と書いている(p.159)。

この後、どんどん国際的な中国語流行歌市場の中心から外れていき、ローカル化していくカントポップ業界の中で、のちの世代の歌手たちはカントポップを捨てて国際的なスターダムを目指すか、あるいはローカルなスターに止まる道を選ぶのかの二択を迫られることになる。

最後のメガスターであるこのふたり以降、「香港出身の国際的スター」はいるし、「カントポップのスター」もいる。でも両者を兼ね備えた「カントポップ界の国際的スター」はもう現れていない、のかもしれない。

→(2)「你唔愛我啦:新広東歌運動

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