潮流興夾Band:第二次バンドブーム 【香港カントポップ概論:1980年代④】
広東語でバンドを組むことを「夾Band」という。「夾」(gaap)は挟むとか合わせるとかいう意味だから、いろんな人を合わせてバンドをつくる所からの発想だろうか。「Band」を香港イングリッシュらしく「ben」と発音して「ガップベーン」と発音するとよりそれっぽい。
1980年代の香港は、若者の間でこの「夾Band」が流行し、「第二次バンドブーム」が起きている。
第二次、というのはすでに60年代に第一次バンドブームがあったから。
第一次バンドブームを率いた一人、サム・ホイも1987年に『潮流興夾Band』(バンドが流行中)という茶化しているのか応援しているのかよくわからない曲をリリースしているから、なかなかのブームだったらしい。
第一次と同様短命に終わるこの第二次ブームでは大小様々なバンドが現れては消えた。過激な政治批判・社会風刺で知られた、まるで「早すぎたMy Little Airport」のようなプロテスト・バンド”黑鳥 Blackbird”なども登場してインディーズ界隈も盛り上がったようだが、ポップスの範疇を超えるためここでは直接は扱わない。
この時期のバンドにとって追い風だったのが、サムを含め第一次バンドブームの中にいたミュージシャンがこの頃になると音楽業界のそれなりの地位に付いていて、業界全体に後輩たちのメジャー進出を後押しする雰囲気があったことだった。
たとえば1985年、ビール会社のカールスバーグ(嘉士伯)がスポンサーとなって第1回「嘉士伯流行音樂節」が開催され、ここで優勝した太極樂隊(Tai Chi)がポップス界進出を果たし、翌年の公共放送RTHK主催の音楽賞で新人賞を受賞している。
英語曲がメインだった第一次ブームとは違い、カントポップ成立以降に起こった第二次バンドブームの頃には広東語でロックを歌うことがすでに可能になっていた。
サム・ホイが英語バンドThe Lotus時代にカバーした『Just A Little』に広東語詞をつけてソロデビュー後にリリースした『等玉人』を、この時期に太極が再カバーしているのは、第一次と第二次のバンドブームそしてその間にあるカントポップの興隆のつながりを示す点でまさに象徴的である。
香港ポップス史に残るレジェンド・グループ、達明一派とBeyondもこのブームの中から世に出ている。
==============
達明一派は、サウンド担当の劉以達とボーカル担当の黃耀明からなる(名前の一文字づつをとって"達明"一派)シンセポップ・デュオで、いかにも80年代後半らしいPet Shop Boys直系のエレクトロ・サウンドに、広東語っぽいメリハリのきいたボーカルがつくるリズム感がなんとも心地よく、時代がかっている割に今聞いても新鮮でかっこいい。
[*広東語には北京語にはない子音で終わって「っt」、「っk」みたいに詰まる音があって、しかも短く詰めるか伸ばしてから詰めるかで意味も変わってしまうので勝手に伸ばして歌うこともできないから、音がブツブツ細切れになったような独特のリズム感が生まれる。カントポップではその詞本来のリズム感を活かした上で曲に載せて歌う/演奏するというのが必須技能なわけだけれども達明一派は特にそれをカッコよくしたてあげていると思う。]
1985年に結成され、1986年にミニアルバム『達明一派』とフルアルバムの『達明一派II』をリリースしてデビューしている。
作詞は、88年まで大部分の楽曲を職業作詞家の陳少琪が手掛けている。
達明一派の歌詞世界の特徴は、香港の都市をかなり具体的に描写している点だと思う。『馬路天使』(1987;街角の天使)では、ネオンの輝く香港の夜の路地を車で駆け抜けながら夜の街の誘惑を描く。
同じアルバム(『石頭記』)に収録された『美好「新世界」』(1987)は、当時流行のファッションアイテムがあつまり、若者たちに人気だったという尖沙咀のショッピングモール「新世界中心」について歌っている。
だから彼らの歌は、時に香港の未来についての予言めいた不安を表現している。たとえば、いまでも”引用”されることの多い1988年『今夜星光燦爛』(星の煌めくこの夜に)では、香港中心街の「皇后像公園」の横を車で疾走し(彼らは夜の街を車で走る系の歌が多い気がする)、電飾が煌めく夜の街をながめながら、この輝きはいつまで続くのか不安に思う気持ちが歌われている。
燈光裡飛馳 失意的孩子
(ネオンのなかを疾走する 失望した子供)
請看一眼這個光輝都市
(この光輝く都市をみてほしい)
再奔馳 心裡猜疑
(走り続け 心に疑念が浮かぶ)
恐怕這個璀璨都市 光輝到此
(この煌めく都市の輝きも これまでだろうかと)
香港の具体的な場所を背景に社会問題・政治問題を浮かび上がらせようとする彼らの歌は、2000年代以降の香港文化の中で台頭する「本土主義」(ローカリズム)とも相性がよく、後世への影響も大きい。たとえば具体的な地名を多用するMy Little Airportの曲づくりの原型は、きっと達明一派にある。
My Little Airportは実際に2016年に達明一派のデビュー30周年を記念したトリビュートアルバム『達明一代』に参加し、『你望・我望』をカバーしている。
寂寞在舞中消逝 漫漫樂韻交替
(寂しさはダンスの中に消え ゆっくり曲調が変わっていく)
人們仍為舞會著迷 琴弦嘹亮徹底
(人々はそれでもダンスに夢中 弦の音が澄み渡る)
站在伴侶的背後 靜靜疊上雙手
(パートナーの背後に立って そっと両手を重ねる)
無從明白你的念頭 為何凝視我喝酒
(君は何を考えているのだろう 酒を飲む僕を凝視して)
我望你望我面 只隔一線
(僕の顔を見る君を見る僕 2人の間はほんの一線)
你望我望你面 心裡束縛再加添
(君の顔を見る僕を見る君 心が更に縛られていく)
また、それまでカントポップ界でとりあげられることのなかった同性愛等も曲のテーマとしてとりあげ『忘記他是她』("彼だか彼女だか")、『禁色』などの名曲を残している。
願某地方 不需將愛傷害
(どこかにあって欲しい 愛を傷つけることなく)
抹殺內心的色彩
(心の中の彩りを抹殺することない場所が)
願某日子 不需苦痛忍耐
(いつか来てほしい 苦痛に耐えしのぶことなく)
將禁色盡染在夢魂外
(禁じられた色で夢想の外も染められる日が)
ボーカルの黃耀明は2012年に同性愛者であることをカミングアウトしていて、LGBTの権利運動、民主化運動にも積極的に関わっており、アクティビストとしても大きな影響力をもっている。
=============
一方のBeyondは、影響力でいったらたぶんそれ以上だ。香港を代表する唯一無二のレジェンドバンドとして知られる。彼らの歌は香港のアンセムとなり、たとえば「気ままに自由をもとめる僕を許してくれ」と歌う『海闊天空』は、自由をもとめる民主化運動の象徴として2014年の雨傘運動などでも盛んに歌われた。1993年に早逝したフロントマンの黃家駒を「香港最高のスポークスマン」と呼ぶものもいる。
ニューウェイブ的で文化系の匂いのする達明一派とは対照的に、Beyondは直球の体育会系ロックバンドで、「一緒に叫ぼうロッケンロール!」とか歌えてしまうタイプだ(『再見理想』)。
香港の象徴として政治的な意味での再評価も進む今あらためて彼らの歌を聞いてみると意外なのは、歌詞には具体的な政治思想も香港の現状への言及もそれほどみられないことだ。
達明一派の歌詞の典型的な主人公が、光り輝く夜の都市の路上の喧騒の中で未来への不安を感じるタイプの人物だとすると、Beyondの歌の主人公は人気のない場所で雨にうたれ風に吹かれながら自由や理想を抱きしめたがる傾向にはある。
小雨と風が 濡らす黄昏の街道
雨を拭い ふと視線を上げると
ひとりぼっちの夜の明かり
それは あの悲しい記憶
——『喜歡妳』
いまや残された肉体だけが
黄金時代を迎え
風雨の中自由を抱きしめる
——『光輝歲月』
今日僕は 寒い夜 漂う雪を眺めてる
冷え切った心を抱え 遠くへただよう
風雨の中 追いかけた
霧の中 霞んで見えない人影
果てなく広がる空と海 君と僕も
変わってしまうのか(変わらぬ人などいるだろうか)
——『海闊天空』
スケールは大きいのだけど、どこかハリウッド的で抽象的なヒロイズムだ。
たしかにBeyondにも社会を風刺するような曲もあるけど(メンツ重視の業界の慣行を皮肉る『俾面派對』とか)、ツッパリ続けたロックバンドというよりは、うまい具合にデビューアルバムのタイトル通りに『再見理想』(理想にサヨナラ)して、売れ筋路線を上手にめざした部分もあると思う。
「母への愛」というロックバンドの歌としてはなかなか珍しいテーマをとりあげた『真的愛你』という歌もあって、ヒット曲の一つとなっている。まあジョン・レノンの『Mother』もあるし、掟破りというほどではないのだろうけども、実際に当時はロックを捨てて体制に媚びる作品として批判されたりもしたようだ(『夜話港樂2』)。
また、ローカリズムというよりはその正反対の「中国趣味」というか中国大陸への強い関心も見られる。
初期の人気曲『喜歡你』(好きさ)はごく普通のラブソングだけど、MVでは人民解放軍風の服を来たメンバーが赤い星がついた帽子をかぶる少女と出会う、コテコテの中国表象がされている。
ヒット曲のひとつ『大地』は、Beyondの曲の詞を多く手がけた作詞家・劉卓輝が40年ぶりに中国大陸の故郷に帰還を果たした国民党の老兵の旅に同行したことがきっかけで書かれており、かつて離れた故郷を再び訪ねて、故郷の大地に境界線がひかれてしまったことを嘆く。
また、喜太郎が手がけたイントロが日本でもテレビ番組やCMでよく使われる『長城』も天安門事件の暗い結末を、「長城」に代表される過去の偉大な文明と対比する形で描く、非常にナショナリスティックなシンボルに満ちた一曲になっている。
もちろん彼らのスケールの大きさにはそれがあっていて大変かっこいい。それに中国に限らず、スワヒリ語を歌詞にとりいれた『Amani』や、ネルソン・マンデラの生涯を歌う『光輝歲月』などのアフリカ系ソングもあり、偏狭なローカリズムとは対極の世界的な視野の広さをみせている。
そして彼らの商業主義/世界主義は、悲しいことに文字通り命取りになってしまった。日本進出を睨んで活動を行なっていた1993年6月、東京のテレビスタジオでのバラエティ番組撮影中にバンドの中心であったボーカリストの黃家駒がセットから転落し、命を落としてしまうのである。
============
31歳での早すぎる死から25年以上がたった今も彼の、そしてBeyondの人気は圧倒的だ。でも、私の中では彼らのある種のアンチ=ローカリズムと、「香港の代弁者」としてのイメージがうまく重ならなかった。
ちょうど没後25周年だった2018年のある日、尖沙咀のフェリー乗り場の近くを歩いていると異様な人だかりができていた。なにかと思うと人の輪の中心にストリートミュージシャンがいて、Beyondの『情人』を演奏していた。
黃家駒の死の直前にリリースされたアルバム『樂與努』(ロックンロール)収録の曲、つまり彼の遺作のひとつだ。
しんみりと曲に聞きいる人々の思いと、そして自分がある意味では彼を「殺した」国の出身であるという事実から、なんだかどうも悲しくなって、人混みをかきわけながらその場をはなれた。
その時、後ろから聴こえてくる歌詞が、まるで自分のために歌われているように感じてハッと立ち止まった。
盼望我別去後會共你在遠方相聚……
(僕が行ってしまっても また遠くで君と会えたらいいな)
我即使離開你的天空裡
(たとえ僕が君の空にいなくなるとしても)
哦 你可知誰甘心歸去
(わかるだろ 誰が満足して帰れるだろう)
你與我之間有誰
(君と僕の間にいるのは誰だ)
是緣是情是童真還是意外
(運命か 愛か 若さ故か あるいは事故か)
有淚有罪有付出還有忍耐……
(泣いて 間違えて 償って 我慢もした)
別れを伝えるありがちなラブソングのはずの歌詞が、まるでファンに残した彼の遺言のように聞こえてきた。
あのときはじめてBeyondの「声」を聞いた気がする。
抽象的でスケールの大きい彼らの歌は、いろいろな状況にあてはめて解釈することができる。だからこそ「発表当時は、放任を求める若者の歌と思われた」彼らの歌が、2014年の催涙煙の中の香港の心情を表す歌として人々に歌われる、というような奇跡も起きる(倉田徹・張彧暋『香港』、岩波新書、2015、188-189頁)。
ポップミュージックの最大のミッションが、誰もが「これは私の歌だ」と共感できるような歌をつくることにあるとすれば、きっとそれこそがBeyondが、黃家駒が、香港で成し遂げたことだった。
それに気づいた時、私は、はじめて香港が失ったものの大きさを知った。
===============
1990年の達明一派の解散と1993年の黃家駒の死によって、香港の第二次バンドは終焉を迎える。しかし短命に終わったこのムーブメントからは、第一次ブームと同様に次の世代を担う人材が生まれた。たとえば陳少琪(達明一派)、 周耀輝(達明一派)、劉卓輝(Beyond)らバンドの「もうひとりのメンバー」として活躍した御用作詞家たちであり、その中には短命に終わったエレクトロ・デュオRaidasとの仕事によって頭角を現した次世代の天才作詞家・林夕もいた。
==============
→ (5)說不出的未來:カントポップと香港返還
