取り出しましょうか、と言われた日|流産・不育と向き合った記録
この記事でも書きましたが、このころ本当につらかった。
不妊という言葉は知っていたから、妊娠検査薬がすぐに陽性になったので、何も考えずやったーと大喜びしていて、何も疑わず当たり前に「順調にいくはず」と思っていました。
でも――まったく育たなかった。
産婦人科で検査を受けるたび、「育っていない」と告げられ、胸が締めつけられました。
「育たないことってあるの?」
――医師は淡々としていて、メンタルはズタボロ。すごく、泣きました。
しかも、最初に行った病院は安いけど、配慮が全くありませんでした。
診察中は仕切りはあっても意味をなしていなくて、看護師さんが数人並んで見られている状態に、ただでさえ傷ついている心がズタズタに。
足を開いたままの診察台の上で、「もうこれ以上待っても意味がないので、取り出しましょうか」と告げられました。
心が、まったく追いつきませんでした。
「え?そんなにあっさりと……?」という気持ちと、
「もう本当に、どうにもならないの……?」という思いが交錯して、
「しかもこの状態でそんなこと言うの……?」という悲しさが溢れて、
頭の中も、心の中も、ぐちゃぐちゃでした。
流産手術のときも、初めて経験する痛みと、恥ずかしさと、どうしようもない悲しさで、心が壊れそうでした。
術後は安静のため、仕事を1週間休みましたが、魂が抜けたような状態でした。
人工的に取り出したから次の妊娠まで6ヶ月は空けないといけないと言われて、またあの経験をするのかと思うと、怖くて仕方がありませんでした。
でも、2回目もまた、同じ結果に――。
転院を決めました。最初のとき口コミを見ていて、女医のいる産婦人科にしたのです。でも配慮がないことで、傷つきました。
ネットではなく、周りの生の意見を聞いて、「信頼」を重視しました。
ネットの口コミとまるで違う事実に驚きます。1回目の病院は医療ミスも多かったのです。産婦人科は聞けるなら地域の人に聞くことをおすすめします。
2回目の産婦人科は信頼が高い分、確かに高かった。流産手術の金額が1回目が3万円程度だったのに対し、2回目は10万円。
けれど、そのぶん寄り添ってくれました。
流産手術という心が一番壊れそうなとき、助産師さんのサポートが本当に温かく、救われた気がしました。
出産費用も当然のように出産一時金では賄えず、かなり高額です。
でも育たない経験から恐くて少しの違和感に病院に何度も足を運んでいました。
見えないから毎日育っているのか恐くて不安でした。
ちなみに、我が家では流産のたびにペットが増えました。
たぶん夫なりに、私を励まそうとしてくれたのだと思います。
1回目の流産後はハリネズミ。
2回目はチンチラ。
3回目は「犬を飼おうか」と悩みましたが、さすがに2匹の世話で手一杯だったので諦めました。
ただ、私はねこが一番好きで飼うならねこが良かったのですが、もともと旦那はペット反対派だったので、こうなりました。
嬉しいけど、「本当はねこが」という気持ちがありました(笑)それでも夫なりに寄り添おうとしてくれて嬉しかったです。
生き物の命を育てることで、悲しみを少しでも変換しようとしていたのだと思います。
初めて飼育する生き物でお世話に終われていました。ハリネズミやチンチラの飼育した記録も投稿しようかな?興味ある人教えてください(笑)
心のバランスの保ち方は人それぞれです。
私は不育症と流産を経験しましたが、今は子どもに恵まれました。結婚してから出産まで3年ほどかかりました。不妊や不育を長く経験された方からすると短いと思われるかもしれません。それでも私にとってとても長い時間でした。周りが順調に出産していく姿を見るのがつらかったし、苦しかった。
私は2人目は考えていません。今でも2人目どうするの?って周りから聞かれます。
「今が楽しいので!」と答えています。
不妊も不育も、お金がかかります。
そして何より「いつ終わるか分からない」のが本当に苦しい。
私は、もし4回目の流産を経験したら、潔く子どもはあきらめて、“子どもを支える側”に回ろうと決めていました。
今、育児をしながら思います。
「未来の子どもたちのために、私にできることをしたい」と。
同じように、育児経験を経て、「子どもを支える立場に立ちたい」と考えている方、きっと多いのではないでしょうか。
私が感じているのは、「お金じゃない、心の拠り所になるような支援」の大切さです。
そして、ヤングケアラーや見えない貧困で育った子どもたちの社会での生きづらさ。働き方を知らない子どもたちへの人生の歩き方を伝えていきたい。前の向き方が分からない人がいるなら希望を与えたいなと思います。
でも、それは本当に難しい。
本音を言えない人、たくさんいます。
私自身、大学時代に無償のカウンセリングに通ったことがあります。
「あなたのせいじゃない」と言われたり、
「お母さんのこと、どう思ってますか?」と聞かれたとき――
母を責められているように感じて、通うのをやめました。
結局、心の拠り所は、自分で見つけるしかないのかもしれません。
義務教育はある。
でも、自分のやりたいことを自由に選べる環境をつくるには、やっぱり「お金」が必要。
私は、“支援のかたち”とは何かを、今も考え続けています。
共感・応援いただけたら、「スキ」してもらえると励みになります。
読んでくださり、ありがとうございました。
