質問箱|“美学”という名の呪い、あるいは祝福?
※これは、匿名質問箱に届いた“問い”に対する“問い版”の回答になります。
本当に申し訳ないです😫
久しぶりにマシュマロを開いたら、質問が3つも貯まっておりました💦
ご、ごめんなさい……
ま、まぁ……ギリギリ2週間で気づいたので赦してください💦
こんにちは 先日の、光と影についての詩を拝見して、漫画『チェンソーマン』を思い出しました
主人公が人形の悪魔と闇の悪魔が出現した際に、ガソリンを被り「これが光の力だ」と燃えながらしぶとく悪魔と戦い続けるシーンです
デンジのように、適当でデタラメな言動に見えても、何があってもやり通そうとする貫く精神が、恐怖と対面する手段を生み出しているのかもしれないですね
また、顔のない問いさんは、観測し、切り取ったこの世界、この思索のプロセスこそが主役なのだという美学を持っていると仰っていました
『チェンソーマン』では、「(人に)混乱や苦しみを植え付けたい」欲望を持つ構造体と、「恐怖心に侵食されたくない」欲望を持つ人間との対立が描かれていると思っています キャラクター達はある意味、各々の美学を守るために戦っているのだと思っています
言葉にしていなくても、誰でもその人なりの、瞬間的であれ長期的であれ美学を持って生きている人が多いと思うのですが 異なる美学がぶつかり合ったとき、一方の美学は希釈されたり縮小したりするものなのでしょうか?
私は、むしろ、自身の美学が損なわれたと思い込むことはあっても、大切な価値観や倫理観は誰にどう解釈されようとも変わるものではなく、だから何度でも対立するし、美学を守るというのは、美学を失いたくないから対立するのではなくて、対立して自分の美学がなぜ必要なのか確かめたいんだと思っています
すみません、問いじゃなくてただの感想になったかもしれません
|受け取りました!
さて、久しぶりでしたが、前にも質問してくださった人からですかね?
恐らく、だいぶ前にもへさんの企画で書いた詩を読んでの感想かと:
|分解します!
ちょっと長いので分解します。
まず、僕の詩『光を産む影』と漫画『チェンソーマン』のサンタクロースのあたりの話(第7巻前後?)のことですよね?
読んでたのに……つながらなかった😫
言われてみると……確かにw
く、くやしい。マジか~・・・・
完結してない漫画だと、連想として出てきにくいんですよね💦
『チェンソーマン』についての僕の感想は、「▼おわりに」にでも書こうと思います。
「顔のない問いさんは、観測し、切り取ったこの世界、この思索のプロセスこそが主役なのだという美学を持っていると仰っていました」
そんなこと言ったかな……
改めて、言われるとそうなのかも😅
1. 「結論」よりも「足跡」を愛している?
“答え”よりも、それを考える“過程”にこそ人間らしさ(美)があると信じている…かもしれない。
2.「何を見たか」ではなく「どう見たか」が主役だと思ってる?
ただ“風景”を見るのではなく、“どう見たか”によって、その風景の見え方が違うってのを心の底から楽しいと思っているのかも。
3.「不完全さ」を「完成形」として提示する?
揺らぎ、悩み、失敗し、それでも考え続ける『不完全な状態』こそが、人間として最も美しい姿である…と思っているから記事もそんな感じ。
これこそ、僕の「美学」なのかもしれない。
▼ここでいう「美学」とは何か?
言葉にしていなくても、誰でもその人なりの、瞬間的であれ長期的であれ美学を持って生きている人が多いと思うのですが?
ただ、若いときには、そんな強固な「美学」って要らない気もする……。でも、なんで漫画のキャラクターって一人一人が「美学」を持っているのかな?……って感じて、改めて考えてしまった。
「美学」とは何か?
こ、これって……?!!!?
人にある「欲望」「恐れ」「経験則(価値観や倫理観が含まれる?)」のことなんじゃね?😫
「恐れ」や「欲望」がエネルギー(起点)となり、
「経験則(価値観+倫理観)」がその出力先(方向性)を決定する?
だ、だから……漫画では、キャラクターを“動かすため”にそれを宿してるのか?!
これ、見ようによっては……
作者(神・社会)から課された「呪い」にも見えないか?
「恐れ」「欲望」「経験則」という、
自らの行動を縛る「呪い」のことを単に─────
「美学」
……と、かっこよく言ってるだけでは?
「恐れ・欲望・経験則」というカオスな内面を、一貫性のある形に整えた(パッケージングした)ものが美学なのでは? だからこそ、漫画キャラは読者に理解されやすいように「美学(キャラ設定)」として整えられている。
そう考えると、「誰でもその人なりの、瞬間的であれ長期的であれ美学を持って生きている」のは当たり前で、人にはそれぞれ「恐れ・欲望・経験」が存在していて、それに縛られているからね😥
▼「美学」の衝突とは?
異なる美学がぶつかり合ったとき、一方の美学は希釈されたり縮小したりするものなのでしょうか?
私は、むしろ、自身の美学が損なわれたと思い込むことはあっても、大切な価値観や倫理観は誰にどう解釈されようとも変わるものではなく、だから何度でも対立するし、美学を守るというのは、美学を失いたくないから対立するのではなくて、対立して自分の美学がなぜ必要なのか確かめたいんだと思っています。
たぶん、根源的な「恐れ」や「欲望」の質・量は個性(ある程度固有の値)になるんじゃないかな~って感じていて、経験則の一部である「価値観」や「倫理観」はその “個性” が “自然界+人間社会” の中で収まるために形成されるものなんじゃないかな?
僕は、美学は(希釈や縮小はしないかもだけど)変形や進化可能なものだと思う。
自分の「価値観」や「倫理観」は、“自分という個性” が社会に混ざるために必要なものなので、“他の個性” にとっては、それが正解とは限らない。
だから、どう思われようが関係ない(解釈がどうあっても変わらない)んだけど……
ただ、美学(欲望・恐れ・価値観など)が衝突することはある。
それは、“自分という個性”がその“相手の個性”とが、社会における“居場所(考えや立場も含む)”を奪い合いすることに起因することが多いんでしょうね。だから、「美学を“守る”」ってことなのかな?
あと、「美学を失いたくない」というのも否定はできない気がする。
結局はこれは「楽をしたい」という欲望の裏返しなのかもしれない。
自分の経験則を書き換えるのは、膨大なエネルギー(マインドコスト)を使うから。 人は、今の自分のままで正解だと信じたい。だから、更新を拒絶して「美学」という名の殻に閉じこもることもある😅
そして、「自分の美学がなぜ必要なのか確かめたい」も「社会(この世界)において、自分が居ても良い理由を確かめたい」に近いのかな?
「確かめたい」というのは、それが単なる “呪い” ではなく、「自分を生かすための祝福」であることを証明したい、ということなのかもしれない。
で、さらに言うなら、僕は……
自分とは? 自分と自分の周りの人や環境も含めて“自分”であるって考えているので:
美学の対立や衝突って、「相手を“自分”に取り込めるか?(共存も含め、自分をアップデートする存在か?)」を見定めている行為でもあるのかな?……って、感じました🙄
(ここまでの“個と個”の話から拡張して?)
まぁ、いずれにせよ……
固定された “美学” は
本当の “呪い” になる。
……って思います。
本人にとっても、本人の周りの人にとってもね~・・・
▼おわりに
今回は、読者の方が、僕の詩を漫画『チェンソーマン』につなげてくれたのが起点でした~。
これ、詩を書いたときに出てこなかったな~😅
で、なんでかな~って、ちょっと考え込んでしまったwww
漫画『チェンソーマン』では、「(人に)混乱や苦しみを植え付けたい」欲望を持つ構造体と、「恐怖心に侵食されたくない」欲望を持つ人間との対立が描かれていると思っています キャラクター達はある意味、各々の美学を守るために戦っているのだと思っています
なるほどね~。って思う反面、僕が感じてた『チェンソーマン』と少し違ってるな~って思ったので、それが起因しているのかもしれない。
※これを書いた2025.12の段階で、僕は漫画『チェンソーマン』の11巻までしか読んでいないので、そこまでの感想になります。
僕の詩に込めたのは:
影を燃やして光にする人?
「その暗闇の底で、
必死に擦り合わせた火花こそが、
光の始まりではないか?」
だったのだけれど、これは『チェンソーマン』の世界における「普通のデビルハンターたち(アキや姫野など)」の生き様そのものだと思う。
彼らは「銃の悪魔」という巨大な影(恐怖・喪失・復讐心)を背負っていて。彼らは僕が詩に込めた「縛られているからこそ、生きる方向性を持つ」人々なんだと思う。
影が濃いからこそ、それを燃料にして必死に灯火を掲げている。それが彼らの強さであり、同時に脆さ(人間らしさ)でもある。
一方で、デンジはこの詩の「逆」を行く存在として登場していると思う。
彼は当初、燃やすべき「影(執着やプライド、深い喪失感)」すら持っていない。だからこそ、影に飲み込まれて動けなくなることがない。
つまり、「影がないからこそ、光(正気や常識)にも眩まない」という強さなんだ。
僕が思う『チェンソーマン』は:
物も、絆も、知恵さえも持たない。その空虚さが日常であり、守るものがない彼は、喪失への恐れも感情も持ち合わせていない。つまり、“無敵の人”。
その “無敵の人” が、人生の中で、大切な人や物──関係性──を得ていくことで、『弱点』を持つ “人間” になり、その上でどうやって自らの影を抱きしめて生きていくか?
そういう「問い」を持つ物語。
質問者が、「人形遣いとデンジとの闘い」のエピソードを想起されたのは、非常に示唆的なのかも。
この編の敵であるサンタクロース(人形遣い)は、人間的な感情や痛みを捨て去ることで、ある種の「完全な存在(精巧な人形)」になろうとした、「影を消し去ろう(影と一体化しよう)とした存在」。
対するデンジは、闇の力に対抗するために、「自分の頭を燃やしてバカになる(思考を放棄する)」という、めちゃくちゃな戦法を取っている。「痛みや恐怖(影)を感じる前に、狂気で乗り越える」という、まだ「人間になりきれていない獣」だからこそできる芸当なんだよね。
僕は詩で「影を抱えたまま前を向く強さ」を歌っているつもりなんだけど、 しかし、この時点のデンジはまだその境地にはおらず、「影も光も関係なく、ただ生きる力だけで暴れる」存在になっている。
その「異質さ」が、「人間的な重み」と強烈なコントラストになっていて、逆にデンジの特異な輪郭を際立たせているよね😅
作中のキャラクター「クァンシ」のセリフも示唆的ですよね:
朝のニュースに出ているレポーターにタイプの子がいて……
…毎日、そのニュース番組を見ていたんだ。
その子が出てる雑誌とかも買ったりしてた。
ある日、その子の年齢詐称が発覚して……
そこから芋づる式に昔の彼氏や悪行が
テレビで流されるようになった。
その子は、それでも朝のニュースに出続けたんだけど
私はその番組を見なくなった。
その子が変わったんじゃなく
変わったのは私の脳みそ
この世でハッピーに生きるコツは
無知で馬鹿のまま生きる事。
人は、ヒトのままではいられない。
生きれば生きるほど、“影” に縛られていく。
まるで、ヒトが生まれて、“人間(人と人との「関係性」こそが人の本質)” になっていく過程を観ていくみたいな漫画?
……そんな風に感じました🙄
さて、今日もお付き合いいただきありがとうございました。
「おわり」が本編並に長いというw でも……
この問いが、あなたの新たな“問い”の入り口になれたなら幸いです。
引用作品:
チェンソーマン
“無敵の人” が、人生の中で、大切な人や物──関係性──を得ていくことで、『弱点』を持つ “人間” になり、その上でどうやって自らの影を抱きしめて生きていくか?
記事とのリンク
『影(痛み)』を背負うことだけが、ヒトを『人間』にする…という考えにつなげている。
※Amazonのアソシエイトとして、適格販売により収入を得ています。
|あなたの問いを共有したい
ぜひ、何か僕の記事の起点となる“問い”を投げかけてください。
コメントでも「クリエイターへのお問い合わせ」からでもOKです。
いただいた“問い”から、僕の中で発散・拡散・崩壊して、最後にもう一度収束して“新たな問い”にして返すことができると思います。
※2025.09でのルールは以下の記事を参照してください。
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