予約したいんですけど、の「けど」って何だ?
どうして「けど」を付けてしまうんだろう。
何かを申し込むときに
「4名で予約したいんですけど…」と言ってしまう。
無意識だけど、ないと何かが足りない。
予約したいなら、
「予約したい」でいいはずだ。
自信がないのか。
そこまで下手に出なくてもいい気もするが。
言い切って偉そうにするのが嫌だ、というのはある。
お願いするときに偉そうにするヤツが好きではないのは確かだ。
自分のことなのによくわかっていないのだが、
この「けど」の後には
何か言いたいことがある気がする。
……けどわからない。
わからないが、
たぶんこの「けど」の後には、
目に見えない“お伺い”みたいなものがある。
「あなたの意見はどうですか?」
と相手に聞いているような気もする。
最初に言ったように、
「お願いします」と言い切っても何も問題はない。
お願いしても、断られるなら断られるだけだ。
結果は変わらないし、それでこっちが傷つくこともない。
それでも「けど」を付けてしまう。
たぶん、無いと気持ち悪いから付けている。
何となく、会話を丸くしようとしているんだろう。
日本人的な曖昧さが染み付いている感じもある。
日本語にはこういう“余白ワード”が多い。
「一応」もそうだ。
「一応、やっておきました」
「一応、考えておきます」など、
やったならやった。考えるなら考える。そう言えばいいのに、
「一応」をつけると何となく答えやすい。
これはどう考えても“逃げ道”だろう。
「一応、考えておきます。(考えられないケースもなくは無いですが)」
このかっこの部分を言わずにニュアンスだけ残している。
「けど」は相手に委ねる余白で、
「一応」は自分のための逃げ道だ。
……便利である。
どちらも、
会話の潤滑油だと考えられなくもない。
けど、この便利さは麻薬的でもある。
楽になるから、やたら使ってしまう。
あんまり「一応」を連発するヤツは信用できない。
やること全てが「一応」に見えてしまう。
「けど」が多いヤツもだ。
けどは「だけど」だから、
言われている方は常に否定されている気分になる。
そこまで考える必要はないのかもしれないが、
こういうのって口癖だから、危なさはある。
結局はその人の性格、
ものごとに対する行動のクセなんだろう。
ちゃんと自分を出さないままでも、
会話は成立してしまう。
その便利さに慣れすぎると、
自分が本当はどうしたいのか、まで
曖昧になってしまうのかもしれない。
ちょっと怖い。
会話は丸くなっても、
本音まで丸くする必要はないはずだ。
たぶんこれは、自分だけじゃなく、
かなり多くの日本人がそうなんだろう。
だから、
そこまで気にする必要もないんだろう。
……けど。
