化粧は「化ける」で、メイクは「作る」ってちょっとひどくないか
「化粧」って言葉、サラッと聞くと美しく感じるけど、
よく見ると「化ける」が入っていてギョッとする。
それ言っちゃ身も蓋もないと思うのだが、
「〇〇化する」みたいに、普通に変化するって意図でも使うから、それほど大袈裟じゃないのかもしれない。
とはいえ、「変化」という字もなかなかである。
「進化」ならモトがあっての話だが、変化はすべてを捨てて変わりたがっている。
やっぱり化けようとしているのか。
「化粧」と聞いてすぐに「化ける」と結びつかないのは、「粧」のサポートがあるからではないか。
「粧」、漢字としては 装飾・身支度 の方向で使われてきたらしい。
粧う(よそおう)ってやつだ。
「装」と近いけど、装 が服や外見全般なら、粧 はもう少し 美しく整える・めかす 感じ。なので、化けるを少しだけ、「調整する」的な方面に引き寄せている。
しかし「粧」という字は、「米」+「庄」だ。
米の庄屋さん?まったくオシャレじゃない。
これは完全に独断だが、
この字の「米」の部分が、絵的にちょっと輝いて見えるのと、
「ショウ」という言葉の響きが相まって、
キラッとした印象を与えるのではないか。
何の根拠もないが、ふと思った。
そうとでも考えないと、化粧のイメージを説明できない。
さらに変なのが、英語だ。
化粧は英語で make up 。
これもまた「おいおい」と突っ込みたくなる表現である。
日本人も普通に「メイクする」などと言う。
「作る」って何だよ。
こうなるともう化けるとか言ってるレベルでもない。
モトがそもそも「無い」って言ってるようなものである。
ゼロから作ろうとしている。
しかも “makeup” は
「不足を埋め合わせる」みたいな意味まである。
そうか。だから「盛る」って言うのか。
結局のところ、
日本語:変身
英語:制作
となるので、どっちも素材そのものに厳しい。
しかし、
化粧:演出
メイク:表現
とも捉えられる。
どっちもクリエイティブな作業である。
変わりたいという気持ちは、何か新しいものを創り出したいという気持ち。
そう思うとよく理解できる。
単なる延長線上にあることをあえて良しとしない。
全く別の次元に飛びたい。
どこか「魔法」のようなもの、なのかもしれない。
そう思うと、化粧が「化ける」であることにも納得がいく。
子供のころシンデレラのアニメを見て、
魔法で綺麗な服を着せてもらってるけど、もともと美人じゃん。
と思ったのを思い出した。
どうせだったら、もっと根こそぎ変わってほしい。
かぼちゃが豪華な馬車に変わったくらいに。
だから、鏡に向かう時間は、自分をゼロから作り変える『儀式』なんだな。
紆余曲折あってやっと辿り着いた結論だが、
女性からすると「何を今さら」という話かもしれない。
おじさんの理解なんて、だいたいそのくらい遅れてやってくるのだ。
