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なぜ人は、用もないのに冷蔵庫を開けるのか

「ピアノの練習を続けるコツは、フタを閉めないこと。」という話を昨日したが、この、開ける、閉める、は、単なるオンオフだけじゃない気もする。

“扉”というものが、ふたつの世界を分ける境界線になっている。

なんか大袈裟な物言いだが、たとえばドアを開ける前は、ドアの向こうに何があるかはわからない。トビラの向こうには最初から何かがある。けれど、開ける前の自分には、それは存在しない。
あれ?これって“シュレーディンガーの猫”か?いや、そんな高尚な話をするつもりはないです。

量子力学ではなく、日常の話。

なぜか、ふと冷蔵庫を開けてしまう。
開けたあとで、あれ、何で開けたんだっけ、と思う。別に目的はないのに、何となく扉を開けてしまう。そういうことってないですか?

腹減ってるんだろう。まあ、そうなのかもしれないが、それだけじゃなく、なぜか用もないのに開けてしまうのだ。思うに、中にある特定のモノを取り出すためじゃなくて、中に“何かがある”から開けてしまう。

ほとんど無意識。
思うに、この“冷蔵庫の分厚いトビラ”に「つい開けようと思ってしまう何か」があるんじゃないかと思う。実際、開けてしまえば、中にあるものなんてだいたいわかっている。驚くような、心躍るようなものが入っているはずもない。それでも開ける前、トビラの向こうには「何か」があるのだ。
もちろん、開けたあと、そこにあるのは現実だけなので、結局は「何で開けたんだ?」になるのだが。

“Unexpected good fortune”という言葉が好きだ。
確か中学1年のときの英語の教科書に出てきた言葉。「予期せぬ幸運」と訳されていた。幸運にもいろんな種類があると思うが、個人的に幸運は、待ち構えていないときのものが最上級だと思っている。まあ、ラッキーと呼ばれるものはたいがいコレだが。
そして、矛盾するが、人はいつもこれを待っている。予期せぬ、と言いながら、漠然と思い描いているわけで、その辺が人間のどうしようもないところだと思う。

冷蔵庫のトビラの向こうには、そういうものがある、と、たぶん思っているのだ。もちろん現実的には、あったとしても“ひとつ残ってたプリン”くらいなのだが、なぜだか、あるはずのないものが、トビラを開ける前には、そこにあるんである。

そう思うと、実は“開ける前”こそがいちばん幸せ、だとも言える。
何も起こっていない、トビラの前に立っている時間。もしそれが幸せなんだとしたら、誰もがほとんどの時間、幸せだ、ということになる。
現実逃避と言われればそれまでだが、意外にそういうもんじゃないかな。

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