柴田錬三郎:岡山・吉備路文学館
私は、それらの文学者がのこしてくれた作品から学びとった虚無思想によって、体力の消耗を最小限にくいとめることができたのである。
柴田錬三郎(しばた・れんざぶろう、1917年~1978年)…小説家。第二次世界大戦時に、輸送船が砲撃により沈没。バシー海峡にて7時間余の漂流後、生還した経験を持つ。本名は、齋藤錬三郎(さいとう・れんざぶろう)。

画像は、岡山県岡山市にある吉備路文学館。
柴田錬三郎をはじめ、岡山県全域(備前・備中・美作)と、広島県東部(備後)の地域の総称・吉備路(きびじ)にゆかりのある作家を紹介している文学館。
柴田錬三郎は、岡山県備前市の生まれ。岡山県第二岡山中学校(現在の操山中学校・高等学校)を経て、慶應義塾大学文学部支那文学科を卒業。
あまり意識をしていなかったが、父親を3歳の頃に亡くしている。
兄二人とともに母親に育てられた。実家は地主であったので資産的には余裕があった感じかもしれない。
一時期、歴史小説・時代小説に熱中していた。
隆慶一郎(りゅう・けいいちろう、1923年~1989年)の作品は全て読んだ。司馬遼太郎(しば・りょうたろう、1923年~1996年)は、『空海の風景』を繰り返し読んだ。
何故か他の作品には、のめり込んでいかなかったけれど。
大量に作品のある柴田錬三郎という人物に目が行く。何から読み始めたのかは憶えてはいない。
でも、あっという間に夢中になって他の作品も読み進めていった。
当然『眠狂四郎無頼控』シリーズも読んでいく。低年齢層向けの本も多く手掛けていたから、分かりやすく相性も良かったのかもしれない。
今回少し調べてみたら『眠狂四郎無頼控』は、新潮社の伝説的な編集者である齋藤十一(さいとう・じゅういち、1914年~2000年)からの依頼だったのか。
齋藤十一と当時の出版業界、文豪たちとの交流が知りたい人は、こちらの『鬼才 伝説の編集人 齋藤十一』も。
でも柴田錬三郎についての言及は無かったような記憶なんだけれど。あったかな。思い出せないが。
真田十勇士や大岡政談を扱ったものから、三国志など中国ものまで幅広い歴史を自由に作品に仕上げていく柴田錬三郎。
ここから先は
この記事が参加している募集
本や資料の購入に使わせていただきます!
