山崎豊子:大阪・藤次寺の墓所、編集者・齋藤十一、井上靖、伊藤忠商事、阿波野青畝、秘書・上野孝子など
齋藤の指示を拒否する作家は珍しい。新人作家だからそれができたのかもしれないが、山崎はタイトルに対し、ひといちばい思い入れの強い作家だった。
山崎豊子(やまさき・とよこ、1924年~2013年)…小説家。本名は、杉本豊子(すぎもと・とよこ)。
新潮社の有名な編集者であった齋藤十一(さいとう・じゅういち、1914年~2000年)が、『ぼんち』というタイトルが分かりにくいから、別のものに変更するように、山崎豊子に伝えた。
だが、山崎豊子はその助言を断って、そのままのタイトル『ぼんち』で押し切ったという逸話が冒頭の引用である。
「ぼんち」とは、豪快に遊ぶが肝が座っている、器の大きな商家の跡取り息子を意味する関西の言葉。お金持ちの残念な放蕩息子の「ぼんぼん」とは異なる点がポイントである。
「ぼんち」がプラス、「ぼんぼん」がマイナスの意味合いが含まれているといった違いか。
ちなみに、齋藤十一は、単なる名物編集者ではなく、新潮社の創業者の家系・佐藤家とゆかりがあったり、多くの若手作家を育て上げたり、「週刊新潮」や「フォーカス」を創刊したり。
といったように、かなりの実力と実績と威厳と権力を持っていたと言われる人物。「新潮社の天皇」、「新潮社の怪物」とも呼ばれていたとか。
山崎豊子は、そのような人物に対して、尊敬や畏敬の念を抱きつつも、自分の意見をしっかりと通す部分もあったようだ。
齋藤十一が関わった作家には、山崎豊子の他に以下の人物たちなど。
坂口安吾(さかぐち・あんご、1906年~1955年)
太宰治(だざい・おさむ、1909年~1948年)
松本清張(まつもと・せいちょう、1909年~1992年)
新田次郎(にった・じろう、1912年~1980年)
柴田錬三郎(しばた・れんざぶろう、1917年~1978年)
五味康祐(ごみ・やすすけ、1921年~1980年)
瀬戸内寂聴(せとうち・じゃくちょう、1922年~2021年)
吉村昭(よしむら・あきら、1927年~2006年)
錚々たる作家の面々!
さらには、文芸評論家の小林秀雄(こばやし・ひでお、1902年~1983年)などとも交流があったという。純文学から大衆文学、そして、評論など、ジャンルも問わずに、縦横無尽に活躍している齋藤十一。
ヤバ過ぎである!
才能あり過ぎ。先見の明があり過ぎである。
齋藤十一に関しては、以下の『鬼才 伝説の編集者 齋藤十一』に詳しく書かれているので、興味のある人はぜひ。
というわけで、今回は齋藤十一ではなく、山崎豊子である。
そもそも「やまざき」だと思っていたら、「やまさき」で濁点がないのか。YAMA「ZA」KIではなく、YAMA「SA」KIである。知らなかった。
山崎豊子は、大阪府大阪市中央区南船場の出身。実家は老舗の昆布屋である小倉屋山本(おぐらややまもと)。
というか、現在もしっかりと続いているどころか、めっちゃ堅実に程よい規模感で経営している。創業は、1848年、嘉永元年である。本社の所在地は、大阪府大阪市中央区南船場なのである。
凄いな。いつか、小倉屋山本の商品を味わってみたいと思う。
楽天市場にも出店しているので、機会があったら購入してみよう。送料無料のお試しセットなどもあって、なるほど、手頃で試しやすくて分かっているじゃないか、といった感じである。
山崎豊子の生い立ちに話を戻す。
大阪市芦池尋常小学校(現在の大阪市立南小学校)、相愛高等女学校(現在の相愛中学校・高等学校)、京都女子高等専門学校(現在の京都女子大学)国文学科を卒業。
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