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予言を嘲笑するのも違うと思う

 釣りタイトルみたいですけど、読書記録です。

 私のカバンには常に文庫本が2冊入っていて、出先でも隙あらば読んでいます。読書好きあるある、ですよね。
 先日、運転免許の更新に行きまして、講習が始まるまでの待ち時間に携帯文庫を読みました。読んだのは伊坂幸太郎さんの『終末のフール』。
 この本を今携帯している理由が、実はタイトルに繋がっております。7月5日に日本に大災害が起こる、というあの予言です。『終末のフール』に描かれるのは予言ではなく科学的根拠のある小惑星衝突の発表を受けた人々の姿ですけれども、預言の日まであと1か月ということで、終末を前にした人々の物語を読みたくなりました。
 『終末のフール』は連作短編になっていて、待ち時間に読んだのは3つめの『籠城のビール』です。マスコミの報道が原因で妹を死に追いやられた兄弟の復讐劇。切ないけれどもほのかな救いの灯を見ることのできる作品でした。
 命の期限を知ることで自暴自棄になる人もいれば、残された日々をより深く豊かに生きようとする人々もいます。外野から見ている立場である読者の私は、自暴自棄になるなんてなんともったいない、最後なら人生を味わい尽くそうよ、と思うけれども、それが自分の身に降りかかったとしたらどうだろう。
 パニック映画をよく観る人は観ない人よりもパニックになりにくい、と聞いたことがあります。例えば『タイタニック』を観たことがある人は自分の乗った船が沈没しそうになったとき、観ていなかった場合よりはパニックが抑制される、ということ。
 終末もの、疫病もの、猛獣もの、いろいろあるけれど、読書や映画鑑賞では自分を重ね合わせるので、その状況はある程度シュミレーションを済ませたと言えなくもないですね。
 そこで、1か月後に迫ったあの予言です。
 私はあの予言を信仰していませんが、肯定的な目で見ています。ネイティブアメリカンは予言を大切にしていました。私の大好きなファンタジー小説の世界でも予言は大事にされています。
 それは備えるためです。
 自暴自棄になって暴動を起こす、となれば大問題ですが、備えることは必要ではないかな、と思います。いつでもそうですが、情報を受け取る側のリテラシーが大切なのですよね。ただ、「今拡散されている科学的根拠のない予言はまったくのデマです。7月5日には何も起こらないと私は断言します」というタイプの発言をする人だけは信用できないと思って、冷やかな目で見ています。南海トラフ地震にしても、首都直下型地震にしても、富士山噴火にしても、周期的にみていつ起きてもおかしくないと言われているのに、なぜ「起こらないと断言」できるのでしょう。

 では、読書記録を続けます。
 『終末のフール』の他に今読んでいる本は、
・『火山のふもとで』松家仁之 新潮社
 真ん中ほどまで読みました。フランク・ロイド・ライトに師事した老建築家の設計事務所に就職した若者が主人公。その設計事務所は、毎年夏になると事務所機能を浅間山のふもとに移します。その「夏の家」での所員たちのひと夏を描いた物語です。私に建築についての知識がまったくないため、最初は読みにくかったのですが、𝕏で多くの読書好きさんが推していただけあってとても面白いです。料理のことが丁寧に描かれるのも好きです。

・『野の道 宮沢賢治随想』山尾三省 野草社
 自分の軸を確かめるために、賢治さんの作品または賢治さん関連の本を必ず手元に置くようにしています。
 昨日は「祀られざるも神には神の神土がある」という章を読みました。「祀られざるも~」という言葉は『春と修羅』第二集にあります。山尾三省さんはその詩を挙げて、こう書いています。

 これが宮沢賢治の幸福の世界である。幸福? そう、幸福である。幸福とは、心が楽しく浮き浮きとしていることだけを呼ぶのではない。幸福とは、ある日突然訪れる幸運な有頂天だけのことではない。幸福とは自分とひとつのものになることである。それは喜びばかりではなく淋しさや苦しさをも等しく含んでいる。自分及び自分が置かれている場の人生に、根本的に同意できることである。これでよいのか、と自己に問う時、これでよいと根本的に自己が答えることである。するとそこに自己があり、自己に他ならない場が現れる。

・『アフリカの日々』アイザック・ディネーセン/著 横山貞子/訳 晶文社
 北欧の貴族と結婚し、アフリカに渡ってケニアでコーヒー農園を経営した日々を綴った自伝。自伝ではあるけれど、自分のことはほんの少ししか書かれていなくて、もっぱらアフリカの人々や大自然が愛情を持って克明に描かれています。 
 池澤夏樹さんが世界文学全集に入れているし、『ライ麦畑でつかまえて』のホールデンも敬愛するターシャ・テューダーもこの作品を愛読していたので、ずっと読みたかった作品をついに読み始めました。ヘミングウェイなんて、ご自分がノーベル文学賞を受賞したときのスピーチで、ディネーセンが受賞しなかったのが残念だ、というようなことをおっしゃったそうですよ。
 以下に引用しますディネーセンの一文は、上に挙げた山尾三省さんの言葉とシンクロします。 

 この高地で朝目がさめてまず心にうかぶこと、それは、この地こそ自分の居るべき場所なのだというよろこびである。


・『ブリクセン/ディネセンについての小さな本』スーネ・デ・スーザ・シュミット=マスン/著 枇谷玲子/訳 子ども時代
 『アフリカの日々』の作者ディネセンの丁寧な解説書。作家さんの伝記や自伝を読むと、自分とのあまりの違いに必ず打ちのめされますが、それでもやっぱり読みたくなってしまいます。『アフリカの日々』と合わせて読んでいます。

 町田康さんが100冊読むより1冊を10回読んだ方が得られるものは大きい(だったと思う)、とおっしゃっていました。
 よくわかります。私も再読したい本はそれはもうたくさんあるんですが、誘惑に勝つことができません。読みたい本がありすぎて。
 これからも我慢せず欲望の赴くままに読んでいきたいと思います。

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