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三姉妹の真ん中|姉妹格差とATM

私は三姉妹の真ん中である。

真ん中生まれの人に出会うことも少ないので、出会うと嬉しくなる。
と同時に、この人も苦労したのかな、と勝手に同情してしまうのである。

なぜなら私の家ではあきらかに格差があったからだ。
姉・妹と、私で。



子供時代、自分で言うのもどうかと思うが、私は良い子だった。
小学生で家事は一通りできたし、空気を読むことに長け、物を欲しがったりすることも、同世代の子に比べたらほとんどなかった。
なぜなら、それが母親から褒められる唯一の事だったからだ。
姉と妹より褒められることの少なかった私は、節約をしたり、家事をすることで褒められた。


これが自己犠牲型の人間を作る英才教育である。


姉と妹は何もしなくても褒められていた。
大人になっても洗濯機が回せなくてもいい。できないことが可愛いのだ。
ところが、できる人間はどうだろう。
それが当たり前になっているので、やらなければムッとされる。
罪悪感という言葉すらわからない年齢のころ、そんな親から発せられる空気に過敏になり居心地の悪さを感じていた。



節約したら褒められていたことは、進路にも大いに影響を及ぼした。


塾はお金がかかるので、中学3年の夏期講習から通った。
当時の友人と同じ高校に行きたかったが、交通費がかかるので諦めた。
姉が公立高校に落ち、私立高校に進学したことも理由の一つだった。

実家から自転車で通える範囲の学校は、進学校か商業高校。
もちろん進学校に行けるほどの頭はない。
選択肢は、全く興味のない商業高校しかなかった。
自分の気持ちよりも、家庭の金銭事情で進路を決めていた。

コンビニもない田舎町。
街に行くにも通学するにも長い橋を自転車で渡らなければならなかった。
夏には顔面に小さい虫が当たり、地面にはスズメバチの死骸を見つける。
冬はあまりの強風に自転車が漕げない日もあった。
興味のない高校。雨の日も風の日も嫌々1kmの橋を渡っていた。
かたや姉はスクールバス。制服もとても可愛かったのがうらやましかった。



その後の進路は、姉は大学に進学。のちに半年で退学。
妹は交通費のかかる遠い高校に進学した。



私の進路はどうだ。
行きたくもなかった商業高校。ろくに友達もおらず、大事にならない程度のいじめにも遭っていた。サボることを覚えた。早く卒業したかった。
その後の進路はあまり考えていなかった。
専門学校も気になるし、大学にも行ってみたいな、とぼんやり思っていた。商業高校の人間が進学できるかはわからなかったが、自分で選んだ進路が欲しかった。
親に進路を聞かれた際に「進学したい」と恐る恐る伝えてみた。

「進学して何がしたいのか」と重いトーンで詰められた。
何せ姉が中退しているのだ。
私も家が大変なことはなんとなくわかっていた。



ここで再び英才教育の結果がでる。
学校に行くとお金がかかるなら、行ってお金がもらえる就職にしよう。




そう考えが決まった私は、高校卒業後は歯科医院に就職することになった。
事務だと聞いていたが、業務内容は歯科助手だった。

高校生から急に社会人というギャップ。
仕事も先輩も立ちっぱなしもきつくて、5日で飛んだ。
当然母親から詰められる。
罪悪感と、「なんで私ばっかり」という気持ちを抱えて布団にうずくまってやりすごした。
家にいるのが本当に辛かった。


数日後、おそらく元勤務先の歯科医院から高校へ連絡があったのだろう。
進路担当の教員から、卒業後以来の連絡があった。



「病院で事務職を募集している所があるから、もし興味があったら話をつけておく。」


もうなんでもよかった。
ただ、家にいる事が辛かったので話をつけてもらい、そこに就職した。
休日は、月に8日。
入院患者の面会があるため日曜日も出勤だった。
高卒の私の手取りは13~5万円ほどだった。
ここも1年ほどで辞めた。
再び、4畳あるかないかの自分の部屋にひきこもった。
いびつな長い部屋をカーテンで仕切った簡易部屋。反対側は妹。
エアコン付きだ。畳数も2畳ほどあちらの部屋の方が広かった。

「なんで私だけ」と静かに嘆いた。

しかし、嘆いたところでどうしようもない。
心だけが勝手に自立していくのを感じた。



その後、私はアルバイトを転々とする。
お祭りのジュース売り、リフレクソロジーのセラピスト、ゲームセンターの店員、洋菓子店員。立派なフリーターだ。

ちょうど洋菓子店員をやっていた時だ。
朝、家を出る直前に母親から「お金貸してくれない?」と言われた。


これから出勤するときに言ってくる話ではない。
「何に使うの」と聞いたがうやむやにされ答えてくれない。
金額を聞いた。
いくらかわからないが、多そうだし10万円くらいだろうと思った。




100万円だった。




フリーターに朝イチで貸してという金額ではない。
いや、詐欺ではないのか?当時、オレオレ詐欺全盛期である。

色々聞きたいことはあったが、家を出なければ。
「絶対全額返してよ!」とカードをつき渡し、家を出た。
医療事務時代は休みがなかったので、給料はほとんど使っていなかった。
私の通帳には100万円があったのだ。



お金は1か月後に返ってきた。
この時のお金は妹の進学(専門学校)の学費だった。


ショックだった。
私は諦めた進学。家の金銭事情を汲んで諦めた進学だ。


可愛い妹は進学させてやりたい、しかし現実問題お金はない。
そうだ、あいつは働いていたんだから、いくらか出せるだろう。


同じ姉妹なのに、お金をあてにされる存在になっていたことがショックだった。私だけATMなのではないか。
正直な感情がどんどん湧き出る。
しかし躊躇って、出すことができなかった。
「こんな大金、もう貸せないから」そう答えるので精いっぱいだった。


姉と妹はずるい。
なんで私ばっかり家計のしわ寄せを背負わなければならないのだ。

姉妹格差によりATMにまで落ちた私は、こんなことを毎日思っていた。
この家には、本音で相談できる相手も、心を許せる相手もいない。
かばう人も守る人もいない。このままずっと私は奪われて続けていくのだろうか。

悲しい気持ちと悔しい気持ちと絶望、ありとあらゆる負の感情が混ざりに混ざった。
二十歳にもなっていない自分には、到底抱えきれないものだった。



年月が経ち、お互い離れて暮らすようになった今は、
姉と妹は好きだし仲も良い。
まだずるいと思うのは、長年この格差で育ってきたせいだ。
これはケロイドのように、一生うっすら残ってしまうものだと思う。


この日記を書こうと思ったきっかけは、妹から思い出話をされたからだ。

「昔、お小遣いをもらって、2人でゲームセンターに行ったよね。
私がセーラームーンのガチャガチャをやりたかったけどお金が足りなくて諦めていた時、姉ちゃん自分の分のお金をくれて回してくれたんだよ。あれ嬉しかったの今でも覚えてる。」

そんなことあったのか。忘れていた。
自分でも忘れていた出来事を、妹はそんな風に覚えていてくれたのだ。

ただ、それは無意識で「姉」としての自分でやったのか、
英才教育の「自己犠牲」の自分としてやったのかわからない。


しかしこの話を聞いた現在の自分は嬉しい気持ちが大半を占めていたので、
そこは「姉」としてやっていたんだと、思いたい。



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