適量で快適な暮らしの哲学#4|丁寧な暮らし、無理でした
こちらの続きです。
今回は、丁寧な暮らしに憧れたものの続かない体験から考えたことについて。
丁寧な生活、今でも憧れます。
でも続かない。挫折のたびに「あーー!」と叫びたくなる。
なんで続かないんでしょうね?
「丁寧な暮らし」への、尽きぬあこがれ
「丁寧な暮らしをしたい」
何度思ったことだろう。
手仕事で暮らしを充実させ、季節を感じる。
ひとつひとつの動作に心をこめる。
そんな生き方ができたらなんて素敵なんだろう、と。
松浦弥太郎さんの本を立て続けに読んでいた時期がありました。
暮らしと生き方に対する姿勢、モノとの付き合い方、人間関係の構築の仕方。
自分に足りないものがたくさん詰まっていて、「わたしもこんな風に生きていきたい」と思った。何度も読んだし、今でも読み返します。
思い立ったが吉日、とすぐに行動に移します。
松浦弥太郎さん本人になることは無理なので、自分なりに「丁寧な暮らし」だと思うことや、ハッシュタグで調べた「丁寧な暮らし」を参考に、素敵な未来を思い浮かべながら道具を揃える。
糠床を買いながら、ちょっとお高い昆布を選びながら、想像を巡らせる。
朝日が差し込むキッチンで、糠床をかき混ぜる自分。なんか素敵。
ゆっくりと土鍋でご飯を炊き、削りたての鰹節で出汁を取る自分。わお、良い感じ。
手作りのおやつを用意して、ゆったりと午後のひとときを過ごす自分。うーん、優雅。
そんな「理想のわたし」の姿を思い浮かべるだけで、心が潤いました。まぁ、全部想像なんですけれど。
ブームは何度もやってくる
こうした「丁寧な暮らしブーム」が年に数回やってきます。
春先や秋口など、季節の変わり目が多い気がする。
その瞬間は気持ちが浮き立っていて「よし、今回こそは本気で続けよう」と思う。続けられると本気で思っているんです。その根拠がどこから湧いてくるのか、わたしも知りたい。
糠床を買ってきて(今だから思う、やめておけ)、専用のホーローに移し、野菜を入れる。
出汁を取るための昆布と鰹節を買ってきて、SNSで見たレシピを試してみる。
最初の数日は、すごく楽しいんです。
朝が来るのが楽しみになる。
「こういう生活が合ってるのかも」と(ほぼ毎回)思う。
でもーー
ある程度時間が経過すると、「面倒くさい」という気持ちが芽生えるのです。
そしてブームはあっけなく終わります。
それはもう、風船が弾けるようにパーンと。
丁寧な暮らしには、何度も成功しています(何度も終了しています)
糠床も、出汁取りも、土鍋ご飯も、手作りお菓子も。
すべて、やってみたことがある
そして、ちゃんと成功しています。
「挑戦してみたら意外と簡単に出来た!美味しい!」
「丁寧な暮らしができる人になったかも」
その時はそう思うのです。
でも、1週間、2週間、1か月と月日は流れ……
気付けば、どれも続いていません。
ある日、糠床のふたを開けるのを忘れる。
忘れるというか、ちょっと面倒くさいなと思って意図的に忘れたことにする。ええ、意図的です。
「まぁいいか、明日で」と言ったその「明日」が、永遠に来ない!
丁寧な生活にチャレンジして挫折した人、あるあるではないでしょうか!
糠床に関してはカビで真っ白、緑っぽい色、紫っぽい色、マーブル、と何パターンも謎の生態系を生み出してしまいました。本当にごめんなさい。
手作りノンオイルポテトチップスは結構感動的でした。
手間はかかるけれど美味しいしノンオイルで、罪悪感ゼロで最高!
一生これを作り続ける!さらばスナック菓子、二度と買うことはない!と本気で思うのです。
でもやっぱり、だんだん作らなくなる。こんにちはスナック菓子。
出汁も、土鍋ご飯も、手作りお煎餅も。
手作りドライフルーツも。
ワイパーではなく、雑巾で床を拭き上げることも。
丁寧な生活には、何度も成功しています。
でも必ず終了してしまい、続いているものはありません。
習慣化できない理由
続かない自分に失望する。
「せっかく始めたのに」
「結局三日坊主だった」と。
丁寧な暮らしのための行動は取れている。
でも、続かないのです。
「習慣」になる前に、終了してしまう。
なぜなのでしょうか。
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