(#155)3.11で津波と原子力の被害にあった地域を見て
――15年経っても消えない傷跡
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【前回のおさらい】
海外の案件を受注できるようにサイトを登録した話をしました。
旅の目的地として選んだ「伝承館」
福島県に旅行に行った際、3.11の伝承館を訪れることにしました。
正直に言うと、「行くべきだとは思っていたけれど、少し覚悟がいる場所」でもありました。
私が訪れたのは、福島県内にある3.11の伝承施設です。
半年前ほどに、岩手県で津波被害の伝承館や、被災の痕が残る廃校を訪れたことはありました。
そのときも十分に衝撃を受けたのですが、福島の伝承館は、また性質の違う重さを持っていました。
津波だけでは終わらなかった被害
展示を見進めるうちに強く感じたのは、
ここでは「津波」だけでなく、「原発事故によって日常を奪われ続けた時間」が語られている、ということでした。
津波で家を失ったこと。
そして、その後原発事故によって、戻れるはずだった土地に、10年近く帰れなかったこと。
「地元を返せ」という声と、
「今さら帰っても、もう何もない」という声。
どちらも正しくて、どちらも痛々しくて、
簡単に感想なんて持てない展示が続いていました。
あの頃の自分と、転校生たちの記憶
当時、小学生だった私は西日本に住んでいました。
テレビでは連日3.11の映像が流れていましたが、正直なところ、被害を“自分ごと”として感じていたかと言われると、そうではありませんでした。
学校には、岩手・宮城・福島あたりから転校してきた子たちがいました。
「大変なところから来たらしい」という認識はあっても、
その裏にあった生活や、失ったものまで、想像できていたとは思えません。
伝承館で展示を見ながら、
「あの子たちは、どんな気持ちで転校してきたんだろう」
「何も言わずに、何を抱えていたんだろう」
そんなことを、今になって考えてしまい、胸が苦しくなりました。
知ることの遅さと、それでも来てよかったという気持ち
正直、展示の中には目を逸らしたくなるものも多くありました。
でも、同時に思ったのは、
「知らないままでいるよりは、ずっと良かった」ということです。
過去の出来事を、完全に理解することはできなくても、
「何が起きたのかを知ろうとする姿勢」だけは、持ち続けたいと思いました。
観光のついでに立ち寄った、という言い方はしたくありませんが、
旅の途中だからこそ、足を運べた場所だったのかもしれません。
次回予告
復興地区の民泊に泊まった話
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(続く)
