失ったものを惟(おもいみ)る孤独。/創作大賞感想
アルロンさんのnoteを読んだ。
・ おもちゃ屋は孤独のにおいがする
文章の中に、懐かしいおもちゃ屋さんがでてくる。ハローマックの存在を知っている人はどれくらいいるだろう。お城風の建物で、ピンクのふちが目印。その建物は、道路道路沿いから見ると目立っていた。わたしは、兄と2人でお年玉を持って出かけることもあったし、母の運転する軽自動車に乗って3人でお店に行くこともあった。時代は昭和だから、兄はミニ四駆やドラクエのソフトを買い、わたしはジェニーちゃんのお人形やハートカンパニーのおもちゃを買った記憶がある。
時は流れ、平成になるとハローマックの店舗は少なくなっていった。おもちゃはネットでも買えるし、家電量販店でも買える。何よりも子どもが減少している。娘が生まれたころには、ハローマックは全店舗閉鎖し、おもちゃ屋さんと言えば、トイザらスになっていた。
『おもちゃ屋は孤独のにおいがする』で、こんなシーンがある。
おもちゃ屋は、僕をあの頃に連れていく。目の前にある日常だけを全力で生きていた、あの頃に。
後ろめたさもトラウマもないのに、どうしてこんなに不安になるんだろう。かつて幼かった僕が見た映像、聴いた音、嗅いだにおいが、今もなお僕を縛りつけている気がしてならない。
そして、断片的なフラッシュバックが起きる。
母の手を握りながら、ピカチュウの描かれた箱の前に立つ。母が「これがいいの?」と聞いてくる。僕が「うん」と頷く。おもちゃを買ってもらえる嬉しさが、小さな体の中で線香花火のようにぱちぱちと弾ける。
別のシーンでは、祖父がプレゼントの箱を渡してくる。僕が顔をほころばせる。祖父が目を細める。
そんな情景を思い出すたびに、どうにも名前のつけられないなにかが、僕の琴線を鷲掴みにしてくるのだ。
この孤独感の正体はなんだろう。
この文章を読んだときに感じたのは、もう二度とは戻らないものへの孤独なのだと思った。時が進み、昔の時代には戻れない。失われた時は戻らない。でも、記憶の中には残っている。自分だけの中にある。
・ 祖父に引導を渡した日
こちらのエッセイでも、アルロンさんのおじいさんが出てくる。アルロンさんのなかで、おじいさんの存在が大きいのだと思った。そして、懐かしく、アルロンさんにとって優しい気持ちになれる存在が、おじいさんなのだ。
「子どもの頃、一番好きだった人は?」と聞かれたら、迷わずに「祖父」と答える。
アルロンさんが子どもの頃、一番好きだったおじいさん。似顔絵も描いている。
一番優しくて安心できる人、それが祖父だった。
その、おじいさんに〈引導を渡す〉とはどういう意味だろう? と思いながら読み進めると、最後には涙、涙、で読み進めるのがむずかしい。引導を渡すの深い意味を知ることになる。
この数日間、2つのエッセイを行き来しながら読んでいた。きっと、わたしが何を書いても、本当の理解なんてできない。嬉しかった気持ち、悲しかった気持ち、苦しかった気持ち、どうしようもない拒否反応、子ども時代の思い出の数々に「わかります」なんて5文字で書いてほしくはないだろう。
1つだけ言えるとしたら、おもちゃ屋さんに行った時の思い出と、おじいさんと一緒に過ごした思い出の数々、それは日常の幸福な一幕で、小さな幸せの積み重ねだった。その小さな幸せをたくさん感じることができる人は幸せだけど、幸せな時間を過ごした分、孤独を抱えることにもなる。昔を思い出しながら、たのしかった思い出だけを語るのではなく、苦しかったことも掘り起こしている。自身を惟ることは、それを見る作業でもあるから、勇気が必要だ。アルロンさんが、泣きながら書いたことが伝わってくる。だからこそ、『祖父に引導を渡した日』は多くの人に読まれているのだろう。
アルロンさんと言えば、2024年にベストレビュアー賞を受賞。今年は、いしかわゆき(ゆぴ)さんの私設コンテストで入賞も果たしている実力系noterさん。外側から見ると、とても順調そうに見える。だけど、アルロンさんは創作大賞が終わってからも、入賞したnoteを読んで分析していた努力家だ。住まいは北海道なのに、名古屋で勉キョフ会も開いている。パーソナル編集者についてもらい、真摯にnoteと向き合い続けている。そんなアルロンさんに、2025年は一層の光が当たりますように。
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