The Dance of Eternity (12)
ダーウィンとクリステンセン:2人の知的巨人をつなぐもの
現代の進化生物学には、大きく2つの概念、種をまたぐ大きな変化を伴う「マクロ進化」と、種の中での小さな変化を伴う「ミクロ進化」があって、現在の研究では、マクロ進化は遺伝子自体の変化ではなく、遺伝子の働きを制御する仕組み=「エピジェネティクス」に引き起こされるとされます。一方、ミクロ進化は、遺伝子が変異することで異なる形質が発現しそれが自然選択を通じて洗練されていくプロセスとされます。
マクロ進化とミクロ進化を進化の系統樹上に描くと、前回投稿で引用した次のイメージになります。

技術革新のSカーブ
これを見ると、僕は有名な「Sカーブのイノベーション図」を連想せずにおられません。

この非連続的・飛躍的なイノベーションを示す図、おなじみですね?
個別のSカーブは特定の技術世代を表していて、その世代の中で漸進的な改善が進むことで技術が進歩するんですが、その世代の技術的限界に近づいて進歩のスピードが鈍ってくるタイミングで、全く異なる設計思想に基づく別世代の技術が登場します。当初は低スペックで既存市場には無関係と見なされたこの次世代技術が、いずれ第一世代の技術を凌駕するパフォーマンスを示すように漸進的に進歩することでイノベーションのサイクルが完結する、と説明されます。
イノベーションのジレンマと安定化選択

クレイトン・クリステンセンは『イノベーションのジレンマ』で、この概念を企業競争の文脈で説明しています。既存のリーディング・カンパニーが、自社の世代の技術仕様に最適化された漸進的な改善に注力する一方、異業種やスタートアップから登場した破壊的イノベーションに注意を払わない結果、業界全体のパラダイムシフトに取り残されてしまうという構図です。実はこの構図は、生物進化におけるミクロ進化とマクロ進化に対応しています。繰り返しますがミクロ進化は種内の改善であり、マクロ進化は種を越えた不連続な革新です。
イノベーションのジレンマ
クリステンセンは著書『イノベーションのジレンマ』で、技術を「持続的技術」と「破壊的技術」に分類しました。持続的技術とは既存製品の性能を連続的に改善するもので、例えばガソリン車の最高速度を10km/h向上させたり、燃費を3%改善させたりといったことです。大半の技術革新がこのカテゴリーに含まれる一方、破壊的技術はまったく異なる価値を市場にもたらします。例えば、電気自動車(EV)は、従来型の内燃エンジン車とはまるで違う価値を提案しています。スピードや燃費の改善ではなく、環境負荷の低さや情報技術との統合性の高さという、内燃エンジン車と違う価値の提供という目的に向かって自動運転などの機能を提供するわけです。さらにEVはAIを搭載したロボットが運転することで、車の所有者が運転していない時間にウーバーのようなライドシェアを通じて所有者に収益機会をもたらすことさえ可能にするので、従来の内燃エンジン車では到底満たせない新たな需要に応える市場を形成するわけです。
企業が既存の技術世代内での漸進的改善に気を取られすぎて世代をまたぐ破壊的技術への投資を怠ると「イノベーションのジレンマ」に陥ります。クリステンセンはこの典型例として、メインフレーム市場を支配していたIBMがミニコンピュータという破壊的技術の登場によってDECやHPに追い越され、次にデスクトップPCの台頭とともに、AppleがDECやHPが主役の座を奪ったコンピューター業界のストーリーを詳細に紹介しています。
イノベーションのジレンマの4要因:
意思決定を顧客・投資家に依存しすぎてしまう状態
ある世代の技術で成功している大企業ほど、既存の顧客や投資家の目からみて目立つので市場のメカニズムを通じてその意向にコントロールされざるを得ず、目先のリターンが低く見えがちな破壊的技術への投資ではなく持続的的技術への投資が優先されがちになります。「小さな市場では大企業の成長ニーズを満たせない」という錯覚
破壊的技術がもたらす新市場は、少なくとも初期には小規模なので数千億円以上の規模の企業が10%成長を求める場合、小さすぎて無視されがちです。僕が大企業のイノベーション促進の手伝いをしていると、「いやあウチは利益が数千億円出てるんで、数億円の利益から始まるようなコマい案件にはカネも時間もかけられんのですわ。ガハハ」と他意なく言われることが本当に多いです。クリステンセンに言わせれば「それ、ヤバい」ということなんだけど。存在しない市場に対する分析の困難さ
持続的技術は、眼の前に明確なニーズと大きな市場が存在するので既存の市場調査が有効に機能する一方で、破壊的技術は不確実性が高いので過去データの延長で予測する従来の調査・計画手法では対応できません。そのため「調査しやすい市場の方が儲かるはず(?)」という論理的には破綻した錯覚に陥るわけです。これは有名なアラブのことわざを連想させます。(公園の街灯の下で、何かを探している男がいた。通りかかった人が彼に「何を探しているのか」と尋ねると、その男は「家の鍵を失くしたので探している」と答えた。通りかかりの人は気の毒に思って、しばらく一緒に探したが見つからない。そこで男に「本当にここで失くしたの?」と訊くと、男は平然と「いや、鍵を失くしたのは、あっちの暗いほうだけど、あそこは暗くて何も見えないから、光の当たっているこっちを探しているんですよ」と答えた)過剰品質へのドライブ
企業は競争力を求めて高性能・高価格な製品を開発しがちで、その結果として顧客の実際のニーズを超えた「過剰品質」の製品を生み出してしまいがちです。
この「特定競争ルールへの過剰適応」は、進化生物学における安定化選択と酷似しています。



安定化選択の結果としての大企業の限界
クリステンセンが描く「特定の市場環境で成功した大企業」は、まさに安定化選択が行き着く先を示しているようです。彼らはある特定の環境に最適化され過ぎたことで多様性を失った結果、環境の変化に適応できず最終的には環境の変化に取り残されます。すなわち、持続的技術の改善を通じて漸進的な改善(ミクロ進化)はできても、パラダイムシフト(破壊的技術=マクロ進化)には適応できず取り残されるということです。

イノベーションのジレンマをエピジェネティックなメカニズムで解く!
でも、もし破壊的技術(=マクロ進化)が遺伝子自体の変化ではなく、遺伝子の発現制御(エピジェネティクス)によって生じさせることを可能と考えるなら、組織においても構成員を入れ替えることなく劇的な変革を実現できる可能性があります。エピジェネティックな制御に相当する「組織文化」や「行動規範」を見直すことで大きな変化が起こせるということです。これは進化生物学の観点から言えば、構成員を変えることなく、思考様式を刷新することで、組織文化のマクロ進化が可能になるという示唆です。
これはクリステンセンのジレンマが示す「既存の競争ルールに縛られた組織は新しいルールに適応できない」という見方へのアンチテーゼのひとつと言えると思います。経営メンバーを含む構成員の入れ替えという外科手術の方が大規模な変革に結びつきやすいはず、という直感に反して、組織文化や行動規範を見直すことで非連続的・飛躍的な変革を起こせる、というのは経験を積んで懐疑的になっているビジネスパーソンにとっては眉唾に聞こえるでしょうけど。
「人心一新」の新解釈:進化生物学的視点から
日本語に「人心一新」という便利な言葉があります。これは本来「人々の心を新たにする」ことを意味しますが、しばしば「人事刷新」や「トップの交代」といった意味に誤用されがちです。
しかし、エピジェネティクス的マクロ進化の文脈で考えるなら、「遺伝子=人員」は変えずに「その制御ロジック=行動様式や文化」を変えることが本質です。すなわち、構成員を変えずに、行動様式を刷新することで組織文化を大きく変えることができるというのが、進化生物学の視点からの「人心一新」の正確な理解と言えます。
もちろん、現実世界の具体的事例を丹念に観察しながら理論を構築していった知の巨人であるクリステンセンの理論に異を唱えるのは大胆な試みですが、もしエピジェネティクスという「遺伝子の発現を制御する仕組み」が、組織をジレンマや制約から解き放つ破壊的メカニズムとなり得るのであれば、それを本気で研究することは突飛なアイデアではないはずです。
実はエピジェネティクスが非連続的・飛躍的な変化(デジタルな変化)を起こせるメカニズムには重要な前提があります。次回ポストではそれを検討してみたいと思います。
