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The Dance of Eternity (11)

「種内のミクロ進化」と「種を超えるマクロ進化」

ダーウィンの進化論に対する古典的な批判の一つに「自然選択だけで進化を説明しようとすると連続的・漸進的な変化しか説明できず、非連続的な進化の説明がつかない」というものがあります。同種内の個体が特定の環境下で生存をかけて競争し、特定の環境に対する適応で勝った個体が多くの子孫を残す、というモデルは明快で理解しやすいけどそれだけで「飛躍的な進化」は説明できるか?

安定化選択と方向性選択の議論では、進化が連続的・漸進的に進む漸進モデルと安定化選択と方向性選択が綱引きすることで進化が静止と急激な変化を繰り返す断続平衡モデルがあることに触れました。化石の古生物学的研究からわかってきたのは、断続平衡モデルの方が現実の進化の実態に近いということです。

ギクシャクとした進化の姿

とはいえ、ギクシャクした平衡と急激な変化がどれだけ繰り返されても、断続平衡モデル自体はあくまで自然選択の考え方に基づいていて、ネオ・ダーウィニズムが提唱する「遺伝子の変化によって進化が駆動される」という枠組みの中にあります。つまり進化の幹と枝は途切れておらず連続性が保たれているのです。たとえ形質が急激に変化しているようにみえても、飛躍や断絶ではなく切れ目のない変化です。

遺伝子スイッチ

一方、遺伝子そのものではなく「形質の発現を制御する仕組み」に変化が起きて、形質の発現がデジタルにオン・オフするとすれば、それは連続的・漸進的ではなくデジタルな変化になります。これがエピジェネティクス(後成遺伝学)という考え方です。まるで回路のスイッチが「オン(1)」か「オフ(0)」かを切り替えるように、途中段階が存在しないのです。

回路のスイッチのオンオフすることで電球が点滅するように形質が現れたり消えたりする

これを生物進化の系統樹に描くと、安定状態(青)の中に、環境の要因によって突然起こる不連続な飛躍(赤い破線)として表現されます。青の状態では形質の変化が止まり、進化が一時停止しているかのように見えるのです。

非連続的・飛躍的進化(赤の破線で表現される方向性選択)と青の実線で示される安定化選択
鳥類は段々飛べるようになったのではなく「飛べるか、飛べないか」の二択で登場した

羽毛を持つ飛行可能な新種(=鳥類)が登場するような劇的な進化は頻繁には起きませんが、「0→1」のデジタルな変化、つまり自然選択の連続的・漸進的なメカニズムでは説明できない飛躍的・非連続的な進化は、実は目立たないところで数多く起こっていて、典型的なのが「化学的擬態」です。

日本に生息するムラサキツバメ(蝶の一種)の幼虫とアリの間に見られる驚くべき寄生関係をみてみます。僕もこの話を初めて聞いたときは驚きました。ムラサキツバメの幼虫は、アリに「自分は巣の一員である」と信じ込ませるニオイ成分を放出することで、アリに守ってもらうという擬態的な進化を遂げています。このような進化は、段階的な過程では絶対に成し得ません。中途半端な擬態をする個体はアリに殺されてしまうからです。「だいたい死ぬが、少し適応した個体は生き延びる」という漸進的な自然選択の物語はここには当てはまらないのです。

(参考画像:ムラサキツバメの幼虫がアリをだまして護衛させる様子[出典:https://kasasagoasuka.com/?p=337])

このような「中間的な進化段階では生き残れない」条件で自然選択の漸進主義に異を唱える主張が続いてきました。ダーウィンと同時代の博物学者アンリ・ファーブル(僕たちがこどものころ必ず読んだ『昆虫記』の著者)は、狩りバチの捕食行動を引き合いに出して「中途半端な形質変化は生存上の利益になりえない」として、ダーウィンの漸進主義に反論しましたが、ダーウィンはファーブルの批判に対して、どうやら正面からの反論を避けた(逃げた?)みたいです。

かの『昆虫記』の著者ジャン・アンリ・ファーブル

このようなわけで「環境適応に応じて大多数の形質が世代を超えて徐々に変化する」という漸進説では説明できない「飛躍的で不連続な変化をもたらすメカニズム」についての答えのひとつが「遺伝子スイッチ=エピジェネティクス」というわけです。

赤い破線の方向性選択がエピジェネティックな非連続性で説明される

この「赤い破線による非連続的な飛躍」は、飛行能力を持つ羽を獲得して新しい種が生まれるような大進化的イベントを示しますが、飛行能力を獲得した鳥類の中でも「より速く」「より高く」飛ぶ進化=ミクロな進化も並行して起こっています。ということは、進化は連続的(漸進的)なミクロ進化と、不連続で飛躍的なマクロ進化の両方が混在して進むと考えるのが妥当です。

連続的(漸進的)な進化(赤い実曲線)と非連続的・飛躍的な進化(赤い破線)が混在する様子

遺伝子と進化

遺伝子自体の変化によるミクロ進化と、遺伝子のオン・オフ機構(=遺伝子スイッチ=エピジェネティクス)の変化によるマクロ進化が共存しているというのはネオ・ダーウィニズムに対する批判者の視点ですが、ミクロ進化であれマクロ進化であれ、その結果生じた形質は、結局環境への適応性を基準とした自然選択によるふるいにかけられるので、その点ではネオ・ダーウィニズムを全否定しているわけでもありません。

The Dance of Eternity(4)で紹介したネオ・ダーウィニズムが提唱する生物進化の4つの要因とは以下の通りです:

  1. 個体群の有限性により生じる遺伝的浮動(genetic drift)

  2. 対立遺伝子間に生存率や繁殖率の差がある場合に生じる自然選択(natural selection)

  3. 集団間の遺伝子移動(gene flow)

  4. 突然変異(mutation)

ネオ・ダーウィニズムは特に「自然選択」を好み、自然選択ばかりに重点が置かれがちですが、他の3つの要因も重要です。ただし第4の「突然変異」は遺伝子そのものの変化に限定されているのでエピジェネティックな変異ではありません。エピジェネティクスによる変異はこの4要因の枠外にあるということになります。もし、鳥が羽を獲得して飛行能力を得たような進化的大事件はエピジェネティックな要因によってしか引き起こされないと考えるならネオ・ダーウィニズムの枠組みに風穴を開けたということになります。

企業イノベーションへのインプリケーション

僕は生物学者じゃないし、ネオ・ダーウィニズムに強く反発しているわけでもなく、ただ「ほう、エピジェネティックな要因と遺伝子変異の要因の両方が生物進化を駆動しているのか」と思うだけですが、これを企業経営の文脈で考えると、話はもう深みを帯びてきます。

もし遺伝子変化による進化を、組織のメンバー(経営陣や社員といった要素)の入れ替わりによってもたらされる変化にたとえるなら、遺伝子そのものは変えずに「働き方(エピジェネティックなスイッチ)」を変えることで起きる変化は組織文化や行動規範が非連続的・飛躍的に変化することと対応するのではないか。

「メカニズム=エピジェネティクス」は僕にとってとても興味深いものです。メンバーを入れ替えるのではなく、メンバーの働き方(=文化や行動規範)に働きかけることによって非連続的・飛躍的な変化を引き起こせる可能性を示唆しているからです。

さらにエピジェネティクスには、自然選択を原因とする進化とは決定的に異なる特徴があります。それは発生後に個体が獲得した形質が、「遺伝子スイッチのオン・オフの状態継続として世代を超えて継承されるという点です。

この「後天的に獲得された形質が世代を超えて受け継がれる」というエピジェネティクスの意味については次回の投稿で掘り下げますが、企業組織の視点で言えば、組織文化や行動規範という「構造」が変化すれば、メンバーが入れ替わってもその変化が受け継がれるということになります。ちょうどヨハン・クライフが1989〜1996年の監督時代にFCバルセロナで体現したサッカースタイルが、その後たくさんの監督や選手の交代を経て現在のバルサにも継承され「バルサは選手が違うチームのユニフォームを着てプレーしたとしても、独特のプレースタイルで一目でそれとわかる」と言わせしめるのを想起させます。(僕だけですかね…笑)

クライフとレシャクが確立したスペクタクルなスタイルで圧倒的な強さと美しさを体現したエル・ドリーム・チーム(スビサレータ、バケーロ、ベギリスタイン、ラウドルップ、クーマン、ストイチコフ、ロマーリオ、エウゼビオ、ナダル、グアルディオラ、アモール、フアン・カルロス、フェレール、ナンド、フリオ・サリナス、セルナ、アレサンコ、ゴイコエチェア)

……驚きですよね?

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