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The Dance of Eternity (6)

企業DXにおける安定化選択の示唆

前回触れた安定化選択(Stabilizing Selection)と方向性選択(Directional Selection)の概念は示唆に富んでいます。同じ自然選択というメカニズムなのに世代を重ねるごとに種に与える効果はまるで逆という点がとても興味深い。実はこの洞察が企業組織の進化とイノベーションを考えるうえでも、洞察を与えてくれると僕は思っています。

安定化選択と方向性選択の役割を簡単に復習しましょう。以下のヒストグラムを見てください:

安定化選択
方向性選択

安定化選択では、ある種の特徴・形質(traitまたはcharacteristics)が平均値、あるいは統計学的に言う「モード(最頻値)」に収束していきます。つまり、その種の中で最も頻繁に現れる特徴が生き残りやすくなる選択。
一方、方向性選択は、平均や最頻値から外れた少数派の特徴が、環境変化のなかで生存に有利な状態に変わることで新たな平均や最頻値として置き換わっていくプロセスです。

これを企業経営にアナロジーとして当てはめてみると、安定化選択は既存の戦略や業務運用が環境に対して「最適化されている」状態を意味します。個々の従業員による「属人的な作業のばらつき」を排除し、多様性を最小化する。この点は、「選択と集中」や「業務効率化」といった(いささか自虐的に言うと)僕のような昭和世代経営者が好む20世紀的な思想に通じます。

近年、DX(デジタル・トランスフォーメーション)の文脈で「守りのDX」「攻めのDX」という言葉が使われますが、正直言ってどの定義もピンと来ない。僕の感覚では「守りのDX」はまさに「安定化選択」に他なりません。
この安定化・収束の力学をDXの御旗のもとで極限まで押し進めたときに何が起きるのか?

極限の安定化選択とは

安定化選択を極限まで推し進めると、集団内のすべての個体が完全に同じ特徴を持つ状態になります。

進化生物学の観点で「ばらつきゼロ」の状態。これを企業のDXに置き換えると「業務プロセスから完全に属人性を排除し、誰がやってもまったく同じ結果が得られる理想的な標準化・規格化」を意味します。エラーがなく、常に一定の品質で、しかも高速に業務が遂行される — 「守りのDX」の理想像です。

しかし、ここには隠れていても重要な前提があります。生物の進化では安定化選択も方向性選択も「選択肢」の存在を前提にしている、ということです。前回述べた動的平衡を思い出してください。一見安定した構造を持っているようにみえる個体も、絶えず要素が出入りしながら揺らいでいる、というあのイメージです。ヒストグラムで言えば、頻度がゼロではない特徴・形質がなければ、選択も起こり得ない。

方向性選択が働いて新たな平均・最頻値が現れるためにはその選択肢がなければならない

方向性選択では平均や最頻値から外れた少数派の特徴が、環境の変化に応じて新たな最頻値になっていくのですが、その特徴が「ゼロ頻度」=存在していないならそれを選び取ることもできない道理です。

方向性選択と「消された選択肢」

安定化選択が極限まで進んだヒストグラムを見てみましょう:

安定化選択が極限まで進んだ状態

最頻値以外の特徴がすべて消されており(④)、この後環境が変化しても新しい最頻値が選び取られる余地がなくなっています。ある時点での平均値・最頻値の形質が環境に適応しなくなったら、即、絶滅です。

生物進化においても、例えばある種のウイルスがすべてまったく同一の遺伝子構造を持っていたとしたら、その型に効くワクチンを接種することで、そのウイルスは全滅することになります。新型コロナ禍でよく聴いた「薬剤耐性を持つ変種」が生まれるのは、ウイルスの集団の中に元々遺伝的多様性が備わっていたからです。まったく同一の遺伝的形質しか持たず遺伝的なばらつきがないウイルスは環境の変化(ワクチン)に適応して変化する余地もなく、方向性選択も働かないのです。

(閑話休題)僕が好きなハリウッドSF映画『マトリックス』三部作(『レザレクションズ』は別扱い)の完結編レボリューションズ(2003年)や、同じく大好きな日本のホラー小説『リング』三部作鈴木光司)の完結編『ループ』(1998年)では、敵役が増殖して世界中を埋め尽くす圧倒的な怖さが描かれているところが共通していますが、その敵役の画一性がもたらす脆さ(もろさ)がエンディングにつながる設定も共通しています。

映画『マトリックス・レボリューションズ』©Warner Brothers

企業の「守りのDX」にも同じことが言えます。極限まで標準化と規格化を進めた結果、業務プロセスや戦略がその時点の事業環境に完璧に最適化されているということは、事業環境が変化することに対する耐性を失っているということにほかならない。

もちろん、生物の種と企業をまったく同一に考えることは適切ではないのでしょう。生物進化には時代の変化を見通す理性的な司令塔はいない一方、企業には(僕自身は懐疑的だけれど)優れた経営陣による経営判断がある(はずな)ので、変化に適応することが可能という反論は可能です。それでも、極限まで安定化選択が進んだ姿のヒストグラムによるアナロジーは、特定の環境への最適化が過剰になることの危険性を可視化していると思っています。

イノベーションのジレンマ=極限の安定化選択

ここで思い出すのがクレイトン・クリステンセンが1997年に初めて提唱した『イノベーションのジレンマ』です。約30年を経て古典に昇華した感もあるこの経営理論(でも今の時代の経営者はどこまでそれを我が事として感じ取っているのか怪しい)は、僕にとって「極限まで進んだ安定化選択」そのものとして響いてくるのです。

「ある市場環境で成功を収めた既存企業が、そのルールに最適化されすぎたために、新たな環境変化(技術革新や顧客ニーズの変化)に適応できず、新興企業に取って代わられてしまう」という構図。これは、安定化選択と方向性選択のせめぎ合いに他なりません。

DXという言葉が持つ「攻め」と「守り」の二面性を、生物進化の理論レンズから見直すことで、企業の進化と淘汰の構造が立体的に見えてくると思うのです。守ることで失う未来、そして選択肢を消すことで方向性そのものを消してしまうリスク。それを忘れずに、次の変化を迎える準備をしておく必要があると思うのです。

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