The Dance of Eternity (5)
安定化選択と方向性選択
自然選択(Natural Selection)という言葉は多くの人にとって馴染み深いものだけど、生物学の専門家でない僕たちが「自然選択」と聞いて、まず思い浮かべるのは、たいてい「方向性選択(Directional Selection)」です。
実際には、自然選択には「方向性選択(Directional Selection)」と「安定化選択(Stabilizing Selection)」というパターンがあります。前回書いた通り、ダーウィン以前の時代には「世界は不変である」=「生物の種は不変である」と信じられていたということは、一般には今日で言う「安定化選択」しか認識されていなかった(なにしろそれしかないから「生物の種が不変である状態」を表現する概念もない。水の中の魚には水が認識できないみたいに)ところ、ダーウィンがこの常識を破って「方向性選択」の存在を示し、その対比概念として「安定化選択」にたどり着いたところがこの人の偉人たる所以なわけです。
今日でこそ「進化」という言葉から連想されるのは方向性選択ばかり(なにしろ目立つからね)だけど、これはもっぱら認識の問題にすぎません。実のところ、生物進化の現場では方向性選択よりも安定化選択の方が圧倒的に頻繁に起こっているのに、変わらないと見えづらいから気づきづらいというだけです。
方向性選択
方向性選択は、特定の形質が環境変化や新しい環境への適応で有利なせいでその形質を持つ個体が多く生き残り繁殖することで子孫の数が増えて、集団のなかでその形質が多数派として広がっていく現象のことです。たとえば気候が寒くなると、体毛の濃い個体の方が体毛が薄い個体よりも生存に有利になるので、世代を継いでいく中で体毛が濃い個体が増える結果、限られた食料や生息域をめぐる競争で体毛が薄い個体が負けて(淘汰されて)、結果として集団全体の多数の体毛が濃くなるという形でその集団の主流的な形質が変化する。これが方向性選択による形質の「方向性」の意味。


安定化選択
一方、安定化選択は進化の過程では目立ないものの重要で、集団内に存在する極端な形質(平均から大きく外れた特徴)を排除することを通じて平均的な形質を持つ個体の生存・繁殖を促すプロセスです。
安定化選択は、ある生物の種の生存環境が長期間安定している場合に生じやすく、大きすぎる卵や小さすぎる卵を産む鳥のヒナが生存しづらい場合、平均的なサイズの卵を産む鳥がより多く繁殖するようになる、というようなことを指しています。こうして集団全体の卵のサイズが「平均」に収束していく、というわけですね。

こうした「安定化を好む選択圧」が働くと、集団内の遺伝的な多様性が削られ、特定の環境に対する種としての形質の最適化が進むわけだけど、これはとりも直さず「集団内で変化が起こりにくくなる」ということを意味していて、急激な環境変化が起こった場合は、新しい環境への適応が遅れて種としての生存の危機を招くリスクも抱えることになるわけです。安定化選択は「進化の停滞」になり得るということです。
静的に見えて実は動的な選択のせめぎあい
安定化選択はちょっと見には「変化のない状態」のように見えて、実は「平均から離れようとする選択」と「平均へ収束させる選択」のせめぎ合いの中で、後者が勝っている状態のことです。外から見ると変化が止まっているようでも、内部では絶えず変動が起こっている。「安定化」とは、「硬直したり静止している状態」を指しているのではなく、「揺らぎのなかの仮の安定」なのです。
方向性選択も安定化選択も「選択」である以上、複数の選択肢が存在し、それらの中から淘汰が起こるという構図は共通していて、一見「堅固で動かざる状態」にみえる安定化選択も、その「安定」は、動的なせめぎ合いの微妙なバランスのうえに危うく存在していることを意味しているのです。
動的平衡
方向性選択と安定化選択の概念を、企業のイノベーション経営に応用しようと言う前に、安定化選択の本質をもう少し掘り下げてみます。僕が好んで引用する概念に「動的平衡(Dynamic Equilibrium)」があります。
日本の生物学者である福岡伸一が提唱する「動的平衡」という概念を表現するこのアニメーションは、一見すると安定しているように見える生命体でも、その内部では物質が絶えず流入・流出を繰り返すプロセスの過程で微妙なバランスを保っている様子が見事に描かれています。
この動画自体は生物の個体レベルの代謝(構成要素の入れ替わり)を表しているのですが、生物の「種」という集団レベルでの現象である安定化選択を理解する上でも極めて示唆的です。「種」もまた、「堅牢強固な構造物」ではなく「平均への収束」と「逸脱への揺らぎ」という耐えざるダイナミズムの絶妙なバランスの上にかろうじて保たれている、ある意味で儚い存在でしかないし、実はその「儚さ」が生物を生物たらしめているとも言えるのです。
「安定した企業」の幻想
さて「安定した企業」と聞いてどんなイメージが思い浮かびますか?こんな感じですよね:
組織に適合した人材が厳選されていて
決定プロセスが論理的に設計されていて
セキュリティやコンプライアンスも万全
こうした特徴はいずれも「変化を抑える力」の表現型であり、そこでは「選択肢を常に複数生成しそこから選び取る」というダイナミズムの気配が薄い。ここでは動的平衡であるはずの「安定化選択」の特性が考慮されていないように見えます。

企業における選択圧とは?
さて、ここまで見てきた生物進化の「安定化選択」や「方向性選択」という考え方を企業組織に応用しようとする場合、次に考えるべきはどんな力が企業における「変化を促す選択圧(方向性選択)」を生み、どんな要因が「安定を維持しようとする選択圧(安定化選択)」として働いているのか、という問いです。この要因を対比的に考えることを通じて、企業組織がいかに変化を起こすのか、あるいは変化を拒むのか、その構造が浮かび上がってくると思っています。
