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救急車を呼んでくれ!



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【1】喘息の発作

 まだ携帯用の吸入器はなかった頃だった。
(発売されていなかったのか、年齢が低くて持たされていなかったのか?)
その頃、酷い時には、一週間に一度は、大きな発作に見舞われていた。

夜中に息が苦しくて目が覚める。
仰向けに寝ていると苦しいので、横向きに寝る。
それでも苦しいときは、起き上がって、座って手を着いて肩で息をする。
その頃になると両親も起きて、車で病院に連れて行ってくれる。
病院に着くと、吸入または静脈注射をして発作が治まる。
気道を拡張する治療だ。

【2】我慢させられた

ところが、病院に連れて行ってもらえるのは稀なことだった。
多くの場合、発作を「我慢」させられた。
どこでそんな知恵をつけたのか、

「本を読んで集中すれば苦しさが紛れる」

と言われて、喘息の発作のさなか、一晩中、本を読まされていた。


また、

「水飴を舐めていれば、喉の調子が良くなって呼吸が楽になる」

などと迷信のようなことを言われて、一晩中、水飴を舐めて我慢させられていたことも多かった。

【3】精神的なもの

★レッテル


ある時から、

「お前の喘息は精神的なものだ」

とレッテルを貼られた。
それには、こんなわけがあった。

★不思議な発作

(一) 夜中に喘息の発作を起こす。
(二) 車で病院に連れて行かれる。
(三) 病院が近付くに従って、なぜかだんだん呼吸が楽になる。
(四) 病院に到着すると、発作は完全に治まっている。
(五) 従って、医者も治療はせず、そのまま帰る。
(六) 帰り道、病院から遠ざかるに従って、再び呼吸がだんだん苦しくなる。
(七) 家に到着すると、完全な発作状態に戻っている。

このようなことが度々あった。

★自分でスタスタ

夜中に酷い発作を起こし、こりゃダメだとなって、車で救急病院へ向かう。
救急病院までは車で三十分ほどだったと記憶している。

病院が近付くと安心するのか呼吸が楽になり、病院から遠ざかると不安になるのか呼吸が苦しくなる。
喘息の患者によくあることらしいのだが、酷い発作でも、救急病院が近付くと、不思議と発作が軽くなっていた。

救急病院が近付くにつれ、発作が徐々に沈静化していく。

不思議なことだが、病院に着くと自分でスタスタ歩けるほどに回復している。
これはいったい、どういうことだろう?

★理由は3つ

恐らく、
1.埃っぽい家の中から外に出たこと
2.車のシートに寄りかかっている姿勢は呼吸が楽

という理由だと思う。

でも、もっと大きな理由があったのではないだろうか?

3.病院に到着すれば、もう安心。吸入すれば、すぐ良くなる
  そんな安心感から、呼吸が楽になったのかも知れない。

★安心・不安の繰り返し

いずれにせよ当時の救急病院では、

「症状が出ていないから治療はしない」

と言われて、そのまま帰されることが多かった。
仕方なく、帰途につくと面白いことに再び症状が悪化してくるのだった。
救急病院が近付くと「安心感」が高まって発作が沈静化するのであれば、
家が近付くと「不安感」が高まって、症状が悪化するのだろうと思う。
そんなことが度々あって、僕は病院に連れて行ってもらえなくなった。
「お前の喘息は精神的なものだ」とレッテルを貼られた。

【4】救急車を呼んでくれない!!

★絶望

 当時の住まいは、埼玉県東部の田舎にあり、駅からバスで三十分。
小学校の頃、酷い時には一週間に一度は、大きな発作に見舞われていた。(※1)
大抵の場合、寝付いてから発作が始まり、夜中に苦しくて目が覚めてしまった。
有ろう事か、母親は酷い発作を起こしているにも関わらず、僕にひたすら
我慢を強いる。
読書・水飴を舐める・深呼吸なんかをさせながら。

夜中に酷い発作を起こすことが多かったのに、
僕の母はただの一度も救急車を呼んでくれなかった。
窒息死寸前! という状態なのに救急車を呼んではくれなかった。

起き上がった母が、こちらを見ている。
酷い発作で苦しみながら、そんな母を見ている。
どれだけ絶望していたか、想像してくれ!!

★夜遊び・外泊が多い父

 父親は、そのころ夜遊び・外泊が多かったのだが、父親が在宅の時は病院に連れて行ってもらった。
父親が不在の時、何度か近所の親戚を夜中に起こして病院に連れて行って
もらった。
でも、救急車を呼んでもらったことは一度もなかった。
僕の母はただの一度も救急車を呼んでくれなかった。
窒息寸前!って状態なのに、救急車を呼んではくれなかった。
息も絶え絶え、窒息死しそうな発作だったのに、だ。

近所に住む親戚を夜中に訪ねてたたき起こしてくれて、救急病院に行った
ことは何度かあった。
しかし、あまり頻繁に親戚を頼るのも憚られるので、結局は発作を我慢させられた。
では、父親は?

★母親は僕のことを愛していたのだろうか?

父と母は、その頃不仲だったらしく、父は夜遊びの毎日だった。

「パパがいてくれれば、車で病院に連れて行けるのに・・・」

母は、理不尽な思いを抱えていたことだろう。
父への恨みが正常な判断力を奪っていたのだろうか?
でも、それは夫婦の問題。
僕には父に対する恨みはない。
僕の恨みは、ひたすら母に向った。
救急車を呼んでくれない母に向かった。
このことは、僕の母親に対する恨みといえば恨み。
心の傷といえば傷。
母親は僕のことを愛していたのだろうか?

★パパが夜遊びばかりだから

「夫さえいれば、この子を病院に連れて行けるのに。あの人は夜遊びばっかり!」

と、父親が不在であることにばかり憤りを感じ、「本当は何をすべきか?」ということを見失っていたのではないだろうか?
病弱の子どもがいるのに、夜遊びをしている父親を僕自身が恨むと言えば恨む。
しかし、その気持ちは希薄だ。
あのヒステリックな母親と病弱な僕を目の前にして、現実逃避したかった父親の気持ちがあったとすれば、よく理解できる。

むしろ、恨みは目の前にいた母親に向けられた。
病院に行って、吸入や静脈注射をすれば、発作などすぐ治るのに、なぜ連れて行ってくれないのだろう?
 なぜ、我慢させるのだろう?

喘息に対する正しい知識が欠けていたのかも知れない。
だが、窒息死しそうなほど苦しんでいる子どもを目の前に、救急車を呼ばない母親なんているのだろうか?
運良く、僕は生き残ったけれども、もし、あの時死んでしまってたら、母はどうしただろうね?

「パパが夜遊びばかりだから、 この子死んだのよ!」

だったのかも。
きっと母親は、僕が窒息死したら、父親に向かって

「あなたが大事な時にいてくれなかったからこんなことになるのよ!」

と喰ってかかっただろう。
窒息死した僕の死体は、母親の父親に対する復讐のシンボルとなったことだろう。

【5】自己否定

夜明けになると、だんだん発作が鎮まってくる。
でも一晩中苦しんだからゲッソリ。
それでも、なんとか歩けるとなると、学校に行かされる。
そんなことを何度も繰り返すうちに

「僕が悪いから発作が起こるんだ。発作は我慢しなくちゃならないんだ」

と、自己否定の性格を作り上げていったように思う。(※2)

【6】【助けて】と言えなかった

どうして私は、
【救急車を呼んでくれるのを待っていただけ】
で終わってしまったのだろう?
自分から【救急車を呼んでくれ】とハッキリ伝えれば良かったのに。
その後の人生、何でもそうだった。
本当に困っているのに、自分から【助けて】と言えなかった。


周囲が私の苦しみを察してくれるのを待ってばかりだった。

原因は2つ
1.幼稚園時代、母からの徹底拒絶(※3)
2.幼稚園時代、母からの嘲笑(※4)
その2つで、十分だった。

【7】ネグレクト

私の体験は、虐待(ネグレクト)です。

脚注

※1

※2 自己否定


※3 徹底拒絶


※4 嘲笑



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