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鱗___早時期賞 副賞 亜麻布みゆ様



 掌に乗るほどの布張りの小箱から、二枚の鱗を取り出す。野菊を押し花にしたらきっとこのくらい、といった大きさの鱗を、そっと摘まんでみる。一枚は右手に、もう一枚は左手に。二枚の鱗を重ねると、少しだけ大きさが違うことが分かる。
 重ねた鱗越しに、ベッドサイドの金魚鉢を見てみる。ぼんやりと、金魚の赤色だけが見える。
 二枚のすりガラスのようなこの鱗は、叔父の形見だ。形見である確証はないのだけれど、きっと、形見であるべきだ。それがふさわしいのだと、信じている。

 叔父は、美しい人だった。少年など皆美しいものだけれど、彼は格別に美しかった。浅黒い肌に、笹の葉のような切れ長な目、それに相応しい研ぎ澄まされた鼻筋。子供の頃の私に「肌が綺麗」という概念は無かったが、叔父の肌はきっと美しかった。そうでなければ説明がつかない、ぞっとするような魅力があった。
 辞書の定義上正しいので「叔父」と表現するけれど、私は八歳差の彼を名前で呼んでいた。彼もまた、そうした。
 私が十歳の時、叔父はひとり暮らしを始めた。祖母ーー叔父の母は、身の回りの世話の為EMV403を連れて行くよう勧めたが、叔父は頑なに断った(だからEMV403は今私の秘書として働いている)。
 叔父は、「ルーシー」を連れて行けば十分だと言って聞かなかった。私は、「連れて行くというよりは、持って行く、だろう」と思ったが、彼らの口論を邪魔したくは無いので黙っていた。叔父は、自分の母親との口論を見せてくれる程度には、私に心を開いていた。そのことに気がついたのは、叔父が居なくなって三年ほど経った頃だった。

 叔父は
「ルーシーを手放したくないんだ。彼女は狂っているから」
 と教えてくれた。人を「狂っている」と表現することが許されないのは、もう何世紀も前から続く常識だけれど、叔父は
「問題ないよ、だって『ルーシーが狂っている』と言うのと『時計が狂っている』と言うのは同じだ」
 と言っていた。
 「ルーシー」は、叔父が生まれた時から、乳母兼友達兼叔父専用HDDハードディスクドライブとして存在していた。叔父の十五歳までの日々は全て、ルーシーの中にある。ルーシーは叔父の十六歳の誕生日に機械としての寿命を迎えた。「修理するより買い替えたほうが安くつく」との判断から、祖母はEMV403を購入し、ルーシーの中にあるすべてのデータをEMV403にコピーした。
 情に厚いのか薄情なのか、叔父はポータビリティを優先し、ルーシーの身体部分は捨て、頭部だけを残した。

 叔父は、ルーシーに寝物語をさせていた。
「狂っているものと会話したことがあるかい? 彼女の話すことは……夢みたいなんだ。その中に、ちゃんと僕がいる」
「データは残っているのね」
「そう。でももう回路がやられているんだろう。ルーシーの中では、僕が母の誕生日にプレゼントした花束は、僕の背中に生えた花を束ねて作ったことになってる。こんなおとぎ話、何だか気分がいいだろう」
「私が出てくる話はないの?」
「一度あったよ。僕と二人で蛇にレモンを喰わせ、腹を割いて、サファイアになったレモンを収穫したらしい」
 妙に生々しいし、欲深いかんじがして、少しも嬉しくなかったことを覚えている。

「今日、泊まっておいき。ルーシーの寝物語を一緒に聞こう」
 同い年の女の子たちが興じる占いよりずっと良い。どうか、自分も今夜の寝物語に登場しますようにと祈った。

 夜、叔父はソファベッドに、私は叔父のベッドに寝、ルーシーはベッドサイドテーブルに鎮座していた。叔父が穏やかな声でルーシーに語り掛ける。
「今夜は何を聞かせてくれる?」
「今夜は、坊ちゃんがあの家にやってきた日のことをお話しましょう」
「僕が、母に抱かれて病院からやってきた日ってこと?」
「いえ、坊ちゃんが網にかかった日のことです」

 ベットサイドランプのオレンジの明かりがともる部屋で、叔父と私は少し笑った。なるほど、これが狂ったものの語ることか、と。

「坊ちゃんがあの家にやってきたのは、今から十年前のことです。あの日は朝から旦那様に来客があって……近隣の漁師でした。朝の漁で、人魚が網にかかった、と。小さな漁船ですから、漁師とその息子しか人魚の事は知らなかった。その肉には不老不死の効果があると珍重される人魚を、旦那様に売りに来たのです。旦那様はその人魚をひと目見て……いたく気に入りました。それが坊ちゃんです」

「僕は人魚だったんだ」
 叔父は愉快そうに言った。
「そうです。旦那様は坊ちゃんを買い取り、漁師とその息子はそれきり行方不明になりました。坊ちゃん、旦那様の書斎を泳いでいた頃を、覚えておいでではないですか」
「そんなことも、あったかもしれないね」
「腰から下は白っぽく、でも鱗がうすい虹色に反射して、とても美しかった。天井から床のすれすれまで一気に下りてくるときなど、ヒレが大きくたなびいて、部屋ごと水槽になったようでした」
「空中を泳いでいたの?」
「そうです。でも、旦那様たちはだんだん……坊ちゃんが欲しくなった。隠しておけなかった」
 叔父が、ハッと息を飲むのが分かった。でもすぐに、続けて、と言った。
「坊ちゃん、私はあなたの鱗を剥ぎました。虹色の鱗を剥いだ途端、その部分だけ肌が滲んだ血でカーマインに変わって、それはそれは美しかった。全ての鱗を剥いだ時、あなたの下半身は人間そのものになりました。私はあの、斑にカーマインに染まった坊ちゃんの姿が忘れられず、鱗を隠し持っていたのです」
 私は、逃げ出してしまいたかった。叔父の呼吸が浅く、「どこに……?」と聞いた彼の声が震えていたから。それは、只狂ったものの寝物語に怯える少年の声ではなかった。
「ご実家の坊ちゃんの部屋に、つまらない風景画が飾ってありますでしょう。その額縁の中にあります」

 翌朝、叔父はスクランブルエッグを作り、ソーセージを茹で、スープとサラダとパンを添えた、完璧な朝食を拵えた。
「EMV403なんて必要ないわね」
 と私が言うと、叔父は苦笑いした後
「この後実家に行くけど、一緒に来る? 物語の結末を知りたくない?」
 私には、それが提案ではなく懇願であると分かっていた。この完璧な食卓も、舞台装置であると。でも叔父を愛していたから、微笑んで首を縦に振った。
 叔父は脱衣所でパジャマからシャツとデニムに着替え、部屋に戻ってきた。あのデニムの下の脚ーー内腿には、縦に傷跡が走っていたりするのだろうか。肌には斑に傷があるだろうか。
 叔父の実家に向かう車の中で、
「『実際』は、僕は八歳の頃、海難事故に巻き込まれたんだ。その時にボートのプロペラで脚に怪我をした……」
 と言った。私は、そう、と言うほかなかった。

 ルーシーの言うところの「つまらない風景画」は、祖母が描いた、風力発電機の建ち並ぶ丘の絵だった。祖父母がルーシーを修理しない薄情さに、少しずつ納得していった。
 大人の一抱えほどある大きな額縁は、私がようやく手が届くか届かないかという高さにあり、私は全く戦力にならないことに気がついていた。だから只、気を付けて、もう少しで外せるわねと無意味に声を掛けるだけだった。
 額縁をテーブルの上に置き、ふと、叔父が言った。
「ルーシーには、感情があったのかな」
「え?」
「僕の姿が忘れられないから……隠し持ってた、とか。つまらない風景画だとか。彼女には感情があったのか、それとも」
「狂った機械が、感情を持った?」
「そう。あ、いや、でも、十年前は彼女は壊れてなかったはずなのに、僕の、身体だったものを、美しいと思ったんだろう?」
「落ち着いて」
 二人きりの部屋で、私の声は思った以上に大きく響いた。
「ルーシーは狂っているんでしょう? つじつまが合う方がおかしいわ。それと……」
 私が言葉を探していると、叔父が続けた。
「狂ったものの言葉から、過去の真相を探そうとすることも、おかしいって? 確かに、その通りだ。僕たちが馬鹿げたことをしていると、ちゃんと確かめて、お茶にしよう」

 叔父が額縁の吊り紐を解き、裏板の金具を、指先で外す。私は爆弾処理を見届けるような気持ちで、汗をかいた手をぎゅっと拳に握る。
 叔父が、爪の先で慎重に裏板を持ち上げた。
 キャンバスと裏板の間の空間に、両の掌に余るほどの鱗が詰まっていた。かつてカーマインに染まる肌に蓋をしていたはずの鱗たち。込み上げる叫びと吐気を堪えるため、両手で口元を抑えた。
 叔父は黙って鱗たちを片手で掴み、また鱗の上に落とした。乾いた、ザラザラザラという音がした。

 叔父は静かにドアを開け、EMV403を呼び寄せた。
「母さんに、ビニール袋を貰ってきて。魚の鱗を入れるんだと伝えて」
 EMV403を待つ間、叔父は私に、鱗を1枚握らせた。
「覚えていて、ルーシーのおかしな物語を。でも、誰にも話さないで」
 真正面から叔父に見据えられ、私はこの先、これ以上美しい人に会うことはないだろう、と思った。また、この人自身にも会うことはないと悟った。実際、その通りになった。

 叔父は程なくして失踪した。小旅行に出かける日くらいの、程々に雑然とした叔父の部屋に、ルーシーは居なかった。誰も気にも留めなかったけれど、その事実が私を安心させた。きっと彼は、自ら居なくなった。
 叔父の遺体が見つかった、という報せは、十八年経った今でも、無い。ただ私は、少なくとも叔父という人間・・はこの世に存在しないと、確信している。
 叔父が失踪してひと月経った頃、手紙が届いたのだ。封筒の中には、薄桃色の鱗が1枚入っていた。剥いですぐ封筒に入れたのだろう、封筒には薄茶色の染みが付いていた。ルーシーに、カーマインの肌を見せてやったのかもしれない。その鱗は、叔父が私の手に握らせたものよりひと回り大きかった。
 祖父母は、当然のように海ばかりを捜索し続け、叔父の失踪から三年後、海難事故で亡くなった。

 私はEMV403を引き取った。正常な回路を持つ彼女がルーシーから引き継いだ「記録」を、毎日寝物語に聴いている。空中を浮遊する叔父は、歌声まで美しかった、らしい。








本作品は、本田すのうさん主催の企画「マスクド☆note」にて、早時期の作品を見破ってくださった亜麻布みゆさんへ贈るものです。
🌾マスクド☆note、近く第2弾が開始されるとの事! はじめましての書き手の方との出会いがあり、シンプルにゲームとしても楽しい企画です。第2弾は予想側として楽しみたいと思います。

第1弾参加者のみゆさんから、副賞としてすでに素敵な短歌を詠んでいただきました。みゆさん改めましてありがとうございます!



……さて。早時期賞副賞、小説の部ラストはみゆさん。最後にして最長にして、最重?
いや、世間的にはそんなに重くないけど、私的には過去一の重さであります、ね?

みゆさんは今まさに変わって行く人ということで、メタモルフォーゼの話にしたい、というのが念頭にありました。そして、幻想的な話……と想像した時に頭に浮かんだのが、「所々カーマインの鱗」「狂ったものが語る物語」のイメージだったので、それを中心に組み立ててみました。

かつてのみゆさん→変化の途中の今→変化したみゆさん、というメタモルフォーゼを今見てるなぁという気持ちでいるので、それに相応しい痛みと強さを伴う物語になっていたら嬉しいです。

こういう、物語調の作品を書くこともなかなかない……というか初めてなので、探り探りでドキドキしましたけれども! 楽しかった!!

総じて、今回の副賞シリーズは、その方からイメージを膨らませつつも自分がやりたいことをやれた気がします。ひとえに、懐の深い正解者のみなさまのおかげです。受け止めてくださり、ありがとうございます。
またこういう機会があったらチャレンジしてみたいな……文フリでやる? いや、流石に大変か。


▼ 副賞シリーズはこちら ▼

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早時期仮名子*みもすそ文庫 もっといい小説を書きます!