美しさを学習する5:スタニスラフ・ブーニンとショパン
こんばんは。
レジェンド研究見習い中のSeaです🏝️
音楽史に名を残すアーティストや、その作品をnoteにします。
お正月なので、今日も華やかな方を取り上げます😊
文字でうまく音を伝えられるかな…?
お楽しみください🎹
はじめに。ピアノとわたし
この記事では、世界的ピアニストのブーニンについて記したい。
そのため、まずは筆者のピアノにまつわる経験を聞いていただきたい。
筆者はよい先生に師事できたため、ピアノが得意になった。
それで地方都市ではあるが、音大受験を勧められた。
毎日七時間ほど弾くと、ピアノの技術が安定するという。
ピアニストはスポーツ選手と近いのかもしれない。
実際、何時間練習するのも平気だった。
鍵盤に触れ音が鳴り出すと、意識がどこかに行ってしまうからだ。
長時間弾けば、当然ピアノも劣化していく。
音大生ともなると、グランドピアノが必需品だ。
生涯にわたって買い替えも要る。
怖気付いて、その道は早めに断念した。
そもそもピアニストより、ロックスターになる気満々だった(笑)
ただ、中学生にして「革命」を弾いたということで、田舎町では一目置かれていた。
キョンキョン主演のドラマ「少女に何が起こったか」の影響なんだけれども、筆者には、音楽以外にはさしたる才能がなかったのだ。
(なおピアノを始めたのは9歳とやや遅めである)
年老いて、働かなくて良くなったら、思いっきり弾きたいとは思う。
鍛錬が前提のため、演奏を週末に楽しむという感覚を持ちづらい。
めんどくさい女である(笑)
ピアノの音色が教えてくれたこと
実家に残してあったヤマハのピアノ(1980年代製)は、アジア圏では価値が高いらしく、迷いながらも手放してしまった。
その後ピアノには触れていないが、その音色は大好きだ。
楽器は、弾く人によって音が変わると思っている。
声と同じで、ピアノも弾く人で印象が大きく異なる。
好き嫌いの激しい筆者が、唯一なりたいと思ったのがブーニンだ。
ブーニンというピアニスト
彼はショパン国際ピアノコンクールで優勝し、日本で「ブーニン・ブーム」を巻き起こした伝説のピアニストだ。
クラシックに詳しくなくても、名前だけはご存知かもしれない。
ブーニンの弾く「革命」。
まず速度が違う。(高速は彼の持ち味の一つだ)
次に、音の切れ味も違う。
それなのに自分は、ブーニンのように弾きたいと真剣に思ってしまうのである。
比較対象が世界というか、もはや宇宙規模である。
こんなんだから、とかく人生がややこしくなるのだが、どうせ憧れるなら一番すごい人がいい。
目指すのもそこがいい、というのが筆者の考え方だ。
ショパンを弾くならブーニン。
目標が高いと、追いつけなくてもいい線までは行けるからね。
それなのに、いつものことだけど、憧れる気持ちも、努力する意志も途切れさせてしまう。
つまり、自分にあきらめてしまうのだ。
楽器なりラケットなり、ツールを手に入れて、努力して、技術が見合っても、見出してくれる誰かがいなければ、そこから動けなくなってしまう。
少なくとも私はそうだ。
運とか縁といわれるが、ひとは結局、ひとによって道を開かれるものだと思っている。
音楽を忘れていた七年
それでピアノのこともブーニンのことも忘れて、なんなら音楽すら忘れて、東京の片隅でぼーっと過ごしてきた。
なにしに東京へ来たんだか。
それでも、思いがけないきっかけで、ブーニンが最近演奏活動をしていることに気づいた。
(きっかけは後日、記したい)
彼は近年、大きな病気をしていたようだ。
所沢で会えたブーニン
都内の立派なホールもいいけれど、少しでも近くで聴けるかもという期待を込めて、所沢まで出向いた。

開催間際にチケットを購入したため良席ではなかったが、それでも2階まで確実に音が届いた。
神経が休まる感じがして、目を閉じた。
音がぽろぽろと分かれて、一つずつ届く。
あぁ、やっぱりブーニンは上手い……。
ブーニンみたいに弾けるようになりたかったな……。
どうやったら、こういう音色になるんだろう……。
そんなふうに思っていたら、およそ100分ほどだろうか、終演となった。
杖を支えに歩くブーニン。深くお辞儀をする。
拍手喝采が鳴り止まない。
お客さんは筆者より少し年上の方が多く、きっと当時から応援されてきたのだろう。
「雨だれ」
ブーニンは、左手を酷使する「革命」は、もう弾かないのかもしれない。
だけど、今回聴かせてくれた優しい「雨だれ」は、忘れがたいものとなった。

自分もまた、ピアノを弾きたくなった。
ちょうど誘いたい人がいる。連弾してみようって。
👼スタニスラフ・ブーニンは、1966年モスクワ生まれ。
リヒテルやギレリスを育てた名教師ゲンリヒ・ネイガウスを祖父に持つ、ピアニスト一家の出身。
1985年、ショパン国際ピアノコンクールで優勝。
闘病で長く演奏を中断していたが、リハビリを経て2022年に復帰し、活動を続けている。

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