5月28日に、また誓う。カリタス学園卒業生として、7年目の今日に
一 静かな夜に
5月28日の夜、静けさの中でこの文章を書いています。
今年も、あの日が来ました。
事件は、やがて人の記憶から薄れていきます。日付はなおさらです。 私はあの事件の直接の当事者ではありません。何もしなければ、いつか自分も必ず忘れてしまう。その自分の弱さが分かっていました。
だからこそ、あえてこの日付を自分の人生の節目に深く刻み込み、「一生忘れない」ための選択をしてきたのです。
2019年5月28日。神奈川県川崎市。
登校中、スクールバスを待っていたカリタス学園の児童が襲われました。
18人が負傷し、児童と保護者の二人の命が失われました。 私の母校の、子どもたちのお話です。
7年前のあの日の朝、私はいつも通り会社にいました。デスクに向かっていた私のもとに、退職した前職でお世話になった女性PMから一通のメールが入りました。
テレビのニュースで事件を知った彼女からの、痛切な心配と動揺が寄せられたメッセージでした。
「カリタスが大変なことになっていて、胸を痛めています」
慌ててネットで検索しても、発生直後のため速報がほとんど上がっておらず、しばらくは何が起きているのか、全容が全く分かりませんでした。ただ、理由のない恐ろしい胸のざわつきだけが広がっていったことを、今でも鮮明に覚えています。
私自身が直接の被害に遭ったわけではありません。
でも、自分の原点であり、大切な思い出が詰まったあのカリタス学園が突然深い悲しみの場となったこと、 そして最前線で矢面に立って子どもたちを守ろうとした先生方の姿が、今も心に深く刻まれています。
二 理事長の言葉
事件の直後、学園の理事長は記者会見で、苦渋の表情とともにこう語りました。
「本当になんとも言えない蛮行によって落ち度のない子どもたちと愛情深く子どもを育んでこられた保護者のかたがこうした被害にあったこと、怒りのやり場もない暗い気持ちで痛恨の極みです。」
いつも「普遍的な愛(カリタス)」を説き、どんなときも赦しと祈りを教えてくださっていた温穏な先生方。その会見の席でこの言葉を絞り出していたのは、他ならぬ、私が在学中に教科担任として直接ご指導いただいた、心から尊敬する恩師でした。
あの先生が苦渋の表情でその言葉を口にされたという事実だけで、どれほどの地獄がそこにあったのか、どれほど張り裂けそうな無念だったのかが伝わり、震えが止まりませんでした。
最初にこの言葉を聞いたとき、私は「怒りのやり場もない」という表現に、激しい怒りの感情を読み取ろうとしていました。
でも、違いました。
「落ち度のない子どもたちが」。
「愛情深く子どもを育んでこられた保護者が」。
「こうした被害にあったこと」に対して。
先生は、誰かを責めていたのではありません。加害者への怒りを叫ぶのでもなく、ただ、被害を受けた人たちの無念さ、その痛みに打ちひしがれていたのだと、今は思います。
守りきれなかった。その無念が、「怒りのやり場もない」という言葉の底にあったのだと感じています。
怒りを誰かにぶつけることより、前を向くことを選んだ人がいました。あの日、私はその姿に、カリタスという学校の教育の本質を見た気がしました。
三 この日を、生きて
事件から1年後の5月、私は勤めていた会社から退職勧奨を受けました。
コロナ禍でした。QA(Quality Assurance=品質保証)という仕事は、必然的に居場所を失います。開発費が捻出できず、新たに作るものがなくなれば、品質を保証する対象そのものが存在しないからです。
5月25日の月曜日、緊急事態宣言が全面解除されたまさにその日、私は話を受けました。
会社に残る道も用意されていました。
「どちらの道を選んでも応援するから、自分で決めていい」。
会社の命令として突き放されたのではなく、私自身に決断が委ねられたのです。
回答期限は、月末。
その週の金曜日、5月29日。
心配してくれた仲間が駆けつけてくれたり、リモートで繋いで話を聞いてくれたりする中で、私は少しずつ気持ちを固めていきました。
会社は、この上なく誠実でした。次を見つけるための全力のサポートを約束してくれましたし、この厳しい状況の中で残ってつらい思いをさせたくない、という配慮が言葉の端々に滲んでいました。
私自身にとっても、それは予想できていた、納得のいく判断でした。
なぜなら、その数週間ほど前から、自分が会社に十分な価値を提供できている実感がなく、やれる仕事をなんとか切り出してもらっているような感覚が否めなかったからです。
だからこそ、明確な退職勧奨を受けたにもかかわらず会社に残れば、自己肯定感を完全に失ってしまうことが分かっていました。
しかし、納得できることと、悲しくないことは違います。
そこまで配慮してくれた会社だからこそ、自分が在籍することで会社の財政を圧迫してしまうことが心苦しく、何より、ここまでの対応をしてくれた会社を離れること、その会社の一員でなくなってしまうこと自体が、たまらなく辛かったのです。
何もしていない時間、私はずっと泣き続けていました。
「リストラをされたときの気持ちは、実際にその立場にならないと、絶対にわからない」。 多くの経験者が口にしてきた、その言葉の本当の意味を、そしてその痛みを、私は身をもって知りました。
回答期限の前日。私はあえて5月28日に、郵送で送られてきた退職合意書にサインをし、返送しました。
この28日を、どんな痛みを伴おうとも現実を受け入れる日とし、翌日を再スタートの日にする。そう心に決めていました。
当時、母校のカリタス学園は、校内にITの専門家がいるわけでもない中で、必死にオンライン授業を立ち上げて前を向いていました。あの絶望から立ち上がり、一歩ずつ歩みを進めていた母校の姿に、私はどうしてもあやかりたかったのです。
同じ日に、卒業生である自分もここから再生すると誓わなければ、あの時の私の心は壊れてしまいそうでした。母校のその強い歩みを、一生の励みにしたかった。
それが、あえてこの日にサインをした本当の理由です。
それから6年、この日が来るたびに、私はただ、あの日の誰かを思いながら過ごしてきました。その思いが、気づけば私を動かしてきたのだと思います。
あの日守れなかった誰かに、少しでも近づくように。
矢面に立った日がありました。届いた支援もあれば、届かなかった支援もありました。怖気づいた日もありました。守れなかった悔しさを抱えたまま、静かに引き継いだ仕事もありました。
3期目を迎えた昨年、私は現場で培ってきた経験と手法を、誰かの力になる資産として体系化し、残していくことを決意しました。
今日まで本当に多くの人が資材開発に協力してくださり、そして、まさに今日、一緒に展開していくために伴走してくれるパートナーが見つかったのです。
毎年、この日を境に、何かが終わり、何かが始まってきました。
それは偶然かもしれないし、私にとって特別なこの日を絶対に忘れないようにしようとしているからかもしれません。
四 カリタスの教育が教えてくれたこと
カリタスとは、ラテン語で「愛」を意味します。
母校のホームページを開くと、そこには今も変わらない、私たちが目指すべき人間像が掲げられています。
普遍的な愛をもって 人に尽くす人間
Women for others with CARITAS.
Femmes pour les autres avec CARITAS.
一人ひとりの生徒が、日々神様に活かされている喜びを感じながら、自分のためだけではなくすべての人のために働くことができる人間へと成長していくこと。
昔も今も、そしてこれからも変わらない学園のその祈りと教えの中で、私はこの上なく大切に育てられました。
あの日、友だちをかばおうとした子どもたちがいました。自分より先に、誰かのことを思った子どもたちが。その姿は、カリタスの精神そのものだったと感じています。
かつて、恩師が校長だった頃、インタビューで語っていた言葉があります。
「人間の叡智を超えた大いなるものから生かされている実感を持ち、生きる力だけではなく、生かす力を身に着けてほしい」。
そして、その根底にあるのは「自律」なのだと。
「自分に対する厳しさがなければ、本当の意味で人を愛することはできない。逆に言えば、人を愛するためには、自分を厳しく律する必要がある」
私がこの7年間、自分の甘さと戦い、誰かを守るために必死に藻掻き続けてきたのは、あの時の理事長(恩師)のようになりたいと誓い、今も強く願い続けているからだと思います。
ただ共感や同情をするのではない。本当の意味で人を守り、生かすためには、自分を律する厳しさを持たなければならない。
うまくいかないことの方が多かった。それでも、やめませんでした。
やめられませんでした。
五 今日のミサで
フェンス沿いに手向けられた花束。それを見て、ここがあの場所なのだと気づきました。それを見た瞬間、胸が締めつけられました。

その後、母校へ移動し、静かな聖堂でミサの席に着きます。
共同祈願が捧げられる中、これまでのさまざまな思いが脳裏をよぎり、気がついたら泣いていました。
声を殺しても、涙は止まりませんでした。
7年分の何かが、一気に溢れたような感覚。
静かな聖堂のなかで、閉祭の歌が始まりました。
大波のように
大波のように 神の愛が わたしの胸に よせてくるよ
漕ぎ出せ 漕ぎ出せ 世の海原へ
先立つ主イエスに 身をゆだねて
大風のように 神の愛が わたしの胸に よせてくるよ
帆をはれ 帆をはれ 世の海原へ
先立つ主イエスに 身をゆだねて
大空のように 神の愛が わたしの胸に よせてくるよ
とびだせ とびだせ 光の中へ
先立つ主イエスに 身をゆだねて
あの日以来、容赦なく押し寄せる現実の大波に、何度ものまれてしまいそうになりながらも、藻掻き続けてきた日々。
届かなかった悔しさを抱えたままの私は今、この歌に強く背中を押されているのだと感じました。
「漕ぎ出せ」「帆をはれ」「とびだせ」という言葉は、決して命令などではありません。それは、今ここから再び世の海原へと向かう私への、温かくも力強い励ましだったのです。
神の愛は、大波のように、大風のように寄せてきます。穏やかにではなく、圧倒的な力で。それでいいのだと思いました。
「恐れずに進めばいい。波が来たら漕げばいいし、何かあれば帆を張ればいい」
そう、優しく、けれど力強く背中を押された気がしました。 涙が止まりませんでした。私は歌い続けました。
ミサを終えて外に出たとき、見上げた母校の空は、厚い雲に覆われていました。

そこにあったのは、眩い青空も、完璧な光もない、静かで少し寂しい曇り空。
六 誓い
あの日から、7年が経ちました。
何の落ち度もない人が、その命を奪われることが。
正しくあろうとした人が、孤独に追い詰められることが。
誰かを守ろうとした手が、間に合わないということが。
二度と、繰り返されてほしくありません。
私が一人でできることなど、たかがしれています
あの安全な登下校が、そして学校生活が、それを目に見えないところで必死に守っている大人たちがいたからこそ成り立っていたのと同じように。
私たちが生きる社会も、組織も、誰かの見えない守護があって初めて、大切な人が傷つかずに前を向くことができるのだと思います。
守られていたことに気づけなかった悔しさ。 そして、守る仕組みがなければ、人は簡単に傷ついてしまうという厳然たる現実。
だからこそ、私は決めました。
あの日、恩師の姿から学んだ「生かされたこの命を、どう使うか」という問いへの答えとして、不条理に時間を奪われ、摩耗していく誰かのために、現場で培った経験や仕組みを「確かな形」に変えて、誰かの手に届く場所に置いていくことを。
大切な人が迷わず、傷つかず、進むべき道を進むための「地図」であり、「灯火」となるような形を、私は残し続けていきます。
カリタスが教えてくれた愛を、言葉ではなく、みずからを律する生き方で示し続けたい。
5月28日の夜に、また静かに誓います。
最後になりましたが、あの日、命を奪われた尊い後輩と保護者の方の永遠の安息を、心よりお祈りいたします。
2026年5月28日

🟢 5月29日|祈りが種になった日──SEED Genesis 創業の物語
あの夜の祈りは、翌朝の決断へとつながりました。
いいなと思ったら応援しよう!
「現場の夜明け」を創る、持続可能な活動のために。
いただいた支援は、SEED Genesisの公式プラットフォーム運営費や、知見を体系化するための研究費として大切に活用しております。