大企業7年で身につけた筋肉のうち何が中小で活き、何を捨てる必要があったか——家業に戻って6年、本格承継から1年の棚卸し
本格的に会社を継いでから、ちょうど1年が経ちました。
家業である電気工事の会社に戻ってきたのが6年前。専務として現場と数字に向き合いながら、少しずつ引き継ぎを進め、1年前に正式に代表になりました。
節目なので、日曜の静かな時間に、棚卸しをひとつしてみようと思います。テーマは「筋肉」です。
新卒で入った大企業に、7年いました。そこで身につけた仕事の作法や習慣は、いま振り返ると、トレーニングでついた筋肉のようなものでした。そして家業という別の環境に移ってみて、はっきり分かったことがあります。その筋肉には、新しい環境でもそのまま活きるものと、いったん手放さないといけないものがある、ということです。
どちらが優れているという話ではありません。大企業の筋肉は、大企業という環境に見事に最適化されています。ただ、環境が変わると、同じ筋肉が「武器」にも「重り」にもなる。これは、その仕分けの記録です。
同じように大企業から中小企業へ移る人は、思っているより多いようです。ある調査では、大企業を離れた人の4割以上が従業員300人未満の会社へ移り、40代では6割近くにのぼるとのこと。家業を継ぐ後継者も、いまや4割近くが親族以外——外から来た人だといいます。だからこれは、私だけの個人的な話ではなく、同じ道を歩くかもしれない誰かにも、少しは役立つ棚卸しだと思っています。
## そのまま活きた、3つの筋肉
### ① プロジェクトを「目的・期限・責任者」で動かす作法
大企業では、ひとつの仕事を「目的は何か」「いつまでに」「誰が責任者か」をはっきりさせてから動かすのが当たり前でした。当たり前すぎて、これがスキルだとすら思っていませんでした。
家業に戻って気づいたのは、これが中小の現場ではむしろ希少な筋肉だということです。電気工事の現場は、段取りひとつで利益も安全も工期も変わります。「なんとなく始めて、なんとなく進める」を「目的と期限と担当を決めてから進める」に変えるだけで、現場は驚くほど整理されました。大企業で7年かけて体に染み込ませた作法が、そのまま会社の標準になっていきました。
### ② 異質な相手と、ひとつの成果を出す経験
前職では、海外のプロジェクトに関わる機会がありました。文化も言葉も仕事の常識も違う相手と、それでもひとつの成果に向かって進む——そういう経験です。
これは、家業に戻ってからの毎日にそのまま効いています。長く会社を支えてくれているベテランの職人さん、新しく入ってくる若手、これからますます一緒に働くことになる多国籍の仲間。立場も世代も背景も違う人たちと、同じ方向を向いて仕事をする。「異質な相手との協働」は、海外でも、いまの会社でも、本質はまったく同じでした。
ひとつだけ、海外にいた頃と変えたことがあります。大企業の駐在員は「日本の大きな会社の人」という肩書きで信頼してもらえました。でも家業では、肩書きは通用しません。信頼は、肩書きではなく、積み重ねでしか生まれない。その違いに気づいてから、この筋肉はきれいに機能するようになりました。
### ③ 数字(PL・BS)を読む筋肉
大企業では、損益計算書や貸借対照表を読むことは、特別なことではなく日常の共通言語でした。
中小企業では、経営者が数字をどう読むかが、そのまま会社の打ち手に直結します。大企業のときは「数字を読んで報告する」だったものが、いまは「数字を読んで、自分で決める」になりました。同じ筋肉でも、使う場所が変わると、効き方がまるで違う。この筋肉を持って戻れたことは、本当に幸運だったと思います。
## いったん手放す必要があった、3つの筋肉
ここからは、正直に書きます。優秀な筋肉だったからこそ、手放すのに時間がかかったものたちです。
### ① 会議を段取りする文化
大企業では、会議をうまく設計し、根回しをし、資料を整え、合意をとりつける——その段取り力そのものが、評価される立派なスキルでした。
家業に戻って、最初はこの筋肉のまま会議を増やしてしまいました。でも、人数の少ない会社では、会議の段取りに時間をかけるより「その場で決めて、すぐ動く」ほうが、たいていうまくいく。会議は価値を生む場ではなく、決めるための最短手段でいい。そう割り切ってから、段取りという筋肉は静かに役目を終えました。
### ② 稟議で、責任を分散する思考
これが、いちばん根の深い筋肉でした。
大企業の稟議制度は、複数の人が承認することで「誰か一人のミスにしない」、とてもよくできた仕組みです。判断の重さも、失敗したときの心の重さも、組織でそっと分け合える。私はその仕組みに、知らないうちにずいぶん助けられていました。
家業に戻ると、それがありません。経営の判断は、最後はすべて自分に返ってきます。承継した最初の頃は、決めること自体よりも、「この判断の重さを誰とも分け合えない」という感覚のほうがこたえました。
でも、1年やってみて思います。**責任を分散する仕組みを手放したとき、はじめて経営者としての判断が始まる**のだと。重さは消えませんが、その重さこそが、判断を自分のものにしてくれる。いまはそう受け止めています。
### ③ 肩書きで仕事をする癖
大企業の名刺は、強い。会社の名前が、まだ何の実績もない自分の言葉に、信用を貸してくれていました。
家業に戻ったときの私の肩書きは、「先代の息子」です。これは、社外でも社内でも、そのままでは何の力も持ちません。むしろ職人さんたちからすれば「現場を知らないのに戻ってきた人」かもしれない。肩書きで仕事をする癖が抜けるまで、いちばん時間がかかりました。
通用するのは、現場の知識と、実際にやってみせることと、日々積み上げる小さな信頼だけ。当たり前のことですが、これを本当に腹で理解するのに、何年かかかりました。
## 棚卸しして見えた、ひとつのこと
6つの筋肉を並べてみて、気づいたことがあります。
そのまま活きた筋肉——プロジェクト管理、異質との協働、数字を読む力。これらに共通しているのは、すべて「先の見えない状況で、それでも前に進むための方法論」だということです。
手放す必要があった筋肉——会議の段取り、稟議、肩書き。これらに共通しているのは、すべて「確実なものに寄りかかる技術」だということです。
大企業は、確実性の高い環境です。だから「確実なものに寄りかかる筋肉」が、その環境では合理的に働きます。一方、中小企業、それも承継したばかりの会社は、不確実なことばかりです。だからこそ、不確実ななかで進む筋肉が直接効き、確実性に寄りかかる筋肉は、重りになる。
棚卸しの結論は、たぶんこうです。確実なものに寄りかかる癖をひとつ手放すたびに、経営者としての自分の判断が、ひとつ始まっていく。
## 承継1年、ここから
家業に戻って6年、本格的に継いでから1年。棚卸しをしてみて、まだ途中なのだと、あらためて感じます。引き継ぐべき無形のもの——先代が築いた信頼や、現場の勘どころは、1年やそこらで継ぎ切れるものではありません。
それでも、大企業での7年は無駄ではなかった、と今ははっきり言えます。活きた筋肉は会社の力になり、手放した筋肉も、「手放す」という経験そのものが、自分を経営者にしてくれました。
もし、いま同じ岐路に立っている人がいたら、伝えたいのはこの一点です。大企業で身につけたものは、ちゃんと持っていける。ただし、全部は持っていけない。何を持っていき、何を置いていくか——その仕分けこそが、たぶん承継の最初の仕事です。
日曜の棚卸しは、このあたりで。また一年たったら、続きを書こうと思います。
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