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山陽道をゆくchapter1-24 倉敷・直島(24)


『千住博⁉️』その名をどこかで聞いたことがある


→chapter1-23 倉敷・直島(23)


『千住・・・千住・・・⁉️』千住真理子???



「最近はあの千住真理子の兄とは言われなくなりました❗️

2025年3月12日放送、[徹子の部屋]TV Asahiに千住真理子とともに出演した次兄千住明が言い放った。

長兄千住博は日本画家🧑‍🎨、次兄千住明は作曲家🎼の芸術家千住3兄弟である。

千住真理子は天才少女👧と言われたViolinistバイオリニストで事実、mediaでの露出度が兄たちとは天と地ほど違っていた。Soro Violinist千住真理子だけで客を呼べる存在である。かたや作曲家千住明の多大な業績があっても端の方にcreditが出るだけでその顔を見ることはあまり無い。ましてや日本画家千住博に至ってはその顔を拝んだことも無い。

画家はイケメンかどうかではなく、作品をどのように感じてもらうかが肝要である。

長兄・次兄とも地道に業績を積んできた結果、[あの千住真理子の兄]とはあまり言われなくなったと言ったところだろうか。

もちろん草間彌生のように自らの顔も全面的にposterなどに出す人もいるが・・・。



この襖絵はとてもDynamicに描かれ、他の作品と違ってこの建物と完全にfitしていた。


「石橋」は直島・本村地区にある明治時代に製塩業で栄えていた石橋家の家屋を使ったアート施設です。この家屋は、2001年4月まで個人宅として使われていました。製塩業が盛んだった頃の直島の歴史の記憶を喚起する場として、2006年に開かれた「直島スタンダード2」展を機に、日本画家・千住博氏によって手掛けられました。千住氏は着想から5年の歳月を費やし、「場の持つ記憶」を空間ごと作品化しています。直島の歴史や文化を捉えるという観点から、家そのものの修復にも重点が置かれました。

現在、母屋の襖に描かれているのは、2009年に新たに公開された千住氏による"崖"シリーズ第一弾の作品群です。

benesee artsite.jp



この時、僕はcameraを向けなかった。それは襖自体が新しく❗️、よく京都の寺の宝物殿に展示されている長谷川等伯や狩野探幽が描いた国宝・重要文化財級の襖絵をimageしてしまい、この襖絵🖼️に歴史的価値みたいなものを感じなかったからだ。


千住氏は制作にあたって、瀬戸内という場を海、陸、空から隈なく取材、スケッチしています。その風景に触発され、自身が手掛けてきた主な画題 "滝"に次ぐ新たな画題として"崖"を選びました。襖絵や床脇の天袋、掛け軸、庭も含めて「空の庭」と名付けています。

"崖"が公開されてから約11年半が経ちました。現在の"崖"は、公開当時とは少し異なる姿を私たちに見せています。
下の写真(左)は現在の"崖"の姿を捉えたものです。2009年に撮影された公開当時の写真(右)と見比べると、色味の違いがよく分かります。なぜこのように変化しているのでしょうか?

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執筆に当たりこの作品のことを調べた。最近描かれたというだけで判断してしまうのは間違いであることに気づいた。


その答えは使われている顔料にあります。日本画の顔料には岩絵の具がよく使われますが、"崖"の背景はあえて銀泥を使って描かれています。そのため、銀が時間の経過とともに黒く変色しているのです。一般的にアート作品が変色することは作品の劣化として捉えられ、あまり好ましくありません。しかし千住氏は、銀が変色していく様子を見せ続けることで、「時間の経過」を表現しようとしました。

少しずつ変化を続けている"崖"。一度訪れたことがある方も、再び訪れることでまた異なる姿を見ることができます。作品の変化を目の当たりにしながら、家屋が持つ約150年の歴史、そして常に流れ続けていく時間に思いを馳せていただければと思います。

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経年劣化することも計算されていたのだ❗️。



この作品も一期一会なのだ❗️

年を積み重ね少しずつ劣化して行く。


「日本発の現代美術とはどういうものかということを福武總一郎さん、担当の加藤淳さん
達とディスカッションを重ねてたどり着いたのがこの崖の作品でした。
全ては不変、これが西洋的モダニズムです。
経年変化は想定しない、作品自体は変わらないということが西洋の現代美術の基本軸です。
しかし、日本の美意識は全ては移り変わるということ、つまり無常観をその根本に据えています。
茶道も一回限り、花も瞬時に移り変わる一期一会に美を見出します。
そこで私は作品に銀を用いることにしました。
銀は明るい白色からどんどん酸化し黒変していきます。
ですから、まるで夜明けから昼を過ぎて夜に至るようにこの作品は変化します。
数十年後には、この作品は漆黒の闇の風景画になるでしょう。

私たちも変わる。
作品も変わる。
今年見た体験と、来年の体験は決して同じではありません。
しかし、その無常観の実験装置に作者として対面し、取り返しのつかないことをしてしまったのかもしれないという思いも湧いてきました。
変わらない作品にすればよかったのかもしれない。
しかし、この心の逡巡こそが、鴨長明の看破した無常観の正体と理解するに至り、まさに私自身が、ここから日本文化のコンセプトを学んだ気がしています。

崖は和紙を揉んで表情を作りました。
日本文化は、その風土が生んだ和紙が大きく関わります。
和紙は揉まれた時、強くその存在感を出します。
崖の表情は揉んだ和紙でしかできないものです。
絵の具は天然の岩を砕き、加工した岩絵具です。
これは崖そのもののメタファーと言えるでしょう。
風景は太古の瀬戸内海を想像しました。
日本的とは、日本の風土のことです。
この作品において、主役は物体としてのモノではなく、まさに空に至る無常観自体です。
ここに、日本の風土に深く根ざしたオリジナルが成立したのではないかと思っています。」
「石橋」外観
「石橋」外観 写真:渡邉修

日本画家 千住博 interview by benesee artsite.jp


僕たちは【石橋】を後にした。


島猫🐈


狭い路地を戻った。Fさんはそのまま真っすぐ進む。民家の屋根に猫が数匹、居た❗️

首輪をしていないので飼い猫ではない。

かと言って野良では無さそう、島猫なのだろう❗️。

岩合さんになった気分でshuterを切った。

『オレには関係ないよ❗️』cameraを向けても無表情である。

人を見ても逃げないが、かと言って愛想を振りまく素振りも見せない。

これが猫本来の姿なのだろう。


立派な銅屋根の町役場
屋上には展望台がある


「向こうに見える大きな建物は町役場です」とFさんは指び差した。

「バブルの頃、当時の町長が銅板屋根の豪華な役場を造り、税金の無駄使いと一時期、問題になった建物です」とFさんが言及した。

なるほどこの小さな島には不釣り合い過ぎる建物である。この建物は【家プロジェクト】とは関係ないらしいが、目立つ建物であることには変わりない。


碁会所


僕たちは路地より少し広い、町のmain通りに出ると左に折れた。そしてまた古民家に入った。


須田悦弘作


家プロジェクト 直島特有の家屋や寺社などを改修し、現在も生活が営まれる地域で、空間そのものを作品化。現在では7軒が公開中だ。
碁を打つ場所だった建物を作品化 速水御舟の《名樹散椿》から着想した作品を展示。庭の本物の五色椿と作品が対比的な効果を生む。

setouchi artfest.jp


Benesse House Museumで見たコンクリートの壁の草(作品名雑草)と同じく、これが芸術と言われればそれまでだが、首を傾げたくなる作品だ。




「ここの瓦屋根は瀬戸内地方で古くから使われている様式です」
とFさんは【石橋】に続いて同じことを言及した。



特徴のある屋根瓦


僕はこれと同じ様式の瓦を日常的に京都のお寺で見ている。目の前の瀬戸内の瓦と何がどのように違うのか⁉️、Fさんに突っ込みを入れようかと思ったが、止めた。Fさんは瓦の専門家ではない。

「どことなく気品があり、歴史を感じますね」と僕が言うとFさんはニコリとした。

取り敢えず写真に収め、後日調べてみようと思った。


巴のmark


僕たちは碁会所を出た。次はどこに行くのだろう。Fさんは腕時計を見て

「少し時間があるので町役場に行ってみますか」とFさんは言い、来た道を戻った。

先ほど遠目に見た町役場の建物に興味あり、と踏んでのことだろう。


chapter1-25 倉敷・直島(25)→To be continue


【Lensレンズ】appで調べた。

この瓦の様式は古くは法隆寺に取り入れられている。比較的雪が少ない地方で多く用いれられている。


postscript追伸



ふと京都冬の特別拝観で建仁寺の塔頭、正伝永源院に行った日(2022.2.8)のことを思い出した。


正伝永源院
2022.2.8撮影


襖絵🖼️の制作者は細川護熙、第79代総理大臣である。

彼のrootsは室町幕府の管領家、細川家の流れを汲む、元熊本県知事、熊本城が実家のような名家であり、元日本新党党首でもある。



復元された茶室如庵
2022.2.8撮影


細川家と大名茶人の織田有楽斎ゆかりの寺院
茶室如庵とつつじの庭園と細川護熙氏揮毫襖絵を公開

元はいずれも臨済宗大本山建仁寺の塔頭である正伝院と永源庵というふたつの寺院であったが、明治期の廃仏毀釈の際に永源庵は廃寺となり、正伝院がその場所に移ってきたことに始まる。元々永源庵は、細川家の始祖・細川頼有から8代続く菩提寺であったことから、その名を残し、「正伝永源院」と改められた。大名茶人織田有楽斎が建てた国宝の茶室「如庵」が復元されるなど、有楽斎ゆかりの寺としても知られる。毎年春になると、つつじの庭園が公開され、春の訪れを静かに感じることができる。

京都観光Nave



正伝永源院の庭
2022.2.8撮影


テレビや新聞で既に報道されましたが、建仁寺塔頭の正伝永源院の方丈に、このたび、政界引退後に陶芸家として活動しておられる細川護熙元首相が、襖絵を描いて寄贈されました。
正伝永源院は、もともと正伝院と永源庵という二つの寺院であったのですが、鎌倉時代に開創された正伝院は、大阪冬の陣ののち、隠棲した織田信長の弟である有楽斎が再興し如庵という茶室をたてて、晩年を茶の湯三昧のうちにすごされたお寺です。
もう一つの永源庵は開基が細川頼有公。ところが廃仏毀釈のおりに無住であったため、売却された正伝院の移転地とされ、廃寺になってしまいました。しかし細川家の菩提寺であったため、のちに永源の名を再び興して現在の寺名になったということです。
こういったご縁があり、細川家の末裔である細川護熙氏が、本院に襖絵を描いて寄贈することになったとのこと。その襖絵が以下の「東山の春・夜桜」と「西山の秋・紅葉」の各8面です。御住職の許可を得て写真を撮らせていただきました。

zenbunnka.cr.jp



正伝永源院の庭
2022.2.8撮影



著名な細川護熙元総理大臣が描いた襖絵である。襖が新しい❗️

この時も襖絵に歴史的価値を感じなかった。



本来Artistが制作した作品に対して自身がその時その場でどう感じるか❣️が何より重要なのである。ところが、世界遺産 国宝 重要文化財 登録文化財といった専門機関が評価を下したrankランクに対してbiasバイアスが働く。

ここは世界遺産、これは国宝、等の看板に連れ、それだけで

「すばらしい‼️と評価してしまう。

逆にいえばそうした勲章的なものが付いていない作品に対しては何か下に見てしまいがちではないだろうか❗️



「上賀茂神社では世界遺産に登録されたとたん1億円掛けて大きなトイレを整備したのですよ」とタクシー運転手さんが言った。

「へぇ、1億円ねぇ」僕はその金額に驚いた。

世界遺産ともなればたくさんの観光客(拝観者)の増加が見込まれる。それに対して恥じないよう整備しなければならない。箔が付くとそれだけで銀行は金を貸す。

大型バスの乗客がトイレに行っても待つことなく、用を済ませられるくらいの大きなトイレに僕は行った。

このトイレ、実際、1億円掛かったのか? 金を借りて建設したかは知らんけど❗️







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