山陽道をゆく chapter1-23 倉敷・直島(23)
石段の下にも古めかしい石鳥居があり、そこから漁師町風の人家が連なる路地を通った。
→chapter1-22 倉敷 直島(22)
この島に来て初めて生活空間が実感できる集落ではあるが、僕たち以外誰も歩いていない。
次にFさんの案内で入ったのは蔵のある古民家【角屋】である。

若い女性が入口に立っていた。彼女はticketを確認するstaffである。[家プロジェクト]では昼時間はきっちり閉館することに気がついた。1展示場、1staff、交代要員を無しの布陣であろう。

建物の中に入ると数人の若い女性客がいた。古民家の居間は照明ARTが幻想的な異彩を放っていた。

なるべく当時の姿を残しつつrenovationが行われた
「ここは【家プロジェクト】第一号になったところです」とFさんが言及した。
Fさんの説明によると約200年前の屋敷をrenovationし、宮島達男さんがArt作品を手掛け 、125個のLEDデジタルカウンターが1〜9の数字を刻むという。
それぞれのカウンターのスピードを決めるのに多くの島民が関わっていたことを後になって知った。昔ながらの土壁に釜戸、蔵、昭和の初め頃まであった生活styleがそこにあった。Degital Artに古民家、全くの不釣り合いな取り合わせを観客(観光客)はどのように感じるのだろうか?
「角屋」は直島・本村地区で、家プロジェクトの第一弾として公開されました。200年ほど前に建てられた家屋を、漆喰仕上げ、焼き板、本瓦を使った姿に修復し、空間そのものを作品化しています。「角屋」に展示されている宮島氏の3作品のうち"Sea of Time '98 "では、直島の方々が制作に参加しています。
本作品には、125個のLED製のデジタルカウンターが使用されており、ほの暗い日本家屋内に設置されたプールの中にランダムに配置されています。それぞれのデジタルカウンターは、1から9までの数字を順に表示しますが、宮島氏はカウントするスピード(時を刻む速さ)を島民に委ねました。スピードを決める「タイムセッティング会」が1998年2月に開かれ、直島の5歳から95歳までの島民125名が参加し、思い思いのスピードに設定しました。
カウンターはあらかじめ宮島氏が作成した配置図に基づいて設置され、1998年3月に作品が公開されました。参加した島民からは後に、「『角屋』は私に元気を与えてくれたと思います」、「私にとって『角屋』は、この作品が生きる限り、自分も生きてやろうかと希望の湧く場所」といった声を聞くようになり、「角屋」はベネッセアートサイト直島の活動において、現代アートが地域や島民の生活に介在する契機になった作品といえます。
角屋を出て次の路地を右折し、この地区の農協を過ぎると[本村ラウンジ&アーカイブ(農協スーパー)]というこの集落には似つかない横文字の店に着いた。
「ここでトイレ休憩を取ります。中では特産品や土産物、それに[家プロジェクト]の関連goodsを販売しています」とFさんは言及した。
僕以外は店の中に入った。僕は興味がなかったので外で待機した。Fさんも外で待機のようだ。
「この島はbenesseの関連施設がたくさんできたことで若い人の新たな雇用が生まれ、良かったですね」とFさんに言った。
僕は直島が煙害の島であったことは[家プロジェクト]を下調べしていたので知っていたし、ARTの島に再生したことは今日の体験で確信できたからだ。ところが、
「この島の若い人は皆、玉野の三菱に働きに行きます」とFさんは言い切った。
玉野の三菱とは三菱重工マリタイムシステム株式会社(旧三井造船玉野事業所)のことだろう。
ferryを使えば通勤ができる地元の大企業である。直島は行政的には香川県ではあるが、通学・通勤・生活圏全てが対岸の玉野市との結びつきが強い。
意外な答えだった。
「では、Benesse関連施設でたくさんの若い人が働いていたのは地元の人ではなかったのですか⁉️」と聞き返した。
地元に雇用が生まれてこそ、開発に対する島民(地元)の同意が得られるのでは?、
「この島にあこがれて全国から応募があります」Fさんは誇らしげに言った。
「へぇ、全国からね、道理で流暢な英語をしゃべれる人が多いわけだ❗️」納得感があった。
「帰国子女もいます」とFさんは言葉を付け加えた。
「へぇ、帰国子女ねぇ」
帰国子女は成人するまでに海外での生活経験があり、当然現地の言葉を操れる。
この島は羨望の眼差しで見られているのだ。repeaterが多いのもの分かる気がする。その中の何人かがこの地で働くことを希望するのか?倍率は高そうだな?と思ったが、そこで会話は中断した。
「では、次のところに向かいます」全員が揃ったところでFさんの案内は再開した。

歩いてすぐに漁港に出た。波は穏やかで昼間は漁に出ないのか静かだ。また路地に入った。
「昔はこの通りまでが海だったんですよ」とFさんは島の歴史研究家のような口調で語った。
僕は今ある漁港辺りまで埋められた戦後だろうと思った。
「yacht basin(sail boat)ヨットハーバーはないのですか⁉️」と歩きながらFさんに尋ねた。地中海resortをimageしての問いだったが、
「そうですね」とFさんは曖昧に答えた。
この島には長く係留が認められているところは無いのだと察しが着いた。この島では銅の採掘が始まるはるか昔から漁業で生計を立てて来たのだ。
『あれは週末晴れ族の都会人が騒いでいるだけですよ』と琵琶湖湖岸のyacht basin ヨットハーバーが連なる地元民の嘆きを聞いた事がある。
彼らは地元に遊興金を多少落としてはくれるが、天候にも左右され、気まぐれで平日の閑古鳥を考えれば無いよりか増し程度しかならないという。

昔ながらの狭い路地が続く。生活空間ではあるが、こちらも僕たち以外誰も歩いていない。

商家だったのか入口のすぐ横に受付の格子窓があった。
僕たちは靴を脱いで居間に上がった。広い庭があった。細長い石がひとつ置かれ、後は芝生で何も無い(庭もArt作品?)。
「この襖絵は、日本画家の千住博さんの作品です」とFさんは説明した。
『千住博?』その名をどこかで聞いたことがある・・・
chapter1-24 倉敷・直島(24)→To be continue

postscript追伸
「築200年の古民家を買ってくれないか⁉️」
きっかけは町役場からの1本の電話だった。
2025年5月17日(土)NHK総合、Golden timeに新プロジェクトXが放映された。NHKのかんばん番組のkeywordは[起死回生],プロジェクトX放映当初から一貫して、当時、携わった人を証言者として登壇させ、そこに緊迫感を持たせながら、当時を再現するvideoで番組が構成されている。
「ここから【家プロジェクト】が始まった」narrationが続く。
5月17日(土)
午後8:00
ほか 放送予定へ
島に誇りを ~アートでよみがえった瀬戸内海~
世界から年間100万人を超える観光客がおしよせる瀬戸内海の小さな島の物語。目当ては、アートと島に残る日本の原風景の融合だ。しかし、この海はかつて「瀕死の海」、島々は「はげ山」「ゴミの島」と呼ばれ、衰退の一途を辿っていた。再生に乗り出した教育企業だが、逆境続き。赤字を垂れ流す客の来ないアートホテル。無関心な島民。起死回生の一手は、倒壊寸前の民家を使ったアートだった。失われた誇りを取り戻す奇跡の物語。
「開業当初のアートホテル(Benesse House museum)に対する島民の反応は冷ややかだった⁉️」とnarratorが語る。
『冷ややか』この言葉に
『あれは週末晴れ族の都会人が騒いでいるだけですよ』と琵琶湖湖岸のyacht basin ヨットハーバーが連なる地元民の嘆きを僕はふと思い出した。
秋元雄史は学芸員の求人広告を偶然、目にした。1990年初、Art MuseumとHotelが一体化した事業は珍しかった。
だが、Art Hotel(Benesse House Museum)開業から4年、赤字続きでHotel事業は社員3人まで縮小、お荷物とまで言われた。
役場からの電話を受けた笠原(ホテル宿泊担当)は秋元とすぐに角屋に向かった。
角屋は本村地区の島民にとってsymbol的存在だった。この時、秋元の頭にこの古民家を利用して直島しか作れないArtを生み出せないか⁉️ と考えるようになっていた。早速、秋元は旧知の中の宮島を呼んだ。宮島達男は世界的な現代artistで時を刻むArt作品を得意としていた。
宮島達男は1957年東京都生まれ。東京藝術大学大学院美術研究科絵画専攻修了。88年のヴェネチア・ビエンナーレで若手作家部門「アペルト」に参加し、LEDの光が数字を刻む《Sea of Time》で注目を浴びる。また99年の第48回ヴェネチア・ビエンナーレには日本館代表作家として参加し、2400個のガジェットで構成された《MEGA DEATH》を発表した。発光ダイオード(LED)を使用した作品を多く手がけ、「それは変化し続ける」「それはあらゆるものと関係を結ぶ」「それは永遠に続く」という3つのコンセプトをもとに、時の流れや人間の営みについて考察したインスタレーションなどを発表している。
「一体この何も無い、人も歩いていない島で何ができるのか?何がしたいのか⁉️」宮島は愕然として言った。
「この島には魅力がある❗️」秋元はこう言い続けた。
そこまで言うならと最後は宮島が折れ、2人は角屋に朝から日暮まで通い続けた。
夏の暑い日、近所の住人からお茶の提供を受けた。それは島民の温もりであった。
この時、島民参加型のArt作品が作れないか⁉️・・・宮島の頭にideaが浮かんだ。
1998年2月15日125人の島民が参加してそれぞれの思いでcounter速度をsettingが行われ、強固な信頼関係が築かれたて行った。こうして構想から1年、角屋はついに蘇った。
ある日、本村地区の島民が*自主volunteer で観光客の案内役を*買って出た.
*自主とvolunteerは本来同義語である。唯、[volunteer]の前に[自主]が来る。コロナ前までは僕はよくvolunteer活動に参加していた。それはすでに枠組み(組織)が出来上がっている活動にvolunteerとして参加していたに過ぎない。しかし直島の島民の自主volunteerはBenesseから依頼されたわけではなく、島の再生に向けて自らの意思で活動組織を作り、多くの島民が案内役を買って出た(自ら進んで引き受ける)のである。
風の中のすばる
砂の中の銀河
みんな何処へ行った 見送られることもなく
草原のペガサス
街角のヴィーナス
みんな何処へ行った 見守られることもなく
地上にある星を誰も覚えていない
人は空ばかり見てる
つばめよ高い空から教えてよ 地上の星を
つばめよ地上の星は今 何処にあるのだろう
中島みゆき 地上の星
プロジェクトXのtheme songが流れた。
プロジェクトXを見て改めて思った。
どれだけ世界的に著名なArtistの作品を並べたところで所詮maniacが一時的に来るだけにしか過ぎず、Benesseのお荷物とまで言われたHotel事業を再生させ、直島の人口2,900人の小さな島に今日世界中から年間70万の観光客が訪れるARTの島に変身できたのは、[家プロジェクト]で島を再生したいという島民ひとりひとりの熱い思いと[おもてなしのこころ]、それに現代Artがみごとに結びつき化学反応を起こした結果ではないだろうか⁉️
「かって直島の住人であることを避けてきた。今はそのことを誇りに思う」年配の男性の言葉は直島の今を語っている。
同様に公害の島と揶揄された瀬戸内海の島々[豊島(てしま)・犬島]にも波及した。
最後にプロジェクトXでは触れなかったが、2000年代に入り、時代は新たに生まれたSNS(口コミ)が大きなうねりとなり、世界中からこの島を訪れるようになったと・・・
僕はそう信じたい❗️
東洋経済on line・東洋経済新聞社
秋元雄史著
